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2017年1月12日木曜日

三島由紀夫「平和憲法は偽善。憲法は、日本人に死ねと言っている」 TBSが未公開テープの一部を公開・放送―【私の論評】人は自分のためだけに生きられるほど強くはない(゚д゚)!

三島由紀夫「平和憲法は偽善。憲法は、日本人に死ねと言っている」 TBSが未公開テープの一部を公開・放送

総監室バルコニーで演説する三島由紀夫(1970年11月25日、自衛隊市ヶ谷駐屯地にて)
作家、三島由紀夫(1925~70年)が自決する9カ月前の昭和45年2月に死生観や憲法観などを語った未発表の録音テープの一部内容が12日夕、TBS系報道番組「Nスタ」で放送された。テープは東京・赤坂のTBS社内で見つかり、これまで「放送禁止」の扱いでアーカイブ部門の責任者が歴代、保管してきたという。

TBSによると、テープには、三島が英国の翻訳家、ジョン・ベスター氏と日本語で対談した音声が約1時間20分にわたって録音されていた。三島がテープの中で、遺作となった小説「豊饒の海」の第3部「暁の寺」について「ちょうど今朝、朝の9時に、『暁の寺』というのが完結したんですよ」と語っていることから、45年2月19日に録音されたものとみられる。三島は「豊饒の海」第4部「天人五衰」を書き終えた直後の同年11月25日、東京都新宿区の陸上自衛隊市ケ谷駐屯地で割腹自殺した。

番組で放送された録音テープの内容は次の通り。


■自身の小説について

三島「僕の文学の欠点は、小説の構成が劇的すぎることだと思うんです。ドラマチックでありすぎる。どうしても自分でやむをえない衝動があるんですね。大きな川の流れのような小説は僕には書けない」

■死について

三島「死がね、自分の中に完全にフィックスしたのはね、自分の肉体ができてからだと思うんです。死が肉体の外から中に入ってきた気がするんです」

■自らの行動について

三島「僕の小説よりも僕の行動の方が分かりにくいんだ、という自信がある。僕が死んでね、50年か100年たつとね、『ああわかった』という人がいるかもしれない。それでも構わん。生きているうちは人間はみな何らかの理由でピエロです」

ベスター氏「神様がわれわれに…?」

三島「人形芝居をやらせている。人生でね、ひとつの役割をね、パペット・プレーを強いられているんですね」


また、TBSによると、テープにはこのほか、次のようなコメントが残されていたという。

■自身の作品について

「僕は油絵的に文章をみんな塗っちゃうんです。僕にはそういう欠点があるんですね。日本的な余白がある絵ってあるでしょう。それが僕は嫌いなんです」

■憲法について

「平和憲法は、偽善です。憲法は、日本人に死ねと言っているんですよ」


■美について

「美とは、何か。自分の一回しかない時間を奪い、塗りつぶし陶酔する濃密なかたまり」

■このインタビューについて

「これは、ひとつのコンフェッション(告白)なんです」

■思想の主張について

「僕は今の日本じゃ、言葉を正すこと以外に道はないんだろうなって思い詰めている。文体でしか思想が主張できない」

■子供時代の気持ち

「僕は、ショーウインドーで見た空気銃が欲しいね、欲しいねって友達と話していた。それが何十年かたって、どうしても鉄砲が欲しくなったのと同じでしょうか。あっはははははは。かかかかか」

【私の論評】人は自分のためだけに生きられるほど強くはない(゚д゚)!

三島由紀夫氏というと、私は彼の以下の言葉がかなり強烈に印象に残っています。

「人は自分のためだけに生きられるほど強くない」

これは真実だと思うのですが、私がこの言葉を知ったのは三島由紀夫氏と東大の学生たちが話をしているところを編集して報道したテレビ番組でした。私が、大学生だった頃でした。

これは、後に1969年5月の三島由紀夫と全共闘との東大構内における議論であったことを知りました。これは、三島が自決する前年の映像でした。そして学生と話す三島の言葉の一つ一つに重たい「実体」を感じました。 発する言葉からそのような重い実体と実在を感じさせた作家・思想家を私はは、他に知りません。

その画像の一部が現在YouTubeに掲載されています。その動画を以下に掲載します。



これを聞いた時は自分のもやもやした生きることの悩みが氷解したような気さえしました。これに関しては、このブログにも何度か掲載しています。

おそらく小さい頃から誰しも言われて育ってきたのは「自分のことばかり考えるな」というとだと思います。これはもっともなことだと思います。そうでなければ、家族もコミュニティも国家も世界も成立しません。しかし程度の差はあれ自分も含めて、多くの人は自分のことしか考えていないと思うようなことが嫌というあると思います。

しかしそれはそれで本能なんだろうと納得して、自分のことばかり考えるのも仕方がない面もあると思ってしまいます。そして、自分の行動を正当化してしまいます。しかし、これは、恐ろしい考え方で、この考えが頭にもたげてきて、それが頭の全部を占めてしまうと、家庭さえも崩壊してしまうことがあるのかもしれないのです。

しかし、実は人は自分のためだけに生きるなどいうことは出来ないように出来ているようです。


ふたたび画像の話に戻ります、「人間、何のために生きるのか?」煙草をくわえながら 学生達と、笑いを生みながら、議論している三島氏の姿に驚きました。笑いがある。死を巡って議論をしています。しかも、真摯に「生」を議論しています。

両者ともにアメリカ由来の「自由」と「民主」とい言葉を排除していました。そこだけが対話の連結点でした。貴重な一致でした。左右の思想は異なるのですが、そこは理解できる、という意気込みで三島は全共闘の現場に立ち会っていました。思想が肉体化され、行動となっていました。 

人は何のために生きているのか?人は自分のためにだけ生きることはできません。そんな甘いものではないのです。人間は「自分」なるもの中心に生きていけるほど強くはありません。「大義名分」が必要なのです。つまり、生きている「理由」と「根拠」が分からないと、生きて行けないのです。生きることも、死ぬことも同じであると、三島氏は学生たちに語りかけ問題提起していました。

私は、三島氏のこの言葉に同感します。人は自分のためだけに生きられるほど、強くはないのです。何のために、誰のために、生きるのかその根拠を求めながら生きる意味を探しているのです。その意味がなくなった時、それは当然の結果に行きつくしかないことでしょう。死ぬか、狂うしかなくなります。

