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2020年3月9日月曜日

景気大打撃は確実だが…新型コロナからの「日本復活の秘策」はこれだ―【私の論評】日本は的確な経済・金融政策を実行し、年間自殺者2万以下の現状を維持せよ(゚д゚)!

景気大打撃は確実だが…新型コロナからの「日本復活の秘策」はこれだ

経済政策こそが生命を守る

各国の感染者数「最新の状況」

先週、海外ニュースや海外市場は、新型コロナウイルスの世界的な広がりで大混乱だった。

先週の本コラムでは、各国の感染者数と武漢との距離を表すために次の図を出したが、国別の感染者数では韓国が突出しており、多い順にイタリア、イラン、日本であった。


今週これを更新すると、次の図になる。


感染者数で韓国、イラン、イタリアが図抜けているが、フランス、ドイツ、スペインが日本の上になっている。

相変わらず日本のマスコミは、日本の感染者にクルーズ船の乗客を含めて、過大な数字にして報道しているが、クルーズ船の感染者数はWHOの統計上も日本の感染者ではない。日本とクルーズ船の数字を合わせて報じるのは、誤報ともいわれかねない。

現在はアメリカのカリフォルニア沖にクルーズ船があり、船内感染が起きている模様だが、この数字をアメリカの感染者数に含めて報道したら、アメリカ大使館から抗議が来るだろう。それくらい、日本のマスコミ報道はおかしい。

不安が引き起こす「市場の混乱」

ちなみに、感染者数ではなく人口10万人あたりの感染者率でみると、次の図のようになる。

日本は感染国とは言えないほどの数字だ。


なお、中国の発表する感染者数が増えていないので「すでに中国では終息している」という報道もある。

しかし、中国の統計データは先月に3度も統計変更があったが、通常は変更後と変更前の複数時系列が発表されるべきところ、そうした措置は見当たらず、信用ができない。習近平主席の発言にあわせて統計数字が作られているふしもある。筆者の推計値とも乖離があるので、信用していない。


いずれにしても、世界中が新型コロナウイルスを恐れている。新型コロナウイルスの致死率は、かつてのSARSほど高くなく、例年のインフルエンザより少し高い程度といっても、人々は恐れる。1年もすればワクチンができると言っても、やはり恐れる。それが、市場の混乱を引き起こしている。

「恐怖指数」は同時多発テロ並み

筆者は仕事柄、欧米のニュースを日頃見ているが、連日新型コロナウイルスの話ばかりだ。スポーツ番組でも、7月の東京五輪ができるかどうかという話題だ。プロ野球や大相撲が無観客試合になったことも報じられている。

こうした雰囲気を受け、アメリカの株式市場は乱高下だ。

FRBは、金融政策を決めるFOMC(連邦公開市場委員会)について、定例の17、18日を待たず3日に緊急で開催し、政策金利0.5%の引き下げを行った。

これに対して株式市場は反応せず、ダウ平均は785ドル安だった。それほど、新型コロナウイルスはアメリカ人にとって脅威なのだろう。


アメリカ市場では、今後30日間の米株式市場の予想変動範囲を算出し、それを「恐怖指数」と呼んでいる。

過去のリーマンショック時には90近くまで上がった。NY同時多発テロ、アジア経済危機、ギリシャ危機などの時には、50近くまで上昇した。今回のコロナウイルス騒ぎでも、2月末に50近くまでにあがった。

この意味で、今回はリーマンショックほどではないが、過去の大きな経済危機並みに、アメリカの投資家心理に影を落としていると言えるだろう。

トランプ大統領は、コロナウイルスを過度に心配している。11月に大統領選が控えているいま、対応に不手際があると、再選が危うくなるからだ。こうした危機管理は国民の生命に関わる話なので、政治家は細心の注意を払うのだ。

ようやく尻に火がついた

実は日本でも、アメリカの恐怖指数と同様の数値「日経平均VI」がある。市場が予想する日経平均株価の将来1ヵ月間の変動の大きさ(ボラティリティ)を表す数値だ。


これを見ても、過去10年間で株式市場は最もナーバスになっていることがわかる。

現在は、安倍政権にとっても最大の試練になっている。どこの国であれ、危機管理ができない政府は国民から見捨てられるのが運命だ。

本コラムでは、安倍政権の初動、特に1月28日の感染症指定のミスを厳しく批判してきた。これを上手くこなせなかったために、水際阻止ができず、結果として中国からの全面的な入国制限やクルーズ船入港阻止もできなかったからだ。

ただしここにきて、ようやく安倍政権の尻に火がついたようだ。習近平主席の訪日延期は当然だ(2月10日付筆者コラム「新型コロナウイルスで『習近平訪日は中止』か…状況はかなり厳しい」)。

習近平主席の訪日延期がようやく決まったのが3月5日。これは、天皇謁見は30日前までに申し込まねばならないという「30日ルール」があり、さすがに1ヵ月前には予定を立てざるを得なかったのだろう。

急に始まった対策の数々

そして習氏の訪日延期発表の3時間後に、ようやく中国と韓国からの全面的な入国制限を実施することが決まった。遅きに失したとはいえ、やらないよりマシだ。

その後、安倍政権は吹っ切れたようだ。次々に対策が出てきた。

筆者は様々なメディアにおいて、日本政府がやるべき対策を述べてきたが、完全ではないものの、安倍政権はそれらの対策を矢継ぎ早に決定している。

筆者は3月4日、「生活用品の買い占め対策には、買い占め売り惜しみ防止法や古物営業法を使え」と言った。そうしたら翌5日、〈マスクの買い占め ネット転売禁止へ 政府総合対策取りまとめ〉と報道された。

買い占め防止には現行制度でも様々な方法があり、役人出身の筆者にとって対策をあげるのは難しくない。重要なのは、それを行う政治的な意思である。こうした対策について、国会議員からも質問主意書が出ている(2月10日、「マスクの買い占め・転売行為に対し、物価統制令、国民生活安定緊急措置法、買い占め防止法等を活用することに関する質問主意書」)。

政府は2月21日に「そうした状況でない」と答弁していたが、3月5日には一転して対応を始めた。安倍政権も追い込まれた上の決断だ。

残すは「消費減税」か

また新型コロナウイルスにより打撃を受けている旅行業界、観光業界、イベント業界、飲食業界などでは、緊急融資制度が必須になる。中国人観光客が来ず、国内のイベントも3月末までは中止が相次いでいるので、関係業界の経営は深刻である。

筆者は緊急融資制度について、「マイナス金利を活用して行うべき」と3月2日から言っている(https://twitter.com/YoichiTakahashi/status/1234395211410788352https://www.zakzak.co.jp/soc/news/200306/dom2003060004-n1.html)。

すると3月7日、〈中小・小規模事業者などに実質無利子・無担保融資〉という報道があった。これは、マイナス金利とはいかないが、それでも従来の緊急融資制度より一歩前進するものだ。

これまで筆者が提言した政策で、残されたものは「消費減税」である(「日本経済『コロナ恐慌』回避への“劇薬政策”投入あるか 日銀談話の影響は限定的 識者『10兆円補正』『消費減税』提案」)。

5月18日に1-3月期GDP速報が発表されるが、マイナスになるのは確実である。10-12月期もマイナス(3月9日に2次速報の公表)で、2期連続のマイナスだろうから、2020年度補正予算が必要となっているはずだ。

幸いにも、4月の習近平主席訪日が延期となったので、国会日程はかなり楽だ。もともと4月以降に通すべき重要法案もあまりないので、補正予算編成の絶好のチャンスだ。

経済政策は国民の生命を守る

政府は、2年を限度に新型コロナウイルスを新型インフルエンザ等対策特別措置法の対象に加える改正案を準備し、10日に国会に提出し、13日の成立をめざす。そこでは、財政措置は最小限度のはずなので、本格的な景気対策は4月以降になるだろう。そこで、何とか、新型コロナウイルスがもたらす景気後退を防がなければいけない。

経済政策こそ、国民の生命に関わる問題である。

公衆衛生学者デヴィッド・スタックラーと医師サンジェイ・バスが著した『経済政策で人は死ぬか? 公衆衛生学から見た不況対策』という興味深い書がある。いくつかの事例から、不況や経済危機における政府の政策対応如何により、人々の健康状態、ひいては生死に大きな影響が及ぼされるという主張だ。経済政策はどんな薬、手術、医療保険よりも命に関係するという彼らの言葉を、経済政策を研究する筆者も首肯したい。
新型コロナウイルスには、経済政策までやって初めて打ち勝てるのだ。
【私の論評】日本は的確な経済・金融政策を実行し、年間自殺者数2万未満の現状を維持せよ(゚д゚)!
日本では今、武漢肺炎対策としての経済対策が話題になっています。現状で世界中の国々が、防疫によりウイルス封じ込めに躍起になっています。そうして、このウイルスの蔓延が終息しようとしまいと、経済に与える悪影響は免れることはできず、これに対する経済対策が実行されることになるでしょう。

いずれの国でも、ウイルス対策に限らず、不況に陥ると経済政策をどのようにするべきか、議論されます。しかし、結局のところ、どのような政策が良いのでしょうか。そして、その決断を、イデオロギーや経済理論だけを頼りに行って、良いのでしょうか。

このような疑問に答えてくれるのが、冒頭の高橋洋一氏が紹介している『経済政策で人は死ぬか? 公衆衛生学から見た不況対策』という興味深い書籍です。

『経済政策で人は下か?』の表紙

世界規模の不況に陥ったとき、国ごとに経済政策は異なり、それによって国民の運命も異なる方向に動かされてきました。公衆衛生学者と疫学者である本書の著者は、そのことを利用して政策の優劣を比較しました。

つまり、過去の各国の政策選択とその結果のデータを、世界恐慌からソ連崩壊後の不況、アジア通貨危機、そしてサブプライム危機後の大不況まで調査し、比較したのです。

ソ連崩壊後の不況に関しては、このブログにも掲載したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
日本経済は後半に回復する 増税スキップ&大型景気対策で中国・EUの不安払拭―【私の論評】殺人政策である10%増税見送りは当然!まともな経済対策で日本は再度成長軌道に乗る(゚д゚)!

