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2016年8月23日火曜日

慰安婦“捏造”吉田氏の長男が真相激白「父は誤った歴史を作り出した」―【私の論評】吉田を裏で操っていた人物や組織が白日の下に晒されるか?


「新潮45」9月号の表紙

慰安婦問題で、衝撃的なリポートが発表された。朝日新聞は、「慰安婦を強制連行した」という吉田清治氏の虚偽証言を30年以上も放置し、日本と日本人の名誉と尊厳を傷付けたが、ジャーナリストの大高未貴氏が、月刊誌「新潮45」9月号で、吉田氏の長男のインタビューに成功したのだ。「父は大変誤った歴史を作り出した」「世界中の慰安婦像をクレーン車で撤去したい」などと激白する長男と、某国組織の関与が疑われる吉田氏の背景とは。大高氏が、渾身リポートの一部を披露した。

私は十数年前から、日本軍による強制連行説を世界に広めた「吉田清治」という人物に興味を持っていた。吉田証言については、現代史家の秦郁彦氏が、吉田氏が慰安婦狩りの舞台になったと証言した韓国・済州(チェジュ)島で現地調査を行い、1992年に産経新聞でその「虚偽性」を指摘している。吉田氏も96年に週刊新潮の取材に「創作話」であったことを認めている。

安倍晋三首相も、自民党青年局長時代の97年5月27日、衆院決算委員会第二分科会で「そもそも、この『従軍慰安婦』につきましては、吉田清治なる詐欺師に近い人物が~」と指摘し、首相就任後の2007年3月5日、参院予算委員会でも「(吉田)証言はまったく、後にでっち上げだったことが分かったわけでございます」と答弁している。

一連の批判に耐えきれず、朝日新聞は14年になって、ようやく吉田証言を虚偽と判断し、16本の記事を撤回した。

本来ならここで終わる話だ。ところが、奇妙なことに吉田証言は生き続け、世界各国に次々と設置される慰安婦像の説明文に憑依して、国際社会で現在もなお増殖しているのだ。

吉田証言を重要な証拠として採用し、国連人権委員会で日本への非難勧告を行ったクマラスワミ報告も、外務省の申し入れにも関わらず、いまだに撤回されていない。

誤解を恐れずに言えば、吉田証言はプロパガンダとしては大成功だったのではなかろうか。

だが、このプロパガンダを行った「吉田清治」という人物の来歴は、謎に包まれたままだった。生年も出生地も定かではなく、学歴も経歴も不明だ。そして、名前はいくつもある。さほど年齢も違わない朝鮮人を、何故か養子にもしている。一体、「吉田清治」とは何者だったのか?
大高未貴氏
 私は、その謎を解明したい衝動にかられ、吉田氏の長男を訪ねた。長男は関東北部の県で、質素な一人暮らしをしていた。最初の取材で、重たい口から発せられた言葉は、以下のようなものだった。

「父が犯した慰安婦強制連行の捏造について、吉田家の長男として、日本の皆様に本当に申し訳なく思っております。できることなら、クレーン車で世界中の慰安婦像を撤去したい…」

「父の責任は重大ですが、一方で、あれだけの創作話を父1人でできるはずがありません。慰安婦問題を既成事実化したい人々の何らかの関与があったはずです」

それから、私は何度も長男のもとに取材に通った。そして、過去の記憶をたどるうちに、驚愕の事実が続々と明らかになってきた。

「父は済州島なんか行っていません。家で地図を見ながら原稿を書いていました」「謝罪行脚のため訪韓した際、父のパスポートに入国スタンプは押されていませんでした。なぜなら…」

朝日新聞は、吉田氏の戦後の経歴を「サラリーマン」などと報じていたが、吉田氏は人生の大半は定職につかず、その生活費は息子たちが賄っていたという。著作、講演活動を繰り広げながら満足にお金を得ることもなく、生活は常に困窮していた。吉田氏は一体、誰のために、何のために活動してきたというのか?

その謎を解くカギの1つは、吉田家と家族ぐるみで長期にわたって付き合いがあった、神奈川県警の元刑事A氏から教えてもらった。

吉田氏は「朝鮮半島のある組織にお金を借りていた」というのだ。吉田氏の韓国謝罪行脚をテレビで見ていたA氏は「正直なところ、可哀そうだなと思いました。(略)痩せちゃっているし、おびえている姿そのものでしたよ…」と当時の印象を語っている。

誰よりも吉田氏を知る長男の告白は、ジワジワと慰安婦問題の虚構の化けの皮を剥がしてゆくこととなろう。

大高未貴(おおたか・みき

【私の論評】吉田を裏で操っていた人物や組織が白日の下に晒されるか?