私は「自分は一体何のために生きているのだろう?」日々、そんな問いを何度も繰り返しながら、現在を生きています。

そうして、「人は自分のために生きられるほど強くはない」という三島のこの言葉が私の人生観を随分変えたと思います。

以下に三島由紀夫氏の別の動画を掲載します。48秒ぐらいからの話に注目して下さい。


三島由紀夫のこの言葉に出会う前の私は、多くの人には欲望があって、それが満たされるから幸福感を感じるのだという、前提のようなものがあったと思います。そうしてそれで幸福感が得られれば、たまには他の人ことも考えるし、そのときはじめてその余裕が生まれると考えていました。そのため、人は自分や家族のために一生懸命働くし、余裕ができればボランティア、チャリティなどにも興味が出てきます。これが、多くの人の大勢を占める考え方だと思っていました。

しかし、三島はそうではないと言っています。

私としては、三島の言葉を知る前は、人は自分のために生きるのは容易なことであり、誰にでもできることだが、それだけを追い求めては駄目だ、たまには他人のことを考えろ程度に思っていました。しかし、三島が言うのは逆なのです。自分のためだけに生きることは難しいと逆のことを言っています。人はそれで幸せを感じるようには出来ていない。そう生きられるほど人は強くないと。

また「人間は自分のためだけに生きることにはすぐ飽きてしまう」という言葉も印象的でした。

よく考えてみるとその通りだと思いました。人が本当に自分だけのためにだけ生きているとしたら、本当にすぐに行き詰まると思います。

家族のために、長年にわたって努力して何かを成就できたとしたら、自分一人だけではなく家族とともに喜ぶことができるはずで、その喜びは自分一人だけの何倍ものものになることでしょう。

会社のブロジェクト・チームなどで何か新しいことに取り組み、何かを成就できたら、自分一人の努力が報われたよりも、何倍も強くチーム全体で幸福感を感じるはずです。

自分たのためではなく、他の人のために生きて、その人が幸せになれば、自分が幸福になったよりも、さらに大きな幸福に私たちは酔いしれることができます。


昔、これに関連する歴史のエピソードを聞いたことがあります。時代はいつくらいのこととかは詳しくは忘れてしまいましたが、場所はヨーロッパです。時代的にはおそらく中世から近代に移り変わる頃だと思います。いわゆる、この時代の君主の師弟に多くの問題が発生したそうです。

君主の師弟というと、本当に子どものころか恵まれすぎるくらい恵まれているため、何でも自分の自由にできます。そうして、中世なら、いつも紛争や、戦争があったので、それに対して備えてるためいつも気が気ではないという状況なので、特に問題はなかったのでしようが、その後に比較的平和な時代がやってきて、君主の師弟はあまりそういうことを気にかけず、自由きままに過ごすことできるようになると事情が変わってきたのです。

その頃には、君主の師弟で酒・女・博打・喧嘩など酒池肉林の放蕩三昧にふけるものが多く、そうなると、精神的にも肉体的にも健康面に悪影響が出て、若いうちに病気や、狂死するものが大勢でたそうです。

酒池肉林を描いた中国の現代絵画
この状況まさに、自分のためだけに生きるという状態であり、そのような状態におかれれば、誰でもそのようなことになるのかもしれません。考えてみてください、まずは働かなくても死ぬまで困らないことが保障されていて、そうして自分のためだけに生きたとしたら、誰もがはやいうちに健康を損なうか狂死してしまうに違いありません。

そうして、このようなことを防ぐために、君主たちは何をしたかといえば、師弟に学問をさせたそうです。確かに学問の世界は、終わりがないし、さらに君主とはどうすべきかと言う帝王学も学ばせたでしょうし「人は何のために生きるのか」ということも学ばせたことでしょうから、それ以来極端に早死したり、狂死するものが多いという状況はなくなったそうです。それ以来、君主の師弟は学問をするのが習慣になったそうです。

今の日本は、戦後の誤った、そうして行き過ぎた個人主義的教育によって、三島氏の「人は自分のためだけに生きられるほど強くはない」という言葉の意味をかつての私のように取り違える人も多いのではないかと思います。

しかし、言葉の意味を取り違えるだけなら良いのですが、本当の意味で「人は自分のためだけに生きられるほど強くない」ということを全く理解できない人には、悲惨な末路が待っているに違いありません。

私も、実際にそのような人を何人か知っています。そのような人の老後は富に恵まれていても悲惨です。私は、あのようにはなりたくはないと思います。だから、これからも「人は何のために生きるのか」ということを日々考えて生きていきます。

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2015年6月24日水曜日

民主党が吹聴する「徴兵制復活」 “ヒゲの隊長”が一刀両断―【私の論評】憲法を会社の規程におきかえて考えればわかる!金科玉条と考える輩は危険(゚д゚)!

民主党が吹聴する「徴兵制復活」 “ヒゲの隊長”が一刀両断

佐藤正久氏

安全保障関連法案をめぐる国会攻防で、民主党が「徴兵制の復活」の可能性を持ち出し始めた。軍事的な観点からも合理性が低いとされる徴兵制が、なぜクローズアップされるのか。元陸上自衛隊イラク先遣隊の「ヒゲの隊長」こと、自民党の佐藤正久元防衛政務官が一刀両断した。

「現代戦において、シロウトが突然加わって部隊で機能を果たすというのは、ほぼ無理な話だ」

佐藤氏はこう断言する。1960年、福島県生まれ。防衛大学校卒業後、陸自入りした。2007年に退官し、同年の参院選で初当選した。

「徴兵制」と集団的自衛権の行使容認を結びつける論法は、以前から左派系市民団体が用いてきたが、最近は民主党幹部らによる言及が目立つ。

岡田克也代表は17日の党首討論で「将来、徴兵制が敷かれるのではという議論がある」と指摘。細野豪志政調会長も21日、自身のHPに「身の丈に合った安全保障政策を 徴兵制について考える」と題した文章を掲載し、「(徴兵制を)真剣に警戒する必要がありそうだ」と訴えた。