詳細は、この記事をご覧いただくものとて、この記事にはロシアの平均寿命の推移(上グラフ)を掲載しました。

このロシアの例では、ソ連崩壊後の不況においては、ロシア人男性の平均寿命が57.6にまで下がったことがあったことがわかります。経済政策のまずさによっては、人は死ぬのです。

比較の指標は、国民の生死です。政策の違いによって、国の死者数は増えたのか減ったのか、健康状態や平均寿命などがどう変化したかを比較しました。経済政策は、国の借金返済や構造改革、景気刺激など、さまざまな目的で行われますが、そもそも国民に死を強いるようでは元も子もありません。結果はどうだったのでしょうか。

実は数多くの人が、緊縮策の悪影響によって死んでいたのです。

著者らの研究によれば、不況下で危険な「緊縮政策」を選択した影響で増加する死亡数は、まさに驚くべきものです。最も悲惨なのは、ソ連崩壊後のロシアで、1990年代に経済政策の失敗により数百万人の男性が死んだ(主に自殺とアルコール関連の死亡)と考えられるといいます。

アジア通貨危機後にIMFに緊縮財政を強いられたタイでは、感染症対策支出を削らされたせいで、感染症による死亡率が大幅に上昇しました。緊縮財政をとったギリシャでは、これも対策費の削減によりHIV感染が拡大したほか、医療費カットで医療制度が崩壊し国民の健康状態はひどく悪化しました。

著者たちは次のように述べています。

民主的な選択は、裏づけのある政策とそうでない政策を見分けることから始まる。特に国民の生死にかかわるようなリスクの高い政策選択においては、判断をイデオロギーや信念に委ねてはいけない。…正しくかつわかりやすいデータや証拠が国民に示されていないなら、予算編成にしても経済政策にしても、国民は政治家に判断を委ねることができない。その意味で、わたしたちはこの本が民主化への第一歩となることを願っている。

本書をきっかけに、政策論争がイデオロギーを離れ、データに基づいたものになることを願っています。

以上では、ロシアなどの例をあげていますが、日本でも、経済政策のまずさで人が死んだといえるエビデンスがあります。

厚生労働省と警察庁は1月17日、2019年の全国の自殺者数(速報値)が前年より881人少ない1万9959人となり、10年連続で減少したと発表しました。

速報値が2万人を切るのは初めてです。3月に発表される確定値では、警察による捜査で自殺と判断された数百人が加わる見通しが、統計を開始した1978年以降で最も少なかった2万434人(81年)を下回る可能性が高いといいます。


このグラフで着目すべきは、自殺者が3万人台を超えていた期間です。この期間は、ほとんど全期間にわたって日銀が金融引締を実施した時期にあたります。この期間には、さらに追い打ちをかけるように、増税という緊縮財政が繰り返し行われました。

そのため、平成年間のほとんどの期間、日本はデフレと円高に悩まされました。この時期に自殺者が3万人を超えていたのは、やはりこうした経済政策による悪影響もあったとみるべきでしょう。

2014年には、消費税増税をしていますが、金融緩和政策は継続されていたので、雇用は改善され続けました。雇用が良くなったこと、政府の対策などが奏功してこのような結果になったのでしょう。

しかし、現在では10%への消費税増税が実施された他、武漢肺炎による経済の悪化もあります。せっかく、自殺者が2万人を切るような良い状況になったのですから、政府はこの傾向を今後も継続するため、的確な経済対策を実行していただきたものです。

自殺者の数をみていると、現状の武漢肺炎による死者よりもはるかに多いことがわかります。

「経済政策はどんな薬、手術、医療保険よりも命に関係する」という言葉の重みを感じます。

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2018年10月6日土曜日

「Gray War(灰色戦争)」に入った米国と中国―【私の論評】現状が続けば中共は崩壊し、米国は世界唯一の超大国の座を維持することに(゚д゚)!

「Gray War(灰色戦争)」に入った米国と中国

米日豪印の4本柱に英仏を加えた4+2体制の構築が不可欠に



米海軍誘導ミサイル駆逐艦ディケーター 写真はブログ管理人挿入 以下同じ

「Gray War(灰色戦争)」という新たな概念
 米海軍作戦部長のジョン・M・リチャードソン大将は、今年(2018年)9月はじめ、ワシントンで開催されたディフェンス・ニューズ(Defense News)主催の会議において「Gray War(灰色戦争)」という新たな概念を提唱した。

 そして「本格戦闘に至る前の段階」(Areas Short of Open Warfare)での対処がいかに重要であるかを述べた。

 「Gray War(灰色戦争)」は、わが国でも大きな課題となっている「グレーゾーン事態」あるいは「グレーゾーンの戦い」に相当する概念と解釈される。

 それを主として軍事の対象領域である戦争(War)と捉え、しかも、日本で言えば海上幕僚長に相当する米海軍現役最高位の軍人が公言にしたところに重大な意味がある。

 会議の講演の中でリチャードソン作戦部長は、南シナ海はもちろん中東領域での中国およびロシアとの対立は「本格戦闘に至る前の段階における灰色戦争」であると述べた。

 そして、米海軍は、「灰色戦争」に勝利する能力を備えなければならないと強調した。

 繰り返すと、米国は、現在の中国との対立を「本格戦闘に至る前の段階」にあると認識し、その渦中にある「灰色戦争」に勝利すると明言しているのである。

 それを象徴するかのように、最近になって米軍は、西太平洋以西、特に東シナ海と南シナ海における軍事的プレゼンスを強化している。

 米国防総省は9月26日、核兵器搭載可能な米空軍の「B52」戦略爆撃機が、尖閣諸島をめぐり日中が対立する東シナ海や中国の軍事拠点化が進む南シナ海の上空を飛行したことを明らかにした。

 その際B52は、航空自衛隊の戦闘機の先導で尖閣諸島付近や、中国が東シナ海に設定した防空識別圏内を飛行したと報道されている。

B52戦略爆撃機

 9月30日には、米海軍のイージス駆逐艦「ディケーター」が、「航行の自由作戦」の一環として南沙諸島のガベン礁などの領海(12海里)内を航行したようだ。

 また、インド洋に長期派遣中であった海上自衛隊のヘリコプター搭載護衛艦(DDH)「かが」は、南シナ海において英海軍のフリゲート艦「アーガイル」と共同訓練を実施した。

 このように、日米を中心に英仏などが米国の「灰色戦争」に共同連携する動きを強め、中国の海洋進出と覇権拡大への対抗姿勢を鮮明にしつつある。

「国家安全保障戦略」に基づく既定路線
 このような米軍の動きは、昨年(2017年)12月にドナルド・トランプ米大統領が公表した米国の「国家安全保障戦略」(NSS2017)の方針に沿った「既定路線」と見ることができる。

 NSS2017は、中国(とロシア)を力による「現状変更勢力」、すなわち「米国の価値や利益とは正反対の世界への転換を図る勢力」として名指しで非難し、米国に挑戦し、安全や繁栄を脅かそうとしている「ライバル強国」であると位置づけた。

 そして、中国はインド太平洋地域で米国に取って代わり、国家主導の経済モデルの範囲を拡大し、地域の秩序を好きなように再編成しようとしていると指摘している。

 そのうえで、「我々は新たな対立の時代に入っている」と述べ、米国は中国(とロシア)に対抗して世界各地の係争地域において、米軍の増強や近代化そして同盟国との連携などによってこうした脅威に立ち向かい、「このゲームで米国は勝利する」と宣言している。

 また、NSS2017は、「強い経済は、米国民を守り、米国の生活様式を支え、米国の影響力を維持する」として米国経済を活性化し、米国の国力と優位を回復する必要性を強調している。

 特に中国を睨んで、巨額で慢性的な貿易赤字は許容しないとし、自由で公正、互恵的な経済関係を追求するとしている。

 また、研究、技術および革新の分野で先頭に立たなければならないとして、米国は知的財産を盗用し自由な社会の技術を不当に利用する者から、自国の安全保障の基盤技術を守ることなど、いわゆる経済安全保障の見地から、中国との貿易戦争を予見させる内容になっている。
 今年7月初め、米国が340億ドル分の中国産品輸入に対する25%の関税引き上げを実施したことに始まった米中貿易戦争は、関税措置での制裁と報復の応酬が激しく繰り返される中、出口戦略を見出せない状況が続いている。

 しかし、この問題は、中国が「将来的には地球規模での優位を確立し、米国に取って代わろうとしている」との米国の対中認識が示すように、国際社会の首座を巡る米中の覇権争い、すなわち地球規模での地政戦略的支配権争いが基底をなしている。 米中相互に遠大な戦略の一部であるがゆえに、その解決が容易でないことだけは、はっきりしている。
そして、貿易戦争は、通商的・経済的対立にとどまらず、政治、軍事、情報、サイバー戦など広範な分野へと拡大する危険性を孕んで推移し、「長く、厳しい対立の時代」に入る始まりにすぎないといっても過言ではないのである。

米中は貿易戦争から全方面対決へ

 経済分野においては、対中融和派とされるウィルバー・ロス商務長官やスティーブ・ムニューシン財務長官に代わって強硬派のロバート・ライトハイザー通商代表部(USTR)代表やピーター・ナバロ米国家通商会議(NTC)委員長、ラリー・クドロー国家経済会議(NEC)委員長が貿易問題で実権を握り、タカ派色が強まっていると伝えられている。

 また、外交・安全保障分野では、国際協調派のジェームズ・マティス国防長官は健在であるようだが、ジョン・ボルトン米大統領補佐官(国家安全保障問題担当)やマイク・ポンペオ国務長官など、いわゆるタカ派と呼ばれる側近がトランプ大統領に大きな影響力を持つようになり、米政権の顔ぶれは対中強硬派で固まったようだ。

 2018年9月28日付ロイターの『アングル:トランプ政権、中国向け「圧力戦略」が新局面入りか』という記事は、政府高官の話として下記のように伝えている。

 長年の対中強硬派として知られるボルトン大統領補佐官(国家安全保障問題担当)が中心となって、貿易摩擦の枠を超え、サイバー活動や台湾、南シナ海の領有権問題なども含めて、中国に対して強い姿勢を取るようトランプ大統領を説得した。

 新たな戦術はまだ策定中だが、中国への圧力強化により、今後数週間で米国側からのさらなる強硬発言や、新たな政策措置が出てくるだろう。

 その見通しの背景としては、米中関係が緊迫化する中で、トランプ大統領が、先の国連安保理会合で、中国が11月の米中間選挙で共和党が不利になるよう介入し、通商問題におけるトランプ氏の強硬姿勢に一矢報いようとしていると非難したことに現れていると指摘している。

 対中関税措置のほかにも、米国は中国に対し、ロシアから戦闘機やミサイルシステムを購入して米制裁に違反したとして、中国人民解放軍の兵器管理部門を制裁対象に指定した。

 また、バラク・オバマ政権下で延期されていた台湾への3億3000万ドル(約375億円)相当のF16戦闘機の部品などの売却も承認した。

 さらに、中国によるネット上の盗難行為やスパイ行為に対しても、より厳しい行動を取ることを米国政府は検討している。

 前述のとおり、米国の中国向け「圧力戦略」は、NSS2017の対中脅威認識を背景に一貫した展開を見せている。

 そして、「中国は、われわれの政策を撤回させるためにあらゆる手段を講じている」「中国は、政治的、経済的、通商的、軍事的な手段やメディアを使い、中国共産党の利益を得ようとしている」とし、中国は、ロシアがクリミア半島併合で仕掛けた「ハイブリッド戦」と同じ「Gray War(灰色戦争)」を、米国に仕かけていると見ているのである。

