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2016年8月15日月曜日

天皇陛下、「深い反省」再度表明=終戦記念日―【私の論評】沖縄戦で最大の犠牲者を出したのは、実は北海道の将兵(゚д゚)!


全国戦没者追悼式のご出席された天皇皇后両陛下

天皇陛下は15日の全国戦没者追悼式で、昨年に続き「深い反省」との表現をお言葉に盛り込まれた。

追悼式のお言葉は陛下が自ら執筆しており、例年ほぼ同じ表現が続いていた。しかし、戦後70年の昨年は、「さきの大戦に対する深い反省」を中心に新たな文言が盛り込まれた。

今年は全体的に一昨年までの文章に戻す一方で、「過去を顧み、深い反省とともに」と述べ、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願うと続けた。

陛下は1992年に中国を訪れた際や、94年に韓国の大統領を迎えた際の晩さん会のお言葉で、「深い反省」の文言を使ったことがある。

天皇、皇后両陛下は昨年のパラオでの慰霊に続き、今年1月にフィリピンを訪れ、日比双方の戦没者を慰霊している。 

【私の論評】沖縄戦で最大の犠牲者を出したのは、実は北海道の将兵(゚д゚)!

終戦の日というと、最近ではテレビなどでもあまり報道されなくなりました。今年は71年目の終戦記念日です。この日にあたって、こちらは北海道ということもあり、私自身も旭川、札幌、函館と、北海道の三大都市にはすべて住んだ経験もありますので、北海道の戦没者に関する歴史等を掲載しようと思います。

日本が明治維新を迎えた時、世界は酷い状況にありました。獰猛な白人達がアジア・アフリカ諸国のほとんどを植民地にし、その人たちからの富を収奪して豊かな生活を送っていました。


もちろん白人がその文化の高さでアジア・アフリカ諸国を植民地にしたのではなく、砲艦外交、つまり軍艦と軍隊で脅し、時に撃ち殺して植民地にしたのです。

このような時代に明治維新を迎えた日本は、何とかして日本が植民地にならないように頑張りました。そのためには、強い軍隊が必要だったのです。

当時の白人、特にアングロサクソンは極めて征服欲が強く、理屈をいっても通じるような相手ではありませんでした。しかし、軍隊が強ければたとえ小さな国であっても植民地にされるのを防ぐことができたのです。

形式的には、地にはならなかった当時の中国やタイなども外国にかなり干渉されていました。そのため、完全に独力で独立していたのは「日本だけ」といっても間違いではなかったのです。無論、日本は大東亜戦争に敗れて、米軍が進駐してしばらく日本を統治していた時期もありますが、これは日本が米国の植民地であったというわけではありません。

それに、日本は無条件降伏したなどというテレビ報道などを信じこんでしまう人もいますが、これは明らかに間違いです。日本は、ポツダム宣言を条件付きで受諾したのです。これは、本当に先祖に感謝しなければなりません。

日露戦争当時のロシア兵
さて、そんな時代、北海道に入植した日本人が最も恐れたのは北のロシアの侵略でした。ロシアは冬期間にも凍らない港のない国で、何とかそれを手に入れようとして、トルコとクリミア戦争をし、中国では満洲を南下して旅順に軍港を作っていました。隣の国(当時の清国)が弱ると見ると、勝手に隣の国に鉄道を造り、軍港にしてしまうという国だったのです。

ロシアから見ると日本はさらに良いところでした。北海道には、アイヌ人が多かった時代から頻繁に沖合にロシアの船が来ていました。そこで明治政府は日本全体に6個師団あった師団をもう一つ増やして第七師団を北海道の旭川におきました。日本の「北の守り」を第七師団に託したのです.

第七師団が北海道から出たのは日清戦争からですが、その時は師団が旭川から東京に移動したところで日清戦争が終戦を迎えたので、実際には出撃しませんでした。

その後、第七師団は極めて強かったので、日露戦争の時にはもっとも激しかった高地に、その後、ノモンハン事件、さらに太平洋戦争ではあのガダルカナル戦、アッツ島の守備、それに沖縄戦に投入されました。日本人なら誰でもが知っている激戦地に投入されたのです。