佐藤氏は「民主党が主張しているのは『集団的自衛権の行使を認めれば自衛隊の任務をやりたがる人が減る。だから徴兵制が必要になる』という、極めて粗い論理だ」と指摘し、続ける。

「穴を掘って近接戦闘で小銃を撃つ、という時代ならいざ知らず、現代戦では、高性能の兵器やシステムを使いこなすことが求められる。高校や大学を出て入隊した若者がこうした域に達するには、大体10年かかる。日本人の価値観に照らしても、徴兵制が受け入れられる土壌はない。徴兵制の導入は非現実的というほかない」

前出の党首討論で、安倍晋三首相は「憲法(第18条)が禁じる『苦役』にあたる」と徴兵制導入の可能性を明確に否定したが、民主党幹部らの発言は続いている。

佐藤氏は「民主党は『日本を取り巻く安全保障環境は厳しくなっている』と言いながら、政府案への対案は示さない。それに対する世論の批判をかわすために、徴兵制や、憲法学者による『違憲論』を持ち出しているのではないか。同じ野党でも、維新の党は対案を出そうとしている。政権担当経験がある政党として、民主党はあまりに無責任だ」と語っている。

【私の論評】憲法を会社の規程におきかえて考えればわかる!金科玉条と考える輩は危険(゚д゚)!

上で、佐藤氏が主張をまとめると、次の二点です。
1.徴兵制の導入は非現実的
2.民主党は安全法案の政府案への対案は示さないので無責任
最近私は、このブログで安保法制の審議に関して、何度か掲載してきましたが、結論としては、佐藤氏のこの主張と全く同じです。

一昔前の時代ならいざしらず、現在では日本の安全保障をどうするのか、はっきりさせなければ、そのほうが余程危険だし、様々な不安要因を抱えることから、場合によっては経済的にも良くないことがおこりかねません。

日本の集団的自衛権に関する野党、それも民主党の論議は、全く異様といわざるをえません。

これについて、石平氏が以下のようなTweetをしています。
無論、良いはずはないです。

集団的自衛権に関して、一部の憲法学者が『憲法上は違憲』としています。しかし、そもそも国家が無くなり、他国の統治下になれば日本国憲法は無効化しますから、違憲性を問う意味はまったくありません。 統治権を守る自己防衛のような局面で違憲合憲を問うのは全くの筋違いです。

憲法第98条 ①には、「この憲法は。国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部または一部は、その効力を有しない」という条文があります。

これを逆手に取る護憲派も存在します。

しかし、国あっての法であるというのが本質であり、国がなくなってしまえば、憲法など何の意味もないということか分からない人が大勢いるようです。

そもそも、日本国憲法も、日本国という国が存在することを前提として作成されているわけですから、国の存立の危機がある場合、憲法を金科玉条のごとく守れなどと言っているわけではありません。

日本国憲法においては、国家の主権者は『国民』であり、国家の責務は『国民の生命、財産、安全を守ること』です。 それを前提てとして、憲法を基礎とした法律があり、その実行に関する手続きを決めているのです。 憲法は所詮、手段を定めたものであって目的ではありません。



これは、会社の憲法にあたる、規程でも同じことです。会社があるから規程があるのであって、規程があるから会社があるわけではありません。以下話を理解しやすくするため、規程の中でも、職務権限規程や、職務分掌規程を例にとって話をすすめます。

上場会社などでは、規程が作成されています。これが作成されて、それが実行されていることが、上場の基準ともなっています。その中に職務権限規程や職務分掌規程を定めてあります。そこからはみ出た行為をすることは越権行為にあたります。

だから、はみでたとすれば処罰がくだされることになる場合もあります。しかし、だからといって、職務分掌や職務権限を是が非でも一歩も踏みでないと考える人には、その会社における将来はありません。また、そのような人ばかりで構成される会社には将来性がありません。

会社の中で、職務分掌や職務権限は会社を統治するためにあるのであり、従業員の創意工夫や、創造性を圧殺するために存在するわけではありません。

なぜなら、職務分掌や、職務権限を超える方法はいくらでもあります。たとえば、上司の了解のもとで適宜報告することを条件に、職務権限を超える業務を実施したり、あるは大掛かりなものであれば、企画書を作成し、それだけではなく上下左右にコンセンサスをとり、最終的に取締役でその企画書が了承を得た場合、たとえその企画書が新人で職位が最も低い人が書いたものであっても、会社はその企画書通りに実行します。

規則を金科玉条のように考える人は危険である
そうして、社長や取締役からすれば、このような仕事をどんどんする人こそ、最高の人材とみなし、幹部や、次世代の取締役や、社長に据えたいと考えるはずです。

職務権限や、職務分掌に縛られて、そこから一歩も踏みでない人に関しては、それなりの報い方しかしないというのが当たり前です。無論、自分はそれで良いと考える人もいますから、そのような道を選択するのはあくまでも個人の自由であると思います。

こうしたことをはっきりさせるためにも、職務権限や職務分掌が役にたつのです。これが曖昧であれば、個々人が本来の職位を超えた仕事を実行しているかいないかも不明確になってしまいます。というより、職務権限や職務分掌は本来このようなポジティブな使い方をすべきであり、従業員個々人の創造性を阻害するようなことがあってはならないです。

しかし、他の人や、自分の部下などに対して、職務権限や、職務分掌が金科玉条であるべきと考えてしまっては、それは全くの筋違いです。とにかく、何が何でも、そこから一歩も出ないように、あるいは他の人や部下をそこから一歩も出ないようにと考える人は、害悪をもたらすのみです。


現在の安保法制の論議で、特に「違憲、合憲」などの論議を見ていると、何やら会社内で規程を金科玉条のように考えるバカな人の論議のようにみえてきます。こういう人は、まとな会社であれば、なれたとしても、現場のマネジャー止まりだと思います。長期におよべば、それすら全うできなくなります。

会社では、規程や規則・手続きが、実体にそぐわなくなった場合には、規程に附則を設けるとか、場合によっては、規程を根本から変えてしまう場合もあります。規則・手続きにばかり縛られるような個人に、発展性はないでしょう。それに縛られる会社も発展性も何もないでしょうし、何十年もそのままであったとすれば、まともに統治されていないということで、そのような会社は潰れてしまうでしょう。

それは、国でも同じことです。そういつた意味からも、現在我が国は、外国からの脅威もあるのですが、国内でも存亡の危機にあるのだと思います。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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民主党は、結局のところ自民党のコピーのような政党であり、コピーした分だけ劣化しています。それは、民主党政権によって、白日のもとにさらされたのですが、喉元すぎれば熱さを忘れの格言の通り、そのことが忘れられています。

そのことを思い出していただくための書籍を以下にチョイスしました。

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以下のCDタイトルが呪縛とはいっても、これは呪縛を破壊する日本のロックンロールです(゚д゚)!