 以上の文脈からすると、トランプ政権は、長期的・戦略視点に立って、たとえ中国から激しい反応を引き起こす恐れがあっても、より幅広く押し返そうとする全方面対決を決意していると言えるのではないだろうか。

日米豪印の「4本柱」による安全保障協力体制

 安倍晋三首相が、米ニューヨークで開かれた、先の国連総会での一般討論演説で、「北東アジアの戦後(冷戦)構造を取り除く」(カッコは筆者)と述べたことは、極めて重要である。

 北東アジアでは、終戦から73年経った今日でも戦後は終わっておらず、また、戦後とほぼ同時に始まった冷戦も完全には終わっていない。

 中国、ロシア、北朝鮮をめぐる外交・安全保障の問題がそれである。

 なかでも中国は、国力の増大に伴ってグローバルなパワーバランスに大きな変化をもたらし、軍事的動向にも顕著な影響を及ぼしている。

 それを念頭に、安倍晋三首相は、改めて国連の場で「自由で開かれたインド太平洋戦略を進める」と述べた。

 「私が『自由で開かれたインド太平洋戦略』を言いますのは、まさしくこれらの国々(ASEAN諸国や太平洋島しょ国等)、また米国や豪州、インドなど、思いを共有するすべての国、人々とともに、開かれた、海の恵みを守りたいからです」(カッコは筆者)と訴えた。

国連で演説する安倍総理

 この戦略を実効性ある現実的なものに高めるには、日本は、まず自主防衛力を強化することが先決だ。

 そのうえで、日米豪印の「4本柱」を中心として、基本的価値や戦略的目標・利害を共有する努めて多くの国・地域を有機的に連結した多国間主義による安全保障ネットワークを構築することである。

 この際、日米豪印による「4本柱」を、インド太平洋地域に強い戦略的利害関係をもつ英仏の「2本の支柱」によって補強できれば、安全保障のアーキテクチャーが一段と強化されるのは請け合いである。

 そして、日米豪印と英仏によって構築される「4+2」の安全保障協力体制に、台湾やフィリピン、マレーシア、ベトナム、シンガポールなどの力を結集すれば、中国の海洋侵出と世界的覇権拡大の野望を抑え込む、国際的な多国間枠組みを一段と強化・発展させることができるのである。

【私の論評】現状が続けば中共は崩壊し、米国は世界唯一の超大国の座を維持することに(゚д゚)!

ブログ冒頭の記事の以下の結論部分は、このブログで私も主張してきたものです。
日米豪印による「4本柱」を、インド太平洋地域に強い戦略的利害関係をもつ英仏の「2本の支柱」によって補強できれば、安全保障のアーキテクチャーが一段と強化されるのは請け合いである。

そして、日米豪印と英仏によって構築される「4+2」の安全保障協力体制に、台湾やフィリピン、マレーシア、ベトナム、シンガポールなどの力を結集すれば、中国の海洋侵出と世界的覇権拡大の野望を抑え込む、国際的な多国間枠組みを一段と強化・発展させることができる。
そうして、安倍総理はまさにこの体制を築くために総理に就任直後から全方位外交に傾注してきました。この体制は完成に近づきつつあります。

さて、この体制にも大きな影響を及ぼす米中の経済冷戦はどのようになるのでしようか。

これについては、85年ほど前に起きた銀をめぐる米中間の対立に、昨今の米中貿易摩擦といくつかの類似点があり、米中関係もしくは国際関係の今後を占うためのヒントが含まれています。

各国の金本位制採用とそれに伴う銀売却、1929年に始まった世界恐慌によるデフレーション、銀鉱脈の発見による銀生産の増大などにより銀の価格は低下し、世界恐慌前には1オンス65セント程度あった銀価格は25セント程度にまで落ち込みました。

これに危機を感じた米国の銀業界は積極的なロビーイングを行いました。このころ米国内の銀生産は西部山岳の7州(アリゾナ・カルフォルニア・コロラド・アイダホ・モンタナ・ネバダ・ユタ)に偏り、米上院では人口の多寡にかかわらず各州2名の上院議員がいるので、7州14名の上院議員は「シルバー・メン」と呼ばれて一大勢力を形成していました。

シルバー・メンは、①各国に働きかけて銀需要の喚起と供給の制限を図る、②銀価格を引き上げて、銀を通貨として使用している中国等の購買力を引き上げ(つまり、ドル安元高に誘導する)、米国の輸出を増やす、③銀を通貨発行準備の一部とすることで貨幣供給量を拡大する、などの主張を行いました。

シルバー・メンの声を聞かざるをえないフランクリン・ルーズベルト大統領は銀買い上げ法の施行(1934年)等いくつかの銀価格引き上げ政策を採用し、その結果銀価格は高騰し1オンス70セントをも超えるに至りました。

米国の保守派からは、ソ連と対峙していた日本に戦争を仕掛け、
ソ連と手を組んだ大悪人とみられているフランクリン・ルーズベルト

つまりは、国際経済関係のなかで苦境に陥っている国内産業の声を聞き、自国を最優先して他国を犠牲にする典型的なアメリカ・ファースト政策です。

当時の中国の状況をみると、銀本位制度を採用する中国は、世界恐慌のときには銀価格下落のおかげで自国通貨である元が銀価格に並行して下落し、元安が世界恐慌という大火事に対する防火壁となり、中国は延焼を免れました。

ところが米国の銀価格引き上げ政策が始まると状況が一変しました。銀を米国にもっていけば高値で買い取ってもらえるのですから大量の銀が中国から米国へ流出。中国国内の銀流通総量の3分の1にもなる銀が国外に出ました。中国の貨幣供給量は一気に収縮し、中国経済は深刻なデフレーションに陥って株価は暴落、小銀行や工場、商店が相次いで閉鎖に追い込まれました。銀恐慌に陥ったのです。

中国はどう対処したかといえば、中華民国政府は応急的、一時しのぎ的な対処ではなく、大胆で根源的な策を採りました。1935年11月、約500年続いた銀本位制度を捨て去る幣制改革を断行したのです。これにより、もはや米国の政策により中国経済が翻弄されることがなくなりました。

中華民国十二年発行 竜鳳壱圓(ONE DOLLAR)銀貨
直径:39.39㎜ 重量:26.8g 現在の買取価格 ~65,000円

一連の出来事を通じて、各国の経済にどのような影響があったのでしょうか。主には次の点を挙げることができます。

まず米国については、銀業界は結局損をしました。中国を銀本位制からの離脱に追い込んだがために、もはや地球上に銀を通貨として使う者はほとんどいなくなったのです。銀に対する需要は大いに減退し、銀価格は数カ月のうちに1オンス当たり20セント程度も下落しました。

日本については、一時的ながらも漁夫の利を得ました。

中国は幣制改革を断行する直前、銀の輸出に対して高率の税を課すことで銀流出を食い止めようとしました。ところがその結果、銀の内外価格は数十%も乖離するようになり銀の密輸が激増しました。中国の銀は北方の山海関を越えて満州国に密輸出され、日本はそれを高値で売却して大きな利益を得たのです。

中国については、経済が大いに復活しました。1元40セントを超えていた為替レートは1元30セントを下回るまで下落し、貿易量が増え、生産活動は上昇し、物価は緩やかに上昇しました。恐慌状態にあった中国経済は米国の銀政策を契機とする幣制改革により一気に回復しました。

そして世界経済には、巡り巡って構造変化がもたらされました。中国の銀本位制度からの離脱により銀は大航海時代から続いた国際通貨としての地位を失いました。一方で、米ドルは基軸通貨としての地位を高めました。

中国は幣制改革を実行するにあたり、銀に代わる対外支払準備をある程度確保しておく必要がありました。幣制改革実行直後に中国は米国に5000万オンスの銀を売りドルを獲得して、それを対外支払準備としました。それまで中国経済はイギリス、もしくはポンドの強い影響下にあったのですが、これにより米国、もしくはドルの影響下に軸足が移ったのです。両大戦間期は基軸通貨としての地位がポンドからドルへと移行した時期ですが、米国の銀政策がポンドからドルへの交替を後押しすることとなりました。

ドル紙幣でできたビキニを着用する女性たち ロンドンにて

この85年前の歴史経緯をトランプ政権と中国とのあいだの貿易摩擦に当てはめつつ考えてみるとどうなるでしょうか。

銀をめぐる米中間の対立においてはポンドからドルへと基軸通貨の重心が移動し、米国は覇権国の地位を引き寄せましたが、それから約85年を経た今回の米中対立でも再度米国の地位を大幅に引き上げることが予想できます。

ここ20年くらいは、米国は中国によって、知的財産権を無視され、富を一方的に略奪されていたようなものです。今回の経済冷戦の行き着く先は、この略奪がなくなるということですから、途中経過はどうあれ、最終的には米国が唯一の超大国に返り咲くことになるでしょう。

まずは、今回の貿易戦争は、米国が知的財産権を全く守る気がないどころか、積極的に侵害しようとする中国に守らせることを主目的としているということであり、貿易戦争はその手段にすぎないということです。ここが、85年前の米国とは全く異なります。大義は米国のほうにあります。

そのため、この戦争は長く続きます。中国が音を上げ、知的財産権を守るように体制を変えることになるか、中国が体制を変えなければ、中国が経済的にも軍事的にも他国に影響が与えられないほどに弱体化するまで続けられるでしょう。

ただし、中国が知的財産権を守るように体制を変えるといっても、それはかなり困難です。現在の中国は、民主化、経済と政治の分離、法治国家がなされていません。知的財産権を守る体制にするためには、これらを先進国並みに変えなければできないです。

民主化、経済と政治の分離、法治国家化を推進するためには、驚天動地の構造改革をしなければなりません。これを実行すれば、現在の中国共産党は統治の正当性を失って、崩壊した後他の政治勢力がとって変わることになるかもしれません。

それをおそれて、この驚天動地の構造改革を実施しなければ、中国の待つ未来は、図体が大きいだけの、他国に対して影響力が全くない内にこもったアジアの凡庸な独裁国家となることでしょう。ただし、この場合も、中共は弱体化し、多くの人民が不満を持ち、内乱等が勃発して中共は崩壊することになるでしょう。

このまま、米国が経済冷戦と、ブログ冒頭の記事のように、米日豪印の4本柱に英仏を加えた4+2体制を構築さらにASEAN諸国も巻き込み、中国に軍事的に対峙して、中国の封じ込めに成功した場合、いずれにしても中共は崩壊することになるでしょぅ。