ガダルカナルでは、1,507名北海道出身の将兵が戦死、沖縄戦では北海道出身の将兵が約1万人が戦死しています。以下に、大東亜戦争中の北海道出身の将兵の戦没者に関してまとめておきます。
先の太平洋戦争関係で、北海道出身将兵の戦没者:総数は、(109,500名) でした。 最大の犠牲者数が出たのは、沖縄(10,085名) でした。 以下、海上(8,973名),中国(7,671名),フィリッピン(6,117名),日本国内(5,924名),満州(4,421名),ニューギニア(2,813名)、マリアナ諸島(2,219名),ソ連(2,040名),アッツ島(1,571名) ガダルカナル(1,507名) 旭川市の歩兵28連隊・一木連隊,メレヨン島(1,331名) 歩兵26連隊・函館連隊区、樺太(1,398名)歩25連隊・札幌市・月寒連隊等の第88師団、ビルマ(731名),硫黄島(689名),千島列島(546名)以下省略します。
沖縄戦での将兵の全戦死者 95,000名中で、最大比率の10,085名が、北海道出身兵なのです。北海道だけでも、これだけの犠牲者を出した大東亜戦争ですが、戦争が終了する前と、後では、大きく世界が変わり、戦後には植民地はこの世界から消えました。

旧陸軍第七師団の跡地で、現在、陸上自衛隊旭川駐屯地に隣接する「北鎮記念館」
ところで、遠く本州から寒い北海道に入植した屯田兵や第七師団の兵士たちにとって、辛い毎日に勇気をもらい心のよりどころにしたのは神社でした。

屯田兵は旭川神社を作り、第七師団は北海道護国神社を祀りました。そのほかにも石狩川沿いに開発が進むたびに、まず神社を造り、それから活動を開始しました.

人間はそれほど完全なものではありませんから、素晴らしいとされている北海道屯田兵と旭川第七師団の中にも少数ながも「俺たちが国を守っているのだ」という自負が強く、それが「俺たちは国を守っているのだから、威張って良い」という振る舞いをした例もあったのですが、だからといって、屯田兵や師団、それに精神的支柱となった神社の功績が消えるわけではありません。

旭川護国神社
私たちは今、日本が植民地ならなかったことによってアジア諸国の中では最も経済も文化も進んだ国として存在しています。それはかつて、明治維新から太平洋戦争まで自らの命をかけて日本を守りぬいた北海道の旭川のように、北からの脅威に対抗してきた人たちの努力によるものです。

これも多くの誤解があるのですが、大東亜戦争末期に東京や大阪、広島、長崎やその他の大都市が、焼け野が原になったことをもって、日本は戦後ゼロからスタートしたと信じこむ人も多いのですが、それは正しく実体を表していません。

実際、経済指標などを調べると、終戦直後には国富はそれ以前と比較すれば、7割にも減っていましたが、それでも7割です。確かに、都市は焼け野が原となりましたが、北海道の大部分はもとより、全国の農村地帯などが戦災を免れ、そこから戦後の日本はスタートを切ることができました。

そうして、その国富は確かに最盛期と比較すれば、7割にまで減りましたが、当時の特にアジアの他の国と比較すると、国富でトップであり、そこから戦後の日本はスタートしたのです。決してゼロからのスタートではありません。無論現代と単純に比較すれば、質素であったことでしょうが、さりとて、日本が戦後ゼロからスタートというのは、誇張以外の何ものでもないと思います。

その中でも、北海道は石炭などのエネルギー資源、農水産物資源に恵まれており、終戦直後の日本では豊かさを残した地域でした。そのためでしょうか、終戦直後からしばらくは、日本の各地から転入する人が多く、かなり人口が増えていた時期があります。これも、ほとんど忘れ去られた歴史だと思います。

終戦直後の札幌
それに、戦争中や戦争直後など、ご老人たちの昔話を聴いていると、日本のたの地域と比較すると、さほど、食料事情が悪くもなかったようでした。

さらに、私の母方祖父の家は当時旭川あったのですが、隣には当時軍神といわれた、加藤隼戦闘隊の加藤隊長の生家だったそうです。そのような環境だったのですが、日米開戦のときには、曽祖父と近所の駐在さんが、「大変だ、米国と戦争をすれば、日本は負けるかもしれない」と議論をしていたのを祖父がはっきり覚えていると語っていました。

“加藤隼戦闘隊”隊長加藤建夫氏
こんなことを考えると、よくテレビなどで、報道されたり、当時の出来事を題材とたドラマなどで、戦中や戦前は軍部が専横した暗黒時代のようにされているのですが、少なくとも当時の札幌はそうではなかったことがうかがい知ることができます。

無論、終戦間際には、さすがに北海道の札幌でも、食糧事情が悪くなったり、戦争遂行のために様々な犠牲があったことでしょうが、かといって、戦中戦前が暗黒時代であったというドラマや、報道など信ぴょう性はいかがなものかと思ってしまいます。

そうして、旭川は、今旭山動物園やラーメン街で有名です.日本が平和で動物園やラーメンが話題になるのは大変に結構なことですが、その平和を築いてくれたかつての人たち、そしてそれを支えてくださった神社に対してわたくしたちは深く感謝しなければならないでしょう。

そうして、先の大東亜戦争で亡くなられた、北海道の将兵、全国の将兵の方々のご冥福をお祈りいたします。

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