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2014年5月18日日曜日

【西村幸祐氏ツイート】NHKが公共放送なら、率先して報道しなければならない―【私の論評】日本は一人あたりのGDPが世界一であるノルウェーから学べることがある! NHKに変わって私がお伝えするノルウェーの真実はこれだ(゚д゚)!


ノルウェーの国旗




【私の論評】日本は一人あたりのGDPが世界一であるノルウェーから学べることがある! NHKに変わって私がお伝えするノルウェーの真実はこれだ(゚д゚)! 

下は、ノルウェーの国旗をデザインにしたビキニの画像です。本日は、これらの魅力的な写真とともに掲載させていただきます(笑)!

上の西村氏のツイートは、2日前のものなのですが、NHKのみならず日本でのノルウェー関する認識はかなり低いです。

ノルウェーといえば、北欧の小国というくらいの感覚しかないのかもしれません。だから、日本ではあまりメディアが報道しないのでしょうが、日本は実はノルウエーから学べるところがあるし、日本ではノルウエーのことをあまりにも知られていないようなので、自分のための勉強もかねて掲載させていただきます。

さてまずは、ノルウエーの憲法について掲載させていただきます。

以下は、ノルウェーのオフィシャルサイトからの引用です。


ノルウェー憲法は1814年の制定以来、400回以上にわたって修正されてきましたが、それでもなお同一の憲法であると見なされています。そのためノルウェー憲法は現行の憲法として欧州で最も古く、また世界でも二番目に古い成文憲法とされています。
ノルウェー憲法には3つの柱があります。三権分立、市民の権利の保護、そして国民主権です。 
1814年5月17日制定のノルウェー憲法は、ノルウェーの歴史において特別な地位を占めています。民主主義の発展の礎を築いただけではなく、ノルウェーに独立国家の地位を与えるうえでも重要な役割を果たしてきたからです。 
400年に及ぶデンマークの支配を経た後にノルウェー憲法が早急に制定されたことは、民主主義を掲げてというよりもむしろ、国家に自由をもたらすための戦略的な動きであったと見なされるべきです。とはいえ制憲会議のために選ばれた112人の「アイツヴォルの男たち」は、当時としては世界で最もリベラルな憲法の1つを作り上げています。 
多くの諸国が劇的革命と社会変革を経験し、北米や欧州では1776年から1814年にかけて多数の画期的憲法が草稿されました。ノルウェー憲法はこの期間に制定された画期的な憲法の最後を飾るものとなりましたが、平和な状況下で制定されています。ただしこの憲法は無から生み出されたわけではなく、他国の憲法制定の経験に基づいて作成されたものです。米国の独立宣言やフランス憲法の影響を受け、ノルウェー憲法は3つの方針、すなわち三権分立、市民の権利の保護、議会制度に基づいて制定されています。 
ノルウェー憲法の最初の草案はヨハン・グンダー・アドラー(Johan Gunder AdlerChristian)とクリスチャン・マグヌス・ファルセン(Magnus Falsen)が作成し、次の文章で始まっていました: 
「人は生まれながらにして自由であり平等である。人には、一定の重要かつ普遍の権利が備わっている。その権利とは自由、安全、財産に関する権利である」 
ノルウェー憲法は、ノルウェーの民主主義の発展に決定的な役割を果たしてきました。第二次世界大戦時には例外的に民主主義制度が一時的に停止されたとはいえ、ノルウェーは一度たりとも民主主義の発展の歩みを止めたことはありません。 
2014年にノルウェー憲法が制定200周年を迎えることから、ノルウェー憲法の現在の意義、そして今後の民主主義に果たす役割への関心が高まるものと思われます。ノルウェー国内全体で200周年を祝い、各市町村と地域では、2014年5月17日の憲法記念日にとどまらず、年間を通して様々な祝祭行事が予定されています。ここでは子どもと若者が主役となります。彼らの参加と関心を高める取り組みに力を入れています。 
ノルウェーの国会(ストーティング)は、2014年の憲法制定200周年の実行委員会を任命しました。国会の議長が、実行委員長を務めます。また、同委員会が200周年の公式行事や祝祭の管理・計画の全責任を担うことになります。