これは、当時からすれば、抜本的な構造改革である銀本位制を放棄した当時の中国(中華人民共和国)が、経済的には安定し、日本との戦いには米国などの支援があったため、なんとか勝つことができましたが、統治の正当性を主張することが出来ず、結局共産勢力に負けて、台湾に逃亡したことと類似しています。

結局現在の中共が、米国の経済冷戦と、灰色冷戦に負けて、抜本的な構造改革を断交した場合、現在の中国も過去の中国のように、経済が安定し発展するかもしれませんが、やはり統治の正当性を失い、中国共産党幹部は海外に逃亡することでしょう。彼ら幹部は、すでにドルなどで天文学的な額の蓄財をして海外に大部分を送金し、家族なども移住させ、中共が崩壊したときに自分たちも後から移住できるように準備を整えています。

中共が崩壊した中国では、中国は分裂することでしょう。そうして、おそらくいくつかの民主化、政治と経済の分離、法治国家化の進展度合いが異なる国々が成立することでしょう。これらのうち進展度合いが高い国が、米国と接近して、いずれ経済的に大成功を収めることができるかもしれません。

その後には、米国は中国による富の簒奪を免れ、しばらくの間は超大国は米国一国という時代、すなわち現在と同じような体制から中共が抜け落ちた体制が続くことになるでしょう。

ただし、これは経済冷戦や灰色冷戦が中途半端で終わらない場合です。オバマ政権のように、中途半端で終わらせれば、中共がしぶとく中国に生き残るだけとなります。やはり、この戦争は中国が抜本的に変わるまで続けなければならないのです。

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2018年3月11日日曜日

【中国全人代】国家主席の任期撤廃、改憲案を可決 中国政治体制の分岐点―【私の論評】共産党よりも下の位置づけの中国憲法の実体を知らなければ現状を見誤る(゚д゚)!

【中国全人代】国家主席の任期撤廃、改憲案を可決 中国政治体制の分岐点

全人代で憲法改正案が採択され、拍手する
習近平国家主席=11日、北京の人民大会堂

 中国の全国人民代表大会(全人代=国会)は11日、国家主席の任期を2期10年までに制限した規定を撤廃する憲法改正案を可決した。賛成2958票に対して反対は2票、棄権3票で賛成票が99%を上回った。習近平国家主席が兼務する中国共産党総書記と中央軍事委員会主席に明文化された任期制限はなく、最高指導者としての習氏の3期目続投が制度上可能となった。

 党内や国内世論の一部では、習氏の長期政権化が集団指導体制の崩壊や個人独裁、指導者終身制につながるとの懸念も高まっている。だが、習指導部が反腐敗闘争で政敵の打倒を進めた結果、強引ともいえる権力集中を表立って阻止できる党内勢力は存在しないのが現状だ。中国の政治体制は大きな分岐点を迎える。

 1982年に制定された現行憲法の改正は14年ぶり5回目で、今回は習氏と党の権威強化が主眼だ。今世紀中頃までに、「社会主義現代化強国」を実現することをうたう「習近平による新時代の中国の特色ある社会主義思想」が、毛沢東思想やトウ小平理論などと並ぶ「中国各民族人民」の指導思想として位置づけられた。中国で現役指導者の理念が憲法に明記されるのは毛沢東以来。

 また、総則第1条の「社会主義制度は中華人民共和国の根本的な制度だ」との文言に続いて「中国共産党の指導は中国の特色ある社会主義の最も本質的な特徴だ」と追加し、共産党統治の正統性が強調された。

 このほか反腐敗闘争の制度化に向け、党員以外の公務員らも摘発対象とする国家機関「監察委員会」の設立を憲法に明記。行政機関の干渉を受けない独立した監察権の行使が認められ、国務院(政府)や最高人民法院(最高裁)、最高人民検察院(最高検)などと同格の機関として位置づけられた。


【用語解説】中華人民共和国憲法

 1954年9月に開かれた初の全国人民代表大会で制定され、その後3度の大幅改正が行われた。現行憲法は82年に制定されたもので「82憲法」とも呼ばれ、序文と「総則」「公民の基本的権利と義務」「国家機構」「国旗、国歌、国章、首都」の4章で構成される。2004年までに計4回の小規模改正を行い、今回の改正では「国家機構」の章に「監察委員会」の新節が加わり全143条となる。総則の第1条では中国について「労働者階級が指導」する「人民民主主義独裁の社会主義国家」だと規定している。

【私の論評】共産党よりも下の位置づけの中国憲法の実体を知らなければ現状を見誤る(゚д゚)!

憲法改正案に賛成2958票に対して反対は2票、棄権3票とされていますが、この意味するところは何なのでしょうか。これには、2つの見方があると思います。

まずは、習近平が権力を完璧に掌握できていないという見方です。もし、完璧に掌握できていたとすれば、反対や危険票は出ないはずです。

もう一つの見方は、習近平が憲法改正の投票がまともであることを印象づけるため、わざと反対2、棄権3が出るように仕組んだという見方です。

私自身は、この2つの見方以外にないと思います。そうして、いずれの場合であっても、習近平は未だ全権力を掌握していないとみるべきです。

なぜなら、最初の見方では、そもそも反対票がでているということは、習近平が権力を掌握できていないということです。

二番目の見方の場合では、憲法改正の投票がまとめであることを印象づける必要性があるということです。それは誰に対してかといえば、まずは共産党内部において、まともな投票が行われたことをアピールするという側面と、中国人民に対して、習近平はまともな手段を用いて、国家主席の任期撤廃をしたということを印象づけるためです。

いずれの場合でも、やはり習近平が全権力を掌握していない可能性が十分にあります。

英経済誌 エコノミストの表紙に掲載された皇帝になった習近平

それと、上の記事では、中華人民共和国憲法の位置づけが説明されておらず、この記事を読んだ多くの人は、中国の憲法も、日本や他の憲法も同じようなものであって、 国家の統治権・統治作用に関する根本原則を定める基礎法であり、他の法律や命令で変更することのできない国の最高法規であると無条件で思い込んでしまうかもしれません。

しかし、これは完璧な間違いです。なぜなら、中国には憲法の上に君臨する存在があるからです。言わずと知れた、中国共産党です。中国の憲法前文には"中国共産党の指導"という文言があります。該当部分を以下に引用します。
中国の各民族人民は、引き続き中国共産党の指導の下に、マルクス・レーニン主義、毛澤東思想、鄧小平理論及び"三つの代表"の重要思想に導かれて、人民民主独裁を堅持し、社会主義の道を堅持し、改革開放を堅持し、社会主義の各種制度を絶えず完備し、社会主義市場経済を発展させ、社会主義的民主主義を発展させ、社会主義的法制度を健全化し、自力更正及び刻苦奮闘につとめて、着実に工業、農業、国防及び科学技術の現代化を実現し、物質文明、政治文明および精神文明の調和のとれた発展を推進して、我が国を富強、民主的、かつ、文明的な社会主義国家として建設する。


"中国の各民族人民は、引き続き中国共産党の指導の下に"ですから、中国の憲法や人権は、ハナから"制限付き憲法・人権"にしかすぎないわけです。

習近平が憲法を変えたということで、習近平がとうとう中国皇帝になり、なにもかも思い通りにできると考える人がいるかもしれません。しかし、これは、表面上はそうかもしれませんが、実体は違う可能性が十分にあります。

そもそも、憲法の上の存在が共産党であり、習近平が現状では共産党の最高権力者なのですから、憲法に違えたことを習近平はいつでもできるし、憲法改正も他国と比較すれば、容易にできるということです。

そもそも、中国では憲法の上に共産党があるということで、元々民主的でもないし、政治と経済の分離ができていないので、すべての中国経済は常時中国政府のコントロール下にあり、実際政府が経済のすべての点に関して、規制したり管理することができる体制にあります。これは、共産主義ではなく国家資本主義と呼ぶべき体制です。さらに、法治国家化もされていないのです。

最近まで、憲法改正がなかったのは、中国にあるいくつかの政治派閥の力がある程度均衡していたからに過ぎず、中国の憲法が他国憲法のように有効に機能していたというわけではありません。

これは、派閥のヘッドが他の派閥のさらに上に出ることができなかったか、出ようとしなかったからに過ぎないのです。それは、出れば他派閥に潰されるからです。

習近平はここ数十年ではじめて、他の派閥のさらに上に出て、全権力を掌握しようとしているわけです。

しかし、そのようなことがおいそれと成功しそうもないのは、はっきりしています。まずは、江沢民、胡錦濤の元前総書記には鄧小平に指名されたとの統治の正当性がありました。しかし習近平以後の党指導者にはそれがありません。

さらに、毛沢東に関しては、大虐殺をしたという悪い側面もありますが、建国の最大功労者であったことには異論はないと思います。鄧小平は、天安門事件では、軍隊の出撃を命令し大虐殺をしたという悪い側面もありますが、毛沢東の死後、文化大革命によって荒廃した中国に四つの経済特区を指定することで改革開放を実施し、その結果、著しい経済成長が起こり、現在の中国を基礎を築きました。

建国の父である毛沢東(左)と現代中国経済の基礎を築いた鄧小平(右)

しかし、習近平にはそのような成果は何もありません。一帯一路を実行しようとしていますが、これは今のところ構想に過ぎず、さらにこの構想はこのブログでも何度か掲載させていただたように、とても成功の見込みはありません。ということは、習近平には毛沢東や鄧小平なみの成果をあげることは不可能であるということです。

さらに、習近平が、如何に腐敗と戦っても、腐敗は古来中国の伝統であり、撲滅することは不可能です。それどころか、習近平自身がファミリー・ビジネスなどで、腐敗しています。腐敗しているものが、腐敗撲滅するなど、撲滅される側にとっては理不尽以外の何ものでもありません。日本を含めた先進国の感覚では、中国の幹部で全く腐敗していないものなどいません。それを考えると、この先の10年以上も習近平独裁政権が続いていることは想像しにくいです。

いずれかの時点で、習近平体制が崩れ、その後中国共産党独裁体制も崩れるであろうと、見なすのがまともだと思います。

私は、今回の習近平の独裁体制は、現在の中国政治体制の崩壊の序曲であると見なすべきだと思います。これは、中国憲法が共産党よりも下という位置づけを理解しないと、到底理解できないと思います。

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2017年11月13日月曜日

加計学園報道、もうマスコミは「敗北」を認めた方がいい―【私の論評】現状のままでは野党もマスコミもかつてない程弱体化する(゚д゚)!

加計学園報道、もうマスコミは「敗北」を認めた方がいい

間違った指摘を繰り返すなら意味がない


経済学者 嘉悦大学教 高橋洋一


さすがに黙っていられない

文部科学省の大学設置・学校法人審議会(設置審)が、11月9日、加計学園の獣医学部新設計画に対し「可」とする答申を行った(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/daigaku/toushin/attach/1398164.htm , http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/daigaku/toushin/attach/__icsFiles/afieldfile/2017/11/10/1398164_1.pdf)。

それに対して、マスコミがいろいろと報道をしているが、未だにお粗末であるから嘆かわしい。筆者は過去に何度も加計学園についての「疑惑報道」の問題点を指摘したが、本稿を改めて書いてみようと思ったのは、10日のNHKの報道(http://www3.nhk.or.jp/news/html/20171110/k10011219211000.html)があまりに酷かったからだ。

これを見ると、NHKは特区の役割と文科省設置審の役割がまったくわかっていないようだ。それであるのに、「文科省認可がおかしい」というトーンで報じている。

これらの報道を見ているときに思うことは、まず、マスコミは基本的なリテラシーがないということだ。役所から出す情報は、①法律・政省令・告示の公文書、②統計データ、③答申が基本である。ところがマスコミは、これらの基本情報すら読めない。これは筆者が官僚だった時代の実感でもある。

特に①と②については全滅、つまり理解できないのである。そこで、なんとか理解しようと官僚のレク(説明)を求めるのだが、こうなると官僚が記者を操作することが可能になる(いわゆる「役所ポチ」の誕生だ)。

さて、加計報道に関しては、まずメディアが①を読んでいないという致命的な欠陥が浮かんでくる。

本コラムの読者であれば、筆者が早い段階からこの問題について何度も書いてきたことをご承知だろう。その中で、一貫してマスコミは「加計学園獣医学部の設立に関しては、総理の意向があった」というが、各種の公表資料を見たうえで、「そんな意向はなかった」といってきた。

もちろん、マスコミが決定的な証拠を出せば、筆者の負けであるが、これまで週刊誌がこの問題を最初に報道してから9ヶ月程度がたっており、国会での関係者の証言などもあったが、総理の意向を証明するものはなかった。
マスコミにとっては、元文部科学省事務次官の前川喜平氏の証言だけが頼りであったが、結局前川氏も国会で明確にその「意向」を立証できず、その他の関係者は総理の意向を完全に否定していた。

筆者がなぜそうした結論に達したかは簡単だ。加計学園を特区で扱ったのは、大学学部認可の申請を行えるように告示改正をしたからだ。文科省設置審は、認可申請の後に認可審査を行うところであるのだが、NHK報道はこの点を無視しているのか、まったく言及していない。

大学学部認可というと大げさにみえるが、行政法では、「運転免許」と同じようなものである。行政の世界では、大学学部認可の申請といえば、大学が「自動車学校」に入学するような話であり、大学学部認可とは、大学に「運転免許」を与えることを意味する。その後、文科省の設置審が「可」の答申を出すことは、自動車学校において、学科・実地試験に合格することと同じである。

このたとえで、加計学園の問題の本質がわかるだろう。次ページでその本質を説明しよう。

文科省の開き直り

要するに、加計学園はもともと自動車学校へ入学する(新たな学部の申請を行う)という段階で、免許合格までは保障されたものではない。メディアはこの段階で「総理の意向があったはずだ」というのだが、そんな初期の段階で、偉い人の助けを借りるだろうか。筆者の役人の時の経験からいっても、入学の段階でわざわざ総理の意向なんて介在する余地などない。

しかも、大学学部認可は、50年以上も申請させていなかったという。これは本コラムで、認可制度の運用として、違法まがいであることを指摘してきた。たとえばある学生には自動車学校への入学をさせない、という規制であり、現実にそんなものがあれば問題になるだろう。

しかも、申請させないという規制は、法律ではなく告示という形でなされた、文科省だけの判断によるものである。

このたびの加計学園の問題では、50年以上も新学部の申請をさせないという「ゆがんだ行政」が、申請できるように「正された」だけである。

筆者がはじめて加計学園の問題を聞いたとき、認可の申請をさせるような規制緩和(告示改正)なら簡単にできると直感した。公表されている内閣府と文科省との間の議論をみれば内閣府の完勝である。だから、総理の意向なんてありえないと思ったところだ。

ところが、文科省は卑劣にも「総理の意向があった」と文科省内文書に書き、それをマスコミにリークした。それがほぼ半年前である。そのときは、安倍総理が改憲の意向を強めているという新聞記事が出た直後なので、改憲潰しに加計問題を利用するつもりかと思ったくらいだ。

そのとき、出てきたのが前川喜平氏である。筆者は、自らが手がけた天下り規制がようやく本格的に適用できた文科省の組織ぐるみの天下り斡旋問題で、その首謀者に前川氏がなっていたことを知っていた。

それが明るみに出たのが今年初めであり、前川氏は文科省天下りを組織ぐるみで行っていた責任をとって今年3月に辞任した。本来であれば懲戒免職ではないかと思い、官邸関係者に聞いたこともある。

しかも前川氏は、新国立競技場の建設をめぐっても、高額発注で問題を起こしたことがある人物だ。その段階で通常であれば役人を辞めるのだが、文科省ではなぜか生き残ってきたのは、役人の経験がある筆者から見れば不思議だった。文科省は一般に三流官庁と言われているため、人材が不足しているのだろう。

これ以上は、税金の無駄遣いでは…?

いずれにしても、マスコミが問題をみつけた当初の段階で「疑惑」と報道するのはいい。それは彼らの重要な役割でもある。しかし、最初の週刊誌報道から9か月も経っている。文科省文書のリークを朝日新聞が報じてからも半年経っている。その間、マスコミは疑惑を言い続けているが、何も新たな決定的な証拠を示していない。

もともと、これは「悪魔の証明」であり、「そんなものはない」という人に挙証責任を負わせるべきものではなく、疑惑を指摘する側のマスコミが決定的な証拠を示さないと話にならない。

疑惑と言い続けているのは、マスコミが仕事をできないことを白状しているようなものだ。普通の民間企業であれば、半年も進展のないプロジェクトであれば、もう終わりにすべきだろう。

また、これを延々追及する国会議員も情けない。もちろん、これもマスコミと同じで、決定的な証拠をつかめたのなら話は別だ。ただ、彼らもさんざん血税を使って調べたはずだろう。それでも答えを出せないものを追及するのは、税金の無駄使いでしかない。

去る10日には、毎日新聞が改めて前川氏の話を聞いて「(加計学園獣医学部)「認可すべきではない」前川氏が疑問呈す」と報じた(https://mainichi.jp/articles/20171111/k00/00m/040/101000c)が、これも酷かった。

認可すべきでない、というのなら、どうして現役の官僚の時に、そうした行動をとらなかったのか。不思議で仕方ない。前川氏については、本コラムで何度もその主張の問題点を書いてきたが、この記事の中でも致命的なものがある。

ネットでは、前川氏の「(加計学園には)博士課程もないのに先端研究ができるわけがない」という主張に対して、飯田泰之氏が「一期生が最終学年になるまで博士課程は設置できない」といったことが取り上げられていた(https://anonymous-post.com/archives/15671)。

しかし、これはやや勘違いだろう。大学院は、大学院大学と言うくらいで、学部とは独立した存在である。学部のない大学院大学もある。つまり、学部がなくても大学院は設置できるわけだ。

そうであるので、飯田氏のいう「一期生が最終学年になるまで博士課程は設置できない!」というのは、ちょっと勘違いだとは思う。大学院設置の関係文書をみても、そうした規制は筆者の見る限りない。

医学部が37年ぶりに新設され、加計学園と並んで話題になった国際医療福祉大は、昨年の17年度に学部を開設している(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/daigaku/toushin/attach/1376289.htm http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/daigaku/toushin/attach/__icsFiles/afieldfile/2016/08/26/1376289_02_2.pdf)。

そして大学院は、今年の18年度大学院開設になっている(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/daigaku/toushin/attach/1398164.htm http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/daigaku/toushin/attach/__icsFiles/afieldfile/2017/11/10/1398164_2.pdf)。

これを見れば、学部と大学院は同時に開設しなくてもよいことが分かる。常識的に考えても、大学は学部申請をするだけで忙しく、大学院も同時に申請することはできないだろう。しかも、昨年の国際医療福祉大医学部の時には、前川氏が事務次官であったときだ。そのとき、大学院はまだ認可していない。

それにもかかわらず、今回の加計学園で「加計学園には大学院がないから問題」ということは、自分が現役官僚時代にやったこと否定するもので、いかにも前川氏らしい、二枚舌・ダブルスタンダードであり、自分への大ブーメランとなっている。

こんな人のコメントを載せるぐらいしか「追及」の方法がないのなら、もう報道する価値はないはずである。いったいいつまでマスコミはこのことについて報道するのか、さすがにあきれてしまう。

最後に、マスコミ報道も「やり過ぎ」というレベルになれば、「根拠なく加計学園の名誉を毀損し、営業を妨害した」となりかねないのではないだろうか…という懸念を表明しておきたい。

【私の論評】現状のままでは野党もマスコミもかつてない程弱体化する(゚д゚)!

高橋洋一氏の以下の主張を私なりにもう少しわかりやすくしてみようと思います。
加計学園はもともと自動車学校へ入学する(新たな学部の申請を行う)という段階で、免許合格までは保障されたものではない。メディアはこの段階で「総理の意向があったはずだ」というのだが、そんな初期の段階で、偉い人の助けを借りるだろうか。
加計学園を受験生とします。これが、文部省大学という大学の入学試験を受けることになつたとします。この受験生は文部省大学に対して、受験の申請を行い、文部省大学が加計受験生に対して、受験票を交付しました。無論受験票を交付されたらといって、大学に即合格というわけではありません。

この受験生は、文部省大学が指定する、日付・日時に試験場におもむき、所定の試験を受けて、その後試験結果の判定を受けて合否が決定され、合格ということになれば、はじめて文部省大学に入学することができます。この段階では、文部省大学に入学できるかできないかは、受験生はもとより、文部省大学側もわかりません。(いわゆる加計問題で、大学学部認可の申請に相当する)

大学入試では受験票を交付されたからといって合格するわけではない。受験生は
大学等が指定する受験会場に所定の時間におもむき試験を受けなければならない
この段階で、この受験生は不正入試をしたと疑われ、学長と受験生は友達関係にあり、文部省大学は不正行為をしたとされ、マスコミがこれを報道し、国会議員は国会でこれを追求しました。こんなことは、あり得ないだろうと高橋洋一氏は主張しているわけです。

ただし、この段階でこの受験生が何やら不正をしていたことがはっきりとわかるような証拠があれば、にわかには信じられないとはしても、確かに不正があったとできるかもしれないですが、数ヶ月たっても何の証拠もあがってきていないのです。

そうして、その後文部省大学の、入試担当の教員(いわゆる加計問題での文部科学省の大学設置・学校法人審議会にあたる)が、11月9日、加計学園の獣医学部新設計画に対し「可」とする答申を行ったが所定の手続きにより、この受験生の合格を決定したということです。