ノルウェー憲法は1814年の制定以来、400回以上にわたって修正されてきましたが、それでもなお同一の憲法であると見なされています。そのためノルウェー憲法は現行の憲法として欧州で最も古く、また世界でも二番目に古い成文憲法とされています。
ノルウェー憲法には3つの柱があります。三権分立、市民の権利の保護、そして国民主権です。
1814年5月17日制定のノルウェー憲法は、ノルウェーの歴史において特別な地位を占めています。民主主義の発展の礎を築いただけではなく、ノルウェーに独立国家の地位を与えるうえでも重要な役割を果たしてきたからです。 
400年に及ぶデンマークの支配を経た後にノルウェー憲法が早急に制定されたことは、民主主義を掲げてというよりもむしろ、国家に自由をもたらすための戦略的な動きであったと見なされるべきです。とはいえ制憲会議のために選ばれた112人の「アイツヴォルの男たち」は、当時としては世界で最もリベラルな憲法の1つを作り上げています。 
多くの諸国が劇的革命と社会変革を経験し、北米や欧州では1776年から1814年にかけて多数の画期的憲法が草稿されました。ノルウェー憲法はこの期間に制定された画期的な憲法の最後を飾るものとなりましたが、平和な状況下で制定されています。ただしこの憲法は無から生み出されたわけではなく、他国の憲法制定の経験に基づいて作成されたものです。米国の独立宣言やフランス憲法の影響を受け、ノルウェー憲法は3つの方針、すなわち三権分立、市民の権利の保護、議会制度に基づいて制定されています。 
ノルウェー憲法の最初の草案はヨハン・グンダー・アドラー(Johan Gunder AdlerChristian)とクリスチャン・マグヌス・ファルセン(Magnus Falsen)が作成し、次の文章で始まっていました: 
「人は生まれながらにして自由であり平等である。人には、一定の重要かつ普遍の権利が備わっている。その権利とは自由、安全、財産に関する権利である」 
ノルウェー憲法は、ノルウェーの民主主義の発展に決定的な役割を果たしてきました。第二次世界大戦時には例外的に民主主義制度が一時的に停止されたとはいえ、ノルウェーは一度たりとも民主主義の発展の歩みを止めたことはありません。 
2014年にノルウェー憲法が制定200周年を迎えることから、ノルウェー憲法の現在の意義、そして今後の民主主義に果たす役割への関心が高まるものと思われます。ノルウェー国内全体で200周年を祝い、各市町村と地域では、2014年5月17日の憲法記念日にとどまらず、年間を通して様々な祝祭行事が予定されています。ここでは子どもと若者が主役となります。彼らの参加と関心を高める取り組みに力を入れています。 
ノルウェーの国会(ストーティング)は、2014年の憲法制定200周年の実行委員会を任命しました。国会の議長が、実行委員長を務めます。また、同委員会が200周年の公式行事や祝祭の管理・計画の全責任を担うことになります。
ノルウエーの憲法は歴史も古く、デンマークの支配の後に制定されたという事実からも、これから日本国の憲法を考えていく上でも多いに参考になります。


ちなみに、ノルウエーの憲法の主な改正の歴史を以下に掲載しておきます。
1814年11月4日 - スウェーデン王と同君連合を形成するために再制定された。
1851年 - ユダヤ人の入国禁止条項を撤廃した。
1884年 - 議院内閣制が発足し、内閣は議会の過半数の反対があった場合存続できない慣例が確立した。この議会主義の原則は慣例であり、憲法の条項として明記されたものではなかった。
1887年 - イエズス会と修道会の禁止が撤廃された。
1898年 - 男性の普通選挙権が確立された。
1905年 - スウェーデンとの連合が解消された。
1913年 - 男女普通選挙権が確立された。
1956年 - 宗教の自由が公認された。
2004年 - 表現の自由についての新しい条項、旧100条を置き換え。
2007年 - 議院内閣制の明記。一院制議会への移行。
2012年 - 福音ルーテル派のノルウェー(国)教会が、国教の地位から外された。
主要な改訂は、上記のとおりですが、大小含めて過去に400回も修正されています。これだけ修正したものでも、ノルウエーでは、同一の憲法とされています。それは、憲法としての国民国家としての考えたが同一という点てせ同一とされているのです。その考えかたが変わった場合には、同一の憲法とはいえないということです。

このような事実を見て、一文字の変更も認めない日本の頑な護憲派はどう考えるのでしょうか。

さてノルウエーといえば、日本と共通点があります。それは、日本もノルウエーも捕鯨国であるということです。ただし、ノルウェーは日本のような調査捕鯨ではなく、昔からそうして今でも、商業捕鯨を堂々とやっています。日本は、裁判で負けて南氷洋の調査捕鯨を禁止されてしまいましたが、この調査捕鯨という呼称が災いしたところもあります。日本も、ノルウエーのように堂々と商業捕鯨をすべきでしょう。

ノルウェーの捕鯨に反対する環境保護団体のうち過激なものは、捕鯨船に侵入して注水し自沈させるなどの破壊活動を行っています。例えばシーシェパードは、1992年と1994年にノルウェーの捕鯨船に対する破壊活動を行いました。

 1996年、マルクセンの捕鯨船は、商業捕鯨を行うノルウェーの中心地、北極圏のロフォーテン諸島で、「アジェンダ21」と名乗る組織に船の一部を破壊されました。同諸島では、この4年で3回も捕鯨船が沈められ、反捕鯨団体シーシェパードも過去2回、ノルウェーで破壊活動を行いました。

2007年にもノルウェーの捕鯨船が沈む事件があり、「アジェンダ21」を名乗る団体が犯行声明を出しています。ノルウェー政府は、こうした過激行動をエコテロリズムとみなし、ノルウェーの国全体に対するテロ行為だと非難しています。洋上での妨害活動に対しては、沿岸警備隊の艦艇を出動させて、体当たりによる排除を実施した例もあります。

グリーンピースには、さらに過激な対応をとった事例もあります。それについては下の動画をご覧になって下さい。



日本も、このくらいの対応をすべきです。特に、日本国内とか近海であれば、このくらいのことはやっても良いと思います。きちんと国際法上の手続きを踏み、航海法上の手続きを守って、実施すれば、たとえば間違えて怪我人や死者が出たとしても、一時は環境保護団体どもが非難しても、それだけで日本の不利益になること何もないでしょう。こうすることによって、中国も傍若無人な行動を慎むようになるかもしれません。



それから、これはなぜかほとんど知られていないのですが、実は、ノルウエーは、ひとりあたりの国民総所得が世界一の国です。ちなみに、日本は第11位です。

2012年にThe World Bank(世界銀行)のホームページで紹介されたランキングによると、栄えある1位に輝いたのはノルウェーでした。

では、なぜノルウェーはこのように豊かになったのでしょうか。

ノルウェーの主要産業はイメージでは漁業、農業……などと思いがちですが、そうではなく石油と天然ガスです。実はノルウェーも石油が豊富に産出する国なのです。

ノルウェーの石油は海中から掘り出す海底油田です。この海底油田の特徴は、最初にしっかり投資して掘り出してしまえば、後はコンピューター制御で大部分の仕事ができてしまうので、人件費がかからないのだそうです。石油は元手があまりかからず、しかも外貨を稼ぎ出す資源なのです。

しかも、ノルウェーはもうけた利益を、しっかり資産運用しています。

ノルウェーでは、石油で生み出した利益をしっかり政府が 資産運用しており、そこから出た利益が、さらにノルウェーの国民所得を押し上げているのです。その資産は日本円にしておよそ85兆円(2013年)です。ノルウェーの財政収支を安定させるため、財政赤字の補てんに使用したり、将来的に国民への年金の支払いに充当したりすることに使われています。