この段階で、不正があったというのなら、まだ話は理解しやすいです。ただし、この段階ばすでに不正があったとするのも、不自然です。受験票の交付の段階で、不正ありとすでに疑われていたのですから、その後入試担当の教員らがわざわざ不正行為をすることは考えにくいです。教員らは所定の手続きにしたがって、合否を判定したと考えられます。そうて、その後不正行為をしたという証拠も無論あがっていません。

それに、この疑惑は、受験票の交付時点での疑惑が主なものであり、そもそも、マスコミも野党の政治家も最初から筋悪の追求をしていたとしか思えません。

高橋洋一氏は、さらに以下のような主張をしています。
マスコミは基本的なリテラシーがないということだ。役所から出す情報は、①法律・政省令・告示の公文書、②統計データ、③答申が基本である。ところがマスコミは、これらの基本情報すら読めない。これは筆者が官僚だった時代の実感でもある。 
特に①と②については全滅、つまり理解できないのである。そこで、なんとか理解しようと官僚のレク(説明)を求めるのだが、こうなると官僚が記者を操作することが可能になる(いわゆる「役所ポチ」の誕生だ)。
①については、特区のワーキング・グループの議事録なども、私はこのブログにも掲載し、不正行為があり得ないことを主張しましたが、 マスコミはそれすらもしていません。マスコミや野党も、②の統計もほとんど閲覧している様子は伺えませんでした。

やはり、マスコミも野党も、基本的なリテラシーに欠けているとしか思えません。これは、財務省や日銀関連の報道にも良くみられることです。マスコミは、役所の発表した資料や官僚が説明をした内容を咀嚼することもなく、そのまま報道していることがほとんでです。経済に関するまともな知見などないのでしょう。

このブログでは、マネジメントの原則から見た民進党消滅の要因を掲載したことがあります。これは、民進党に限らず、マスコミにもあてはまると思います。その記事のリンクを以下に掲載します。
リベラル勢力たちの自業自得 「反安倍なら何でもあり」では国民から見捨てられるだけ―【私の論評】マネジメントの原則から見る民進党消滅の要因(゚д゚)! 
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、以下に短くまとめます。
第1は、自分たちの使命は「政権や権力と戦うこと」と定義してしまうと、本来の使命を考えなくなってしまうことです。

これは、誰が考えてもわかります。「政権や権力と戦うこと」自体は、手段に過ぎません。「政権や権力」と戦って、相手を潰したり、あるいは弱めたりすれば、自分たちの主張が通りやすくなります。 
これは、あくまで自分たちの主張を通すための手段です。戦って、相手を潰したり、弱めた後には、自分たちは何をしたいのか、何をするのかはっきりしていなければ、全く意味がありません。 
経営学の大家であるドラッカー氏はリーダーシップと、使命について以下のように語っています。
真のリーダーは、妥協を受け入れる前に、何が正しく、望ましいかを考え抜く。リーダーの仕事は、明快な音を出すトランペットになることである。(『プロフェッショナルの条件』)
ドラッカーは、リーダーシップとは、人を引きつける個性のことではないといいます。そのようなものは煽動的資質にすぎないとしています。まさに、「安倍政治を許さない」は、扇動的キャッチフレーズに過ぎないものです。
第2に、「アベ政治を許さない」では、まともな意思決定ができないということがあります。経営学の大家ドラッカー氏は、意思決定について以下のように述べています。
決定においては何が正しいかを考えなければならない。やがては妥協が必要になるからこそ、最初から誰が正しいか、何が受け入れられやすいかという観点からスタートしてはならない。(『経営者の条件』)
決定においては何が正しいかを考えなければならないというのは、別な方面からると、誰が正しいか、誰が間違いであるかを考えてはならないということです。

これは、誰でも理解できます。社会問題を解決したり議論するときに、「誰が正しい、誰が間違い」などと議論することは不毛な結果しか招きません。やはり、「何が正しい、何が間違い」という議論をすべきです。
第3に、民進党は、「アベ政治を許さない」という信念に凝り固まって、妥協の仕方が下手だということもあります。ドラッカーは次のようにも述べています。
頭のよい人、しかも責任感のある人は、せっかくの意思決定も実行されなければ意味がないと思う。そのため、最初から落としどころとしての妥協を考える。(『経営者の条件』)
安倍総理は、意思決定においては、最初から落とし所の妥協を考えているわけではありません。無論政治の世界には妥協はつきものなので、全く考えないということはないですが、少なくとも、野党と比較するとその度合いはかなり少ないです。

ドラッカーは、妥協について以下のように述べています。
妥協には2つの種類がある。1つは古い諺の「半切れのパンでも、ないよりはまし」、1つはソロモンの裁きの「半分の赤ん坊は、いないより悪い」との認識に基づく。前者では半分は必要条件を満足させる。パンの目的は食用であり、半切れのパンは食用となる。半分の赤ん坊では妥協にもならない。(『経営者の条件』)
ソロモン王の裁きの故事に基づく絵画 「ジェームズ・ティソ作 19世紀」


この3つの要因は、そのままマスコミにも良くあてはまっていると思います。ただし、第3の項目は、さほど当てはまってはいないようにもみえます。政治の世界は、何を行うにしても妥協の産物にならざるをえないところがありますが、マスコミはビジネスであり、政治の世界ほどは妥協は少ないからです。

それにしても、ある程度は妥協は必要ですが、マスコミも妥協の仕方は下手なようです。おそらく、「加計問題」でも、正しい妥協ができないマスコミがでてくるのではないかと思います。

いくら自分たちの使命は「政権や権力と戦うこと」であり、「アベ政治を許さない」と言う揺るがない信念をもって報道にあたっても、今回の選挙でも野党はボロ負けしています。

希望の党と、立憲民主党をあわせて、130以上の議席でも獲得できれば、野党として政治にある程度大きく関与できたでしょうが、現実には105です。これでは、まともに立ち直るだけでも数年はかかるでしょう。

マスコミは良かれと思い、「加計問題」でも、野党を応援するような報道を行ったにもかかわらず、この有様です。

今後も筋悪の「加計問題」を追求し続ければ、野党にとっては良いようにもみえますが、最初から何の生産性もない問題に野党を拘泥させることになり、野党は政策も、政局も見失いますます衰退していくことになると思います。

野党がますます衰退することになれば、今のままではあれば、マスコミも衰退することになるでしょう。この場合、マスコミも妥協を行い、「加計問題」からは距離をおくなどの正しい妥協を行えばよいのでしょうが、妥協の仕方を誤れば大変なことになるでしょう。

今回は、加計問題を受験生にたとえてみましたが、この架空の受験生のようなことが本当に起こったとして、私や私の家族がこの受験生だったとしたら、マスコミが疑惑を報道しつづけるというのなら、私は確実にマスコミや野党の議員を訴えます。

これは、高橋洋一氏も指摘していますが、今までも酷かったですが、これからも酷いことをすれば、加計学園が訴訟を起こすことになりかねません。そうなれば、当然のことながら、野党の関与も調べられることになります。不正の証拠がないということになれば、有罪になる可能性は高いです。

そうなれば、野党もマスコミもかつてないほどに、弱体化することになると思います。そうして、今のところはその確率が非常に高いと思います。

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2017年9月10日日曜日

教育分野への経産省の「領空侵犯」は歓迎すべきだ―【私の論評】現在の日本の学校は、知識社会の現状に対応していない(゚д゚)!

教育分野への経産省の「領空侵犯」は歓迎すべきだ

この閉塞感は日本だけだから


 教育現場に生産性は必要ない?

経済産業省は、'18年から教育現場で新たな事業支援を始めることを発表した。

具体的には、教育現場の生産性を高める目的で、授業や部活の外部委託の援助をする。たとえば、外部講師がインターネットで、生徒一人ひとりのレベルに合わせた授業を行う場合や、「休日出勤」を強いられる部活動の顧問の代わりに、外部の人物に部活動の指導を依頼する際には資金援助を行う。教育現場の改善にむけ、ベンチャー企業を学校に紹介するともいう。

この事業支援は'18年度予算の概算要求に盛り込まれる予定だが、そもそも教育現場は文部科学省の管轄。経産省はうまく折り合いをつけてやっていけるのだろうか。

霞が関の各省庁は縦割りでしっかり区切られているが、実は経産省は伝統的に各省庁の事業に首を突っ込むことで有名だ。

たとえば外務省の管轄である外交の場では、かつては「通商交渉」として外務省と競いながら、ある意味「二元外交」をしてきた。また、電気通信の分野では、かつての郵政省の電波行政に対して、通信産業の振興を目的に主導権争いをしてきた。

今回も教育という文科省の分野に、経産省が口を挟んできたわけだが、こうした省庁間での政策の競争をよく思わない人間も霞が関の中にはいて、今回の経産省の政策にも否定的だろう。

そうした人からは「教育はビジネスではない」という批判が出てくる。「聖職者」である教師の仕事を外部に委託させるとか、ベンチャー企業に学校教育の一部を託すとか、結局企業を儲けさせたいだけなのでしょう、と言いたいのかもしれない。

あたかも教育現場に生産性は必要ないという理想主義を持っているかのようだ。

 教育現場はもっとよくなる

たしかに、今の教育基本法第9条では「法律に定める学校の教員は、自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず研究と修養に励み、その職責の遂行に努めなければならない」と、教員の崇高な使命を規定している。

学校教育に株式会社が参入することについて、強硬に反対しているのは文科省だ。学校教育法では、学校は国公立か学校法人設置かに限られ、株式会社の参入は認められていない。小泉政権の時、すったもんだの議論の末、特例として特区内では「株式会社立学校」も認められた。

しかし「株式会社立学校」では私学助成金がもらえず、また法人への寄付についても税制上の優遇措置がなく、財政的に不利だ。そのようななか、現存するインターネットを活用した通信制の株式会社立学校は頑張っているほうだ。

この「株式会社立学校」だけでなく、塾や予備校は文科省からみれば日陰の存在だ。時には、それらの存在を気に食わず、潰しにかかることもある。

実際のところ、学校を文科省が認めた学校法人に限るという規制は、諸外国では見られない。学校において多様性を認めない日本の文科省はガラパゴス的な存在だ。

そうした日本の教育行政を変えられるなら、経産省の教育支援はいいことだ。経産省が他省の縄張りに「領空侵犯」しても、文科省の行政に活を入れるためなら許されてもいいと筆者は考える。政策間競争が行われれば、結果として国民にはメリットになるはずだ。

【私の論評】現在の日本の学校は、知識社会の現状に対応していない(゚д゚)!

誰もが教育を大事にし充実すべきだと言います。でも、その費用に見合うものを得ていると思う人は滅多いないと思います。

教育は放っておくにはあまりに大きな問題になりました。知識社会においては、教育がキャリア、機会、昇進を左右するからです。


ただし、知識社会といった場合、知識の意味が20世紀の時代と比較すると変わったことを認識しなければなりません。

20世紀に知識といわれたものは、百科事典に掲載された内容のようなものでした。ですから、20世紀に知識人と言われた人々は、今日の感覚からすると単なる物知りに過ぎませんでした。

21世紀になってから、しばらくして、先進国のほとんどが知識社会に入ってから、この知識の意味が変わりました。知識社会における知識とは、具体的に仕事に適用できる知識を意味するようになったのです。そうして、百科事典に掲載されている内容のようなものは、情報と呼ばれ、知識とは明確に区別されるようになりました。

知識と情報は、異なります。たとえば、救急医療に用いられる医学知識を思い浮かべて下さい。最近の救急医療に用いられる知識は現場で具体的な治療方法として使えるものであり、それもかなり高度な治療に適用できるものです。

そうして、知識社会とそうでなかった時代との大きな違いは、知識社会以前は富の源泉が、お金でしたが、知識社会においては、知識が源泉になったのです。

お金は制約条件に過ぎなくなりました。お金がなければ、いかに優れた知識があったにしたとしても、会社であれば、人材を確保したり、設備投資もできません。しかし、お金がいくらあっても他社を出し抜くような高度な知識がなければ、現代企業は富を生み出すことはできません。

このような知識社会になったにも関わらず、それに対応すべき学校は、現状では教員の生産性が低過ぎます。

教員の生産性を上げ、成果を上げさせ、彼らの知識、技能、努力、献身を無駄にすべきではありません。

生徒や学生の成績不振は学校の責任であり、そう考えない教員はすべからく恥ずべきです。あらゆる組織の構成員が、成果に責任があります。教育者も自分の成果には責任があります。成績の悪い学生を責めることは許されないです。なぜなら、成績の悪い学生を生み出したのは、教育者の責任だからです。

これは、企業内での教育を考えると、よく理解できます。現場に何もできない社員しか配置できない、人事部は無能と謗られても致し方ありません。まともな会社の人事部は、採用から社内教育までかなり計画的に実践的に行います。個々人の能力、傾向、個性を把握して、配置を決め、それに見合った教育を行います。これには、あまりに労力がかかるので、一部あるいはかなの部分を外注に頼る企業もあります。

しかし、現在の学校は、現在の知識社会に対応していません。ただし、これは現場の教師だけの責任ではありません。やはり、大きな責任は文科省にあります。すでに生徒や学生が反旗をひるがえしています。教室で教えていることが退屈で無意味であるとしています。教育の重要度は増しているにもかかわらずです。

学校はもはや新しい世界への窓ではありません。唯一の教育の場でもありません。残念ながら、古びた代用品にすぎません。なぜなら幼児でさえ、テレビなどを通じて生々しく外の世界を見ているからです。今日の電波、インターネットなどの通信、メディアはその方法と形態において、コミュニケーションの達人であるからです。

子供たちはなぜ学校が退屈きわまりないのか、息が詰まるだけのところになっているのかを知りません。しかしテレビの水準に慣れ親しんだ彼らは、今日の教え方では受けつけません。許された唯一の反応が勉強をしないことです。

知識社会においては知識はすぐに陳腐化する
知識社会では、方法論にかかわる知識が必要となります。これまで学校では教えようとさえしなかったものが必要になるのです。知識社会においては、学習の方法を学んでおかなければならないのです。

知識社会においては、すぐに陳腐化する教科内容そのものよりも、学習継続の能力や意欲のほうが、重要です。知識社会に入ってすでに数十年になった現在では、生涯学習が欠かせません。したがって学習への規律が不可欠です。

実際には、何を行うべきかは明らかです。事実、何千年前からとは言わないまでも何百年も昔から、継続学習への動機づけとそのための規律は知られています。

優れた美術の教師が知っています。優れたスポーツのコーチが知っています。最近の管理者研修用の資料によれば、組織内の優れた「助言者たち」が知っています。

彼らは、生徒を指導し、生徒自身が驚くような優れた成果をあげさせます。その結果、生徒は興奮し、意欲を持ちます。とくに、継続学習に欠かせない厳格な規律を伴う絶えざる作業と訓練に対して意欲をもつことになります。

音階の練習ほど退屈なものはないです。それでもピアニストは、大家になればなるほど、音階の練習を忠実に繰り返します。毎時間、毎日、毎週繰り返します。

ピアニストは日々音階の練習を繰り返す
同様に、外科医も、優秀であればあるほど、傷口の縫い目を正確に合わせるための練習を毎時間、毎日、毎週繰り返します。

ピアニストは、何ヶ月も、あくことなく音階を練習します。しかし演奏の技術は、ごくわずか向上するだけです。でも、このわずかな向上が、すでに内なる耳によって聴いている音楽的成果を実現さるのです。

外科医も、何ヶ月もあくことなく傷口を縫い合わせる練習をします。しかし、指の技術はごくわずか向上するだけです。しかし、このわずかな向上が手術のスピードをあげ、患者の命を救うのです。

外科医は日々傷口をぬ言わせる練習をする
あらゆる組織のマネジャーも同じです。そうして、彼らには同じことを日々繰り返し練習し、より効率よく、より上手にできるようになることも必要ですが、さらに日々生まれる新たで高度な知識を身につけることが重要です。

物事を「達成」するには、それもより良く達成するためには、以上のような積み重ねが必要不可欠です。このように継続的に学習する、意欲を持って進んでいくためには、やはり生徒を指導し、生徒自身が驚くような優れた成果をあげさせる。その結果、生徒は興奮し、意欲を持つ。ここがポイントになっていくのでしょう。

これをできるようにすることこそ、真の意味での教育革命になります。ブログ冒頭の記事にある、「教育現場の生産性を高める目的で、授業や部活の外部委託の援助をする」という経産省の試みはこれを目指すというものではないですが、それにしても現場の教師の生産をあげるために役立つことは間違いないと思います。

これには、すでに先行事例があります。米国では、数十年前に病院で調査が行われましたが、その当時の看護師の最も大きな不満は、ペーバーワークがあまりに多すぎて、患者のケアそのものができないというものでした。

そうして、その対処策として、ある病院でペーパーワーク要員(事務員)を増やして、看護師にペーパーワークそのものをやらせないようにしました。そうしたところ、病院の生産性は飛躍的に高まったのです。

その後このようなやり方が、世界標準となっています。特に先進国では病院の事務は事務員が実施するというのが当たり前になりました。日本でも、大きな病院に行くと、事務員が大勢いる様子を見ることができます。

このような事例もあることですから、経産省の新たな試みは必ず何かの成果生み出すものと思います。実際、現在の学校の教師のスケジュールはあまりにも過密であり、今の状況では確かに本来の子どもたちの教育にさける時間は少ないです。

まずは、日本の教育現場はあまりに遅れているので、このようなところからの改善から勧めていかざるを得ないのです。ここまで遅れてしまっのは、やはり文科省の責任が大きいです。

それから、株式会社学校に関しては、日本では2004年から2009年春までに全国で高等学校21校、中学校1校及び小学校1校が設置されました。既存の学校と違い、カリキュラムを自由に組んで特色を打ち出すことができたり、校舎や運動場等の施設についての条件が緩いのが利点ですが、逆に私学助成金が受けられず、また学校法人への寄付には認められている税制上の優遇措置がないという財政的に不利な点があります。

私自身は、株式会社学校には、学校はそもそも営利組織ではないという観点から反対ではあるのですが、それにしても、日本では非営利組織も欧米と比較すれば、生産的ではないし、その中でも学校の生産性は極めて低いので、選択肢の一つとして株式会社学校も認めては良いのではないかと思います。

とにかく、現在の日本の学校は、知識社会の現状に対応していないのは事実です。この問題もいずれなんとかしていかなければならないです。

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2017年7月28日金曜日

【国防最前線】必要性が低い女性防衛相 圧倒的に男性が多い自衛隊、弱体化しかねない「客寄せパンダ」的施策―【私の論評】現状で、憲法9条だけが変わっても無意味(゚д゚)!


稲田防衛大臣 写真はブログ管理人挿入 以下同じ
私はそもそも「女性を防衛相にする必要性は特にない」と思っている。非常時でも、すっぴんで髪ボサボサというわけにいかないだろうから、そういう意味で適さない。

 小池百合子防衛相時代も、演習場視察の前日から自衛官がひたすら散水を続けたり、動線に敷物をしたり、あれこれ心を配っていたことを思い出す。本人が知れば「そんなことは無用だ」と言うだろうが、やはり男性大臣よりも神経を使うことは確かだ(=ほとんど注意を払わせない、身だしなみなど気にしない女性ならいいかもしれないが)。

 もし、「女性活躍の象徴」として女性防衛相を選んだのだとしたら、何の意味もなさない。

 自衛隊には圧倒的に男性が多い。それは男性にしかできない任務が多いからだ。ただ、女性にできる分野もあり、これまで開放されなかった職種を希望する女性も出てきている。昨今は女性も活躍の場を広げつつあるが、それは人口減に伴う労働者不足を補わなければならない日本全体が抱える状況と同じ。つまり、人手不足が大きな要因だ。

 本来、戦場では女性は足手まといになる。女性防衛相が就任して応募が増えたというなら効果があるといえるが、おそらく、そのような成果は出ないだろう。まして、女性の魅力で(?)沖縄問題が進展したり、憲法改正に理解が広がるなどということもない。

 今後、本気で女性枠を拡大させるならば、女性防衛相を据えることなどではなく、インフラ投資のために防衛費のGDP枠2%以上へ増額など、相当の覚悟をすべきだ。スーパーマーケットとまでは言わなくても、基地や駐屯地に低料金か無料の託児所を完備するなりの徹底した措置を施した上で将来も女性を簡単に諦めさせない体制を構築すべきだろう。

今現在は「任務に全力をささげたい」と考えている女性隊員らが、ある時に価値観が変わり、家庭が優先順位のトップになることは大いにあり得る。その時に、引き留める要素が何もないのなら、それは組織の怠慢となる。

 しかし、問いたいのは、それだけの投資・支出を国民は許容できるのかだ。

 莫大(ばくだい)な経費を要するミサイル防衛、サイバー、宇宙など、日本の防衛に必要な金はまったく足りていない。それらを抑えてまでやるのか? あるいは別枠予算でも付けるか?