豊富な資源とその賢い運用による財政の安定は、日本も多いに参考にすべきです。現在は、天然資源はあまりない日本ですが、潜在的にはメタンハイドレートや、日本近海の様々な資源があります。

それに、日本は今でも天然資源以外の資源大国でもあります。

これについては、以前のこのブログでも紹介したことがありますので、そのURLを以下に紹介します。
鹿児島湾でレアメタル発見 国内販売量の180年分―【私の論評】常識を疑え!!自分は、何でも知っている、自分の考え方は、いついかなるときも、常識的だと思い疑うことを知らない人は、結局は、知ったかぶりで、思い上がっているだけ!!
詳細は、このブログをご覧いただくものとして、このブログでは天然資源以外の日本の素晴らしい資源について掲載しました。その部分を以下に掲載させていただきます。

さて、天然資源もそうですが、まだまだ、日本には、他のとてつもない資源が沢山あります。日本が、資源のない国という考えは、非常識です。 
たとえば、日本の持つ電子プリント基板特許の輸出を止めると、ターゲットにされた全ての国の大部分の兵器が使用不可能になります。戦闘機も、ミサイルも、戦艦も、戦車も動かなくなくなります。というより、電子部品を使っているものは、何でも動かなくなります。 
日本にしか製造出来ない1m当たり80tの荷重に耐え得る鉄道用レールの輸出を止めると、世界の「物流の要」=鉄道が崩壊します。新幹線の導入も不可能になります。中国の鉄鋼生産技術で生産された粗鋼は、現在、国際市場では「クズ鉄」として取引されています。 
購入した国が再度、精錬し直さなければ、「使い物にならない」ためである。たとえば、中国は、今後、国内を縦横に走る大鉄道網の建設を準備しているが、日本が鉄道用のレールを「売るかどうかは、日本の自由」です。これは、何も中国だけではなく、他の国も同じことです。 
日本の小松製作所にしか製造出来ない小型のパワーシャベル、ブルドーザーの輸出を止めると、ターゲットにされた国の全ての資源開発・工場等の建設工事・軍事施設の建設が不可能になります。 
まだまだあります。 
なお、日本にしか製造出来ない、ステルス戦闘機用のステルス機能を持つ塗料の輸出を止めると、米軍の戦略の要であるステルス戦闘爆撃機の製造が不可能になります。
戦闘機・核ミサイル用の、ジェット燃料を、世界中で圧倒的に生産量の少ない軽質油から製造する技術は世界各国が持っています。 
一方で、質の悪い、圧倒的に生産量の多い重質油からジェット燃料を製造する技術は日本しか持っていません。日本が重質油原料のジェット燃料の輸出・製造を止めると、世界中で航空機・戦闘機・核ミサイル用の燃料が圧倒的に不足します。燃料が無ければ、最新兵器の軍備は、単なる鉄クズの集積になります。 
昨年、二人の日本人にノーベル化学賞をもたらした、クロスカップリングという化学反応で、できる合成物である、テレビの液晶など、これも、日本が販売しないと、ほんどの国で、現状の品質を維持できなくなります。それは、サムソン電子も同じことです。 
ここに、掲載しないことでも、日本の独壇場で、日本にしか作れないものなどいくらでもあります。
このような資源大国である日本は、ノルウエーのやり方も参考にすれば、これからもさらにいくらでも伸びるはずです。いつまでも、デフレであえでいるような国ではありません。

ちなみに、対外金融純資産'(要するに日本国下(日本政府ではありません。日本政府=日本国ではありません)に関しては、日本は過去20年間世界第一位です。まだ最新の資料(13年度分)はでていませんが、昨年の統計(2012年度分)では、290兆円を超えていました。

さて、このノルウエー人口は、500万人程度です。日本の人口は、1億2千万人程度です。人口からみれば、日本は圧倒的な大国であるといえます。ノルウエーは、人口が少ないため、一人あたりのGDPでは世界一なのですが、全体ということになれば、取るに足りない国ということになってしまいます。だから、あまり日本国内でも報道されないということになってしまうのかもしれません。


しかし、ノルウエーの知恵は日本も見習うべきです。ノルウエーと日本はさらにもうひとつ、共通点があります。それは、中国や米国、インドと異なり、国民国家であるということです。

2011年の統計によるとゲルマン系のノルウェー人がほとんどで82.0%を占めています。その他、スウェーデン系1.6%、デンマーク系1.0%、他に少数民族のサーミ人約2万人がいます。残りは移民であり、2010年には移民人口は552,000人と全人口の11.4%を占めています。

その内訳はポーランド(60,610人)、スウェーデン(34,108人)、パキスタン(31,884人)、イラク(27,827人)、ソマリア(27,523人)、ドイツ(24,394人)、ベトナム(20,452人)、デンマーク(19,522人)、イラン(16,957人)、トルコ(16,430人)の順となっている。近年は、アジア・アフリカからの移民受け入れが多くなっています。

そうして、移民政策は、ノルウェーでも大失敗です。これについては、本日はメインの話題ではないので、日を改めてまた掲載します。

日本とノルウエーとは国民国家であるということです。日本は日本人、ノルウエーはノルウエー人の国であるということです。

ノルウエーなどとの比較で理解できますが、国民国家としては、日本は世界で最大の国家です。中国、インド、アメリカなどの国々は確かに日本より多いですが、多民族国家です。

ノルウエーのような国がいろいろな方面で成功しているのは、やはり国民国家であるという点が大きいと思います。伝統文化、生活習慣、言語が同じという国民国家は、政府側からみれば統治しやすいし、国民相互のコミュニケーションも容易です。このコミュニケーションの良さが、ノルウエーなどの国の良さにつながっていると思います。

ノルウエーの女の子


日本は、こうした国民国家の中で世界一ということを考えると、日本という国そのものが、とてつもない国家であり、様々な潜在可能性を秘めていると思います。こんな日本が、古今東西にみないデフレで苦しんでいるのはほんとうにおかしなことだと思います。

そうして、その原因は、政治家やそれに識者、マスコミ関係などの多くが、自らの経験によってしか学ぶことができず、他国や他人の経験あるいは歴史から学べないからだと思います。
先日もこのブログに掲載したように「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」の通りに、日本の政治家等歴史から学ばず、自らの経験からしか学べないという状況に陥っているのだと思います。
ノルウエーと日本の歴史などの比較などからも、上で示したように様々なことが理解できます。上の事を理解すれば、日本は可能性を秘めたとてつもない国であるということが理解できると思います。

美しい国日本

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

現在の古今東西に例をみない、戦後長きにわたって続いた戦後体制、1,000年に一度の震災や津波、デフレ下の増税という為政者どもの馬鹿真似でさえ、悠久の歴史を持つ我が国の歴史からみれば、ほんの一時のことに過ぎません。

朝廷をはじめとする私たち日本人の日本の伝統文化、それに勤勉で実直な日本の国民性は、古から今に至るまで、継承されてきましたが、これからも悠久の日本の歴史の中に燦然として輝き続けるどころか、さらに輝きを増すことでしょう。このような国日本が、次なる大飛躍をせず、そのまま萎んでいくことなど考えられません。皆さん、次の日本の大飛躍に備えましょう!!その日は近いです!!

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2012年5月3日木曜日

変態御用一般人化したマスコミ―【私の論評】すべての問題を解消するには、いずれ憲法を改めるしかないか?!

変態御用一般人化したマスコミ




御用一般人とは、一般人でありながらさしたる根拠もないのに、政府のすべての立場を擁護し、政府の立場だけからものを言う人のことです。これが、一般人でない学者やジャーナリスの場合は、餌がありますが、一般人の場合は、それはないにもかからず、その根底には、現実社会で、うまく適応できないという不安感があります。その不安感から、政府のすべての立場を擁護しようとするのです。

そうして、変態御用一般人とは、御用一般人の中でも、たとえば、財務省とか、日銀など特定の機関などの立場を擁護し、その立場だけからものを言う人のことです。

まさしく、日本のマスコミのほとんどが、変態御用一般人化しています。マクロ経済の基本の基本まで、平気で捻じ曲げます。まさに、5つも6つも言ってみて、一つくらい当たれば良いという考えで、嘘八百を並べ立てることが、恒常化しています。特に、最近では、マクロ経済に関することで、大手新聞のスタンスは、このようなものです。近衛内閣末期の様相を呈しています。

【私の論評】すべての問題を解消するには、いずれ憲法を改めるしかないか?!
それにしても、今の日本経済状況、さらには、マスコミの経済報道、とんでもない状況になっていることは、上の動画をご覧いただければ、良くおわかりになると思います。

さて上の動画でも指摘されていましたが、ExileとAKBの高橋南は、尊皇家だそうで、以下にその関連動画を掲載します。



Exileが、天皇陛下ご即位20周年で、歌った歌です。まさに、太陽とは、陛下のこととして歌ったのだと思います。exileの画像も掲載しておきます。天皇陛下万歳!!






ついでに、画像も掲載しておきます。



さて、河野龍太郎氏の日銀審議委員に起用拒否されたときの動画が以下です。


河野龍太郎氏
本当にこの方、日銀審議員にならなくって、良かったです。このあたりの背景に関しては、以下の動画をご覧ください。



それにしても、日銀貴族院は中国の日本支部ということでしょうか?本人たちは、どう思っているの知りませんが、現実には、そのような行動をとっているとしかみえません。それに、日本国の意図で、売ることもできない、中国国債を1兆円近く買うという日本は、まさに、狂っているとしか思えません。中国国債の買入をどう­にかして阻止できないものなのでしょうか?


それにしても、財政破綻するといいつつ、中国国債を大量に購入したり、IMFに巨額の拠出をしたり、依頼もないのに韓国に巨額の円借款を気前良く、確約したりと、まったく何かどうなっているのか、さっぱり見えません。日本が、財政破綻しそうなので、増税するというのなら、中国に日本国債をいっぱい購入してもらい、IMFからは、資金援助を請い、韓国にも、お金を借りる約束をとりつけるということをするのが、当然と思いますが。いいですか!!日本国が財政破綻すると野田さんも、安住さんも言っているわけですよ!!なのに、まったく、逆のことをしていて、野田さんって、自分で自分のやっていることにまったく矛盾を感じないのでしょうか?普通の人だったら、この矛盾に気づくはずです。


野田さんのやっていること、個人レベルでいえばお金がなくて、破産しそうな人が、家族のいっぱいいる人にお金を貸したり、ライオンズクラブや、ロータリークラブにお金をたくさん拠出したり、最近お金もちになって、ごく最近はあまり振るわない人にお金を貸す約束をするわ、そのくせ家の中では、家族に対して金がないから、節約しろと言っているようなものです。こんなこと、馬鹿なありえるでしょうか?

あり得ます。ただ一つの場合に限りあてはまります。この破産しそうな人の家は、実業を営んでいて、家族がいっぱいて、この破産しそうな人を除き他の家族は、とてつもなく金持ちか、普通であり、貧しくても他の家族から借金はあるにせよ、家の外に借金がない場合です。そうして、この貧乏な人は、家族からかなり多く借金しているので、自分だけ借金まみれなので、他の家族もみんな貧乏だと勝手に思いこんでいるだけです。

この貧乏な人は、自分一人が駄目だから、他の家族も駄目で、借金まみれになっていると勘違いしているだけです。しかし、本当は、家族全体では金持ちなので、相対的には、家の外の人にお金を貸し付けているという状況が今の日本の姿です。にもかかわらず、家族の中で一番貧乏な人にだけ着目して、うちの家は貧乏だと家族の中の一員の情報通といわれている人が、他の家族や外の人に対して言いふらしているというのが今の日本の姿です。

それにしても、なぜ個人では、起こりえないようなこのようなことが国レベルおこるかといえば、バブルが崩壊してから、5年くらいはいたしかたないとしても、その後も、ずっと緊縮財政、金融引き締めををずっとやってきたため、お金を持っている個人や、企業が消費や投資を控え、市中にお金がでまわらず、デフレになり、税収が減り、それがあまりにも長い間続いたからです。積極的に、財政出動や金融緩和などしなくても、最低限、緊縮と引き締めをやめてさえいればこのようなことにはなりませんでした。