 マンパワー獲得という真の目的からかけ離れた、「客寄せパンダ」的な安易な施策では、自衛隊が弱体化しかねない。防衛省をめぐる一連の騒ぎは、自衛隊PKO(国連平和維持活動)のあり方、女性活用の今後を熟考する契機にすべきではないだろうか。 

 ■桜林美佐(さくらばやし・みさ) 防衛問題研究家。1970年、東京都生まれ。日本大学芸術学部卒。テレビ番組制作などを経て著述業に。防衛・安全保障問題を研究・執筆。著書に『日本に自衛隊がいてよかった』(産経新聞出版)、『自衛官の心意気-そのとき、彼らは何を思い、どう動いたか』(PHP研究所)など。

桜林美佐さん

【私の論評】現状で、憲法9条だけが変わっても無意味(゚д゚)!

ブログ冒頭の桜林美佐氏の、論評はやはり女性の軍事問題研究科だからできるというとろがあると思います。男性や、軍事の素人ではなかなか、ここまではっきりとは書けないです。このようなことを男性が書くと、女性差別主義者であるとみなされてしまうかもしれません。

それに、誰が正しいとか、誰が間違いなどというような、倒閣のために自衛隊を利用する輩共とは異なり、不毛な議論ではなく、何が正しい、何が間違いという観点から論じていて、理解しやすいですし、こういう論点なら、正しい意思決定のきっかけづくりにもなりえると感じました。

対戦車ヘリのパイロットの訓練を受ける女性自衛官
私も、女性の防衛大臣は必要ないと思います。これは、直接は関係ないのかもしれませんが、たとえば戦場で戦闘中に用を足すことを考えた場合、女性はなかなか難しいと思います。

昔聴いた話ですが、戦闘中に用を足したくなった場合は、無論我慢はするのですが、我慢しきれなくなった場合、米兵のほとんどは戦闘のその場で、銃をうちながら、大便でも小便でも、用を足すのが当たり前なのですが、日本兵は特に大便の場合など、人目をはばかり、人の見えないところまで行って用を足すものが多く、その間に敵から撃たれるものが結構いたという話をきいたことがあります。

これは、当然のことながら、米兵のやり方が正しいです。戦闘中には、その場で銃をそばにおきいつでも敵に対応できるようにして、用を足すべきです。

1945年3月 硫黄島 
このようなことは、確かに女性には難しいことだと思うのです。とはいいながら、女性のほうがが向いている役割も多いです。

しかし、そうはいっても、桜林さんが主張するように、「女性活躍の象徴」として女性防衛相を選ぶというのは、全く無意味だと思います。

そうして、桜林さんの語っているように"マンパワー獲得という真の目的からかけ離れた、「客寄せパンダ」的な安易な施策では、自衛隊が弱体化しかねない。防衛省をめぐる一連の騒ぎは、自衛隊PKO(国連平和維持活動)のあり方、女性活用の今後を熟考する契機にすべき"です。

自衛隊に関しては、憲法9条を変更する前に、できることは多くあります。また、憲法9条が変わったとしても、自衛隊がすぐに変わることを意味するわけでもありません。

それについては、以前このブログにも掲載したことがあります。
【憲法施行70年】安倍晋三首相がビデオメッセージで憲法改正に強い意欲 「9条に自衛隊書き込む」「2020年に新憲法を施行」―【私の論評】憲法典を変えればすべてが変わるというファンタジーは捨てよ(゚д゚)!
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、以下に一部を引用します。
安倍内閣で防衛費が5年連続増額しているのを、評価する向きもあるでしょう。しかし、防衛費1%枠などという何の根拠もない霞が関の掟を頑なに守っている枠内での話に過ぎません。 
トランプ米大統領は、「同盟国は義務を果たすべきだ。せめて防衛費を文明国水準のGDP2%にまで引き上げよ」と訴えています。 
これは大きなチャンスです。増やせば良いのです。これだけ北朝鮮が暴れまわり、中国やロシアといった不安定要だらけの隣国に囲まれているのです。日本が防衛費をGDP2%に増やしたとて文句を言うのは敵国だけです。 
しかし、国内には防衛費増額を拒む勢力がいます。財政支出抑制を金科玉条とする財務省主計局、彼らに唯々諾々と従う防衛省自衛隊、そしてそれを是とする政治家。
ある自衛隊の駐屯地でのトイレットペーパーに関する注意書き。予算の問題はこんなところにも。
防衛費増額と憲法は何の関係もありません。それとも、自衛隊が、「米軍並のファーストエイドキット携行できるにようにするとか、軽武装をできるだけの人数を充足させる、アメリカ軍楽隊よりもマシな訓練を行えるようにする、トイレットペーパーの減り具合を気にしないで済むようになする」というような、これらの予算請求もすべて憲法改正をしなければできないのでしょうか。そんな馬鹿な話があるはずがありません。
平成27年度自衛隊音楽まつりに参加した米軍の軍楽隊
本気で戦争に備えているのであれば、防衛省は予算の拡大を要求するはずです。現状を見るに、自日本の本気で戦争する気は無いように思えます。このような現状は仮想敵国には見透かされているでしょう。であれば、自衛隊の抑止力はかなり低いと考えられます。 
憲法を改正する以前に、努力してより自衛隊を実戦的に変えることは可能なはずなのです。ところが威勢のいいことを言う「保守の論客」はこのような小さな問題をコツコツと掘り起こし、解決しようという地道な努力をしようとしません。 
世論を煽り、新しい玩具を買え、防衛費を増やせ、自衛隊の定員を増やせ、憲法を変えろと叫ぶだけです。まあ、その方が楽だし人気もでるのかもしれません。しかし、いくら喰うためとはいえ、そんなことで良いのでしょうか。 
できるかどうかもわからない、非常にハードルが高い憲法改正を叫び、それが出来れば世の中は変わると主張し、小さな努力はしない。それでは沖縄で反基地闘争をやっている連中と同じではありませんか。
私は、憲法9条を変えるという安倍総理の考えには、賛成ですが、 その前にできることはするべきです。

そうして、憲法9条を変えさせまいとする野党や、マスコミが、ここにきて一気に日報問題で、稲田防衛大臣を辞任に追い込みました。

稲田大臣は、確かに安倍内閣の中で最も評判が悪い閣僚になっていました。失言も多く、メディア出演・答弁・記者会見も頼りないものでした。記者懇談会に出ないこともあってメディア等からの視線も厳しく、連日連夜、稲田大臣と彼女を支えている統幕・内局に不利な一部の陸自幹部からと思しきリーク情報が報道されていました。

政治指導者の過ちをただし国民に直接説明するという姿勢は一見もっともらしいですが、極めて危険です。なぜならば「国民」とは実際にはひとかたまりではなく、多種多様だからです。

「国民のため」という発想は、「天皇陛下の御為」「国民の為」を掲げた226事件がそうであったように、「自分と同じ考えの国民」という独善に陥りやすいです。だからこそ、今回のリークはクーデターであり、重大なのです。

日本を震撼させた2.26事件
このことを野党やマスコミも指摘すべきであるにもかかわらず、普段は過去の軍部の暴走の危険を例に出し、文民統制の重要性を指摘しておきながら、今回は、目的があくまで倒閣なので、稲田防衛大臣個人や、安倍政権を攻撃するだけです。

とはいいながら、リークの全てを否定するものではありません。例えばパワハラ等への内部告発はもっと行われるべきです。しかし、それはあくまでも文民統制に反しない限り、つまり政治的活動に関与しない範囲であるべきなです。
しかし、それにしても、稲田大臣が辞職し、制服組がリークによって大臣を辞職させ、首相の政治生命すら危うくさせたという前例を作ってしまったということは非常に残念であるし、かなり危険なことでもあります。

なぜなら、今後の防衛大臣が陸自に対して“忖度”せざるを得なくなってしまう可能性があるからです。その結果、陸自の不祥事を追及できず、陸自も含めた防衛省改革が不可能になるおそれがあります。

要するに、今後、稲田大臣に変わって優秀かつ能力があり、熱意あふれる防衛大臣が誕生し、改革を断行しようとしても、真偽不明の内部リークで潰されてしまう、もしくはそうされることを恐れて断念してしまう可能性がでてきたのです。

こうした事態を避けるため、今回の日報問題を踏まえた文書管理のありの方針を決めるべきです。それこそが、本来稲田大臣がとるべき責任であったはずでし、それを稲田大臣にやらせるべきでした。辞任はその後でも良かったはずです。

南スーダン派遣自衛隊日報
部隊がどこいるか補給物資や弾がどれくらいあるかといった部隊の安全に関わる情報が満載された何十ページにも及ぶ日報が、その都度、情報公開請求されれば、部隊にとっては大きな負担になります。

今回のように、その都度情報公開の判断をさせれば、部隊の活動の政治問題化、部隊への政治介入が起こり、部隊にも隠蔽のインセンティブが働いてしまうことになります。このままでは現場の部隊は、上級部隊に何も意味のある報告できなくなり、現場と上級舞台は、分離されてしまうことになります。そんなことになれば、自衛隊は崩壊します。

これらの日報は自衛隊全体では、膨大なものになります。これを逐一、政治家などが日々全部読んで、様々な判断をするなどということは不可能です。無論、自衛隊の幹部などもそのようなことは不可能です。

現場の日報は、何のためにあるかといえば、当該部署の1年間の流れを把握するという意味もあると思います。はじめてその部署についた人でも、日報をみれば大体の流れをすぐに把握できます。だから、現場で日報をある期間保存するというのは当然といえば、当然です。3年間くらいは保存したいところでしょう。5年前のものだと、随分状況が変わっているので、現場でも破棄しても良いかもしれまん。

そこで今後は、このような現場の実情も踏まえて、文書管理の方法を設定すべきです。PKO部隊なら活動が終わった直後あるいは年一回を区切りとして、他の部署なら3年に一回として、活動終了後3年といった公開時期を設定し、あらかじめ公開すべき内容と公開すべき範囲、非公開にすべき内容を定め、特異な事象が発生した場合には即公開するといった基準を設けるべきです。

こういうと、すべてをのべつまくなくリアルタイムで公開すべきであるという愚かな人もでてくる可能性もありますが、この日報は、いわば軍隊のものであり、そもそも最初から公開すべきでないものもあります。たとえば、部隊の脆弱性に関するものなど、一般に公にすれば、仮想敵に対して有益な情報を与えるだけになります。あるいは、当初は重要でなかったものが、後で重要であることがわかるということもしばしばあるはずです。

このあたりも、他国の軍隊のやり方を見習い、慎重に定めるべきでしょう。それから、稲田大臣は辞任しましたが、今後の議論が稲田大臣個人の問題や、安倍総理個人の問題に矮小されることなく、文民統制や日報管理のあり方、そもそも一義的な文民とは国民なのか、政治指導者なのか、まともに議論されべきものと思います。

そうして、憲法9条を変えることも重要なのですが、その前に文書管理等を明確にし、予算も増やすべきです。そうして、文書管理をまともにするためには、他の事柄もかえなくてはないらないことがいろいろと出て来るはずです。それも逐次変えていくべきです。今の状況で、憲法9条だけが変わっても、無意味です。

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