まさに、日本はこのような状況です。先の家の例でたとえれば、ギリシャなど、家族ぐるみで他から借金ということです。これでは、どうしようもありません。財政破綻するのは、必至です。家族ぐるみで、実業を営んでいて、相対的には、家族が金持ちであり、家の外からお金をかりていなければ、何とでもなるということはお分かりですね。それに、日本政府が借金をしているとはいっても、ほとんどが円建です。であれは、本当の意味では借金ではないです。これが、外貨建てだったらどうにもなりません。これも簡単な理屈です。円建であれば、日本政府が積極財政を行い、日銀が、お札の増刷を含む、金融緩和をすれば、税収が増えすぐにでも、借金など解消できます。また、インフレでバブルになりかければ、増税などの緊縮財政を行い、日銀は、金融引き締めをすれば、バブル崩壊なんてことにはなりません。こんな簡単な理屈を、野田さんも安住さんもわからないということです。そうして、マスコミもわからないか、わからないふりをしているということです。本当に、変態御用一般人化とは良く言ったものです。素晴らしいです!!

本日は、動画特集と銘打ったので、以下に日銀の白川総裁あたりが、繰り返し見ておくべき、動画を紹介します。見ても駄目か!!海の向こうからの指令があれば、これに従わなければならないか?


それにしても、政府や日銀がこうなったてしまったのは、民主党政権からというわけではありません。自民党時代からそうなっていました。もう、これは、何かがおかしいとしかいいようがありません。そうして、本日は、憲法記念日という祝日ですが、結局、日本国憲法に問題があるということだと思います。細かなことは、別として、大きな枠組みでは、憲法問題も、経済も、社会も密接に関連しています。やはり、憲法を抜本的に変えなければ、これらの問題もあまり進展がないように思います。もともと、日本国憲法を定めたのは、GHQであり、GHQというと、以前にもこのブログに掲載したことがありますが、その構成要員は、馬鹿と、コミンテルン(ソ連のスパイであったことが、後に判明しています。このようなものたちが定めた憲法をいまだに金科玉条のように守っていれば、これからもっと、変態御用一般人がこの世にますます、のさばるようになります。

とはいいつつ、改憲ができなければ、何もできないということではありません。現行憲法下でもできることはかなりあります。にもかかわらず、改憲だけが、解決策であるかのごとく考える、そういう考え方は、いわゆる根本病というやつです。これは、改革を志向する人が、根本問題にのみ囚われている状態をいいます。体制や機構などの変改ばかりが先行して、実態の改善がおろそかになることです。このようなことは、過去に幾多とありました。

石橋湛山があの二・二六事件をうけて『東洋経済新報』で以下のように語っています。
「記者の観るところを以てすれば、日本人の一つの欠点は、余りに根本問題のみに執着する癖だと思う。この根本病患者には二つの弊害が伴う。第一には根本を改革しない以上は、何をやっても駄目だと考え勝ちなことだ。目前になすべきことが山積して居るにかかわらず、その眼は常に一つの根本問題にのみ囚われている。第二には根本問題のみに重点を置くが故に、改革を考えうる場合にはその機構の打倒乃至は変改のみに意を用うることになる。そこに危険があるのである。 
これは右翼と左翼とに通有した心構えである。左翼の華やかなりし頃は、総ての社会悪を資本主義の余弊に持っていったものだ。この左翼の理論と戦術を拒否しながら、現在の右翼は何時の間にかこれが感化を受けている。資本主義は変改されねばならぬであろう。しかしながら忘れてはならぬことは資本主義の下においても、充分に社会をよりよくする方法が存在する事、そして根本的問題を目がけながら、国民は漸進的努力をたえず払わねばならぬことこれだ」(「改革いじりに空費する勿れ」昭和11年4月25日『東洋経済』社説)
二・二六事件といえば、随分古いことなのに、何か予想だにしない大事件が起きたときに、「根本問題」に惑溺することで、目前のリスクを見失うな、という湛山の教訓はいまも重いです。根本に帰ることも重要ですが、その前に、目の前にある現実を解決することもしなければなりません。デフレ克服は、その典型です。財政再建という根本的問題を解決するために、まず、目の前のデフレという問題を片付けずに、すぐに、増税に走ろうという考えは、まさに根本病にほかなりません。

二二六事件
政治主導という根本問題に取り組むため、官僚のやっている仕事をすべて、無視して、自分たちでやろうとしたって、最初から無理です。そんなことは、会社で、取締役が、事務処理をやっている人の仕事を無視して、自分たちで事務をやろうとするのと同じです。やはり、根本病に至る人は、どこかが欠けているのだと思います。何か問題・課題があったとして、それを解消するには、順番というものがあります。順番を無視しては、できるものもできなくなります。にもかかわらず、根本病の人は、現実にある問題を全く無視して、原理原則に走ろうとするのです。この点、たとえばイスラム原理主義者などと同じことです。

過去の構造改革だってそうです。確かに新たな構造は必要です。しかし、その構造をつくるために、現状の問題を無視してやっては、結局失敗し、構造改革などできませんでした。特に、小泉・竹中構造改革はそうでした。緊縮財政などせずに、最初は、ある程度景気を回復させるようにすべきでした。金融緩和だけでは無理でした。

もともと、民主党は、根本病患者の集まりなのではないかと思います。そもそも、新左翼とか、旧社会党系の人々は、根本病です。それも、かなり幼稚な根本病患者だと思います。その典型は、あのマニフェストです。次にどのような政治グループ゛が台頭していくかわかりませんが、結局根本病患者の集まりであれば、どんなに素晴らしい綱領などあったにしても、結局民主党の二の舞になります。

維新の会なども、今のままでは、そうなります。橋下市長は、国政に疎すぎます。それはあの維新八策で良くわかりました。今後短くて、5年、長ければ、10年くらい国政の勉強をしてから、国政にたずさわるようにすべきです。あまり短いスパンで、国政を担ったら、確実に第二の民主党になります。せっかく、影響力があるのですから、それだけは避けていただき正しい方向で影響力を行使していただくようにしていただきたいものです。

いずれにしても、民主党は、消え行く運命ですが、次の政権につく政治勢力には、最終的に改憲を目指すにしても、根本病にかかっていないことが条件になると思います。


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