吉田清治氏は、本当に不可解な人物です。ブログ冒頭の記事にもあるように、さほど年齢も違わない朝鮮人を、何故か養子にもしています。その養子の実名は李貞郁です。このこと一つとっても、本当に不可解と言わざるを得ません。

この不思議に満ちた、吉田清治の謎について、現在までネットで流布されているもののうち、書籍などの資料の裏付けのあるものについて以下にまとめて掲載します。

平成4年。NHK山口放送局は、吉田清治の“証言”に基づいた番組を企画、数十人を取材したのですが、ウラを取ることはできませんでした。その際、吉田本の出版先は、こうNHK側に説明したのです。

「あれは小説ですよ」

非常にシンプルな結論でした。吉田清治のデビュー作『朝鮮人慰安婦と日本人』(新人物往来社昭和52年刊)も、第二作『私の戦争犯罪』(三一書房昭和57年刊)も、ノンフィクションではなく、架空戦記だったのです。



小説が何故、ドキュメント作品と扱われたのでしょうか。それは、著者の吉田清治自身が自ノンフィクションだと言い張っていたからに他ありません。出版社側も表向き否定することはありませんでした。

しかし、実録作品にしては最初から奇妙でした。吉田清治とはペンネームで、本名は吉田雄兎というのです。個人体験を基にしたノンフィクション作品で無名の新人が筆名を使うケースはかなり珍しいことです。

加えて、吉田のこれらの書籍の最大のセールスポイントは、戦後30年以上を経て当事者が初めて告発したことでした。登場人物の仮名表記は有り得るのですが、「勇気ある告発者」が本名を隠すのはかなり不自然です。

他にも吉田は「東司「栄司」といった筆名を使い、本名を明かすことはありませんでした。歴史家が作品中の「史実」に違和感を覚えても、実名が判らない以上、追跡は困難です。これが吉田本の仕掛けの一つでもあったのです。

吉田の小説に登場する「私」は吉田が創出した架空の人物です。そうして、作者もまた架空の存在に近い正体不明の人物だったのです。

「何が目的でこんな作り話を書くんでしょうか」(『昭和史の謎を追う・下』文春文庫498頁)

済州島の地元紙『済民新聞』の文化部長は92年3月、訪ねてきた日本人にそう聞き返しました。現地を訪れたのは、歴史家の秦郁彦氏でした。地元メディアの素朴な疑問に対し、秦氏は答えに窮したといいます。

昭和史の謎を追う〈下〉 (文春文庫)

この時の現地調査で、吉田清治の嘘は完全に暴かれました。ストーリーに登場する逸話の裏付けが何一つ発見されなかったのです。物語のハイライトである「慰安婦狩り」そのものが創作だと判明した瞬間でした。

「著書は小説だったという声明を出したらどうか?」

秦氏は電話で直接、吉田清治にそう勧めました。現地調査の結果が産経新聞や『正論』で大きく取り上げられてから既に数年後のことでした。しかし、吉田清治は突っぱねました。

「私にもプライドはあるし、八十五歳にもなって今さら…このままにしておきましょう」(『慰安婦と戦場の性』新潮選書246頁)

慰安婦と戦場の性 (新潮選書)

秦郁彦氏
吉田清治に“訂正”を求めたのは、歴史真実派だけではありませんでした。捏造派の生き残り、吉見義明も吉田に「誇張部分の訂正」と原資料だと主張する「妻の日記」の公開を要請したのですが、同様に拒まれました。

「私どもも吉田清治証言が正しいというふうには言っていないわけですね。私の書きました本『従軍慰安婦』でも吉田証言は一切取り上げておりません」(『歴史教科書への疑問』展転社224頁)

歴史教科書への疑問―若手国会議員による歴史教科書問題の総括

吉見義明氏
吉見善明氏は、吉田の小説を著作に引用しなかったことを自負しています。吉田本がフィクション作品であることを暴いた決定打は、秦氏の現地調査ですが、それ以前に吉見らは疑いを抱いていました。

吉田清治が済州島に乗り込んで「慰安婦狩り」を行なったという記述が、デビュー作では「昭和19年4月」なのに対し、2作目では「昭和18年5月」と異なります。単純な設定ミスがあったのです。

そして、小説内で披瀝される経歴も嘘と虚飾に満ちていました。

吉田清治はデビュー作で「本籍地は山口県」と記しているのですが、実際は福岡県芦屋町西浜。そして上京して都内の大学に通ったといいます。朝日新聞は吉田の学歴を法政大卒と報道したが、明らかな詐称でした。

また吉田は、秦郁彦氏に対しては自分は、法政大中退と説明していたのですが、同大学には在籍記録が存在しません。

学歴さえもこの有様ですから、職歴はさらに謎です。昭和14年から約1年間、吉田は日系キャリアの中華航空上海支店で営業所主任を務めていたと自己紹介しています。しかし、元中華航空の関係者で吉田を記憶していた者は皆無でしたた。吉田は当時自らを中華航空の主任だとしているのですが、その主任を誰も覚えていないのです。

秦氏が精緻に経歴を追って事実確認が出来たのは、戦中に吉田清治が労務報国会という半官半民の組織で働いていたことだけでした。そうして、これが慰安婦狩りの実行部隊」として小説に登場する組織です。

過去には、清治について「元日本軍人」と解説されるケースが多く見られました。ウィキペディアでも誤った説明が長い間訂正されず、そのまま残っていました。現在では、訂正されています。吉田雄兎が所属していた労務報国会は、軍とは一切関係のない団体です。

労務報国会は、日雇い労働者の適正配置を促進する目的で昭和17年に設立されました。荒っぽい沖仲士などの労務者と供給・斡旋する業者らの特殊な組織です。そこで吉田は下関支部の動員部長だった自称しています。

秦氏の調査で、当時の吉田を知る人物が複数確認されました。組織にいたことは事実です。同時に、吉田の自称ノンフィクションに最初の疑問が呈されたのも、この組織でした。

「慰安婦狩の命令は西部軍→山口県知事→下関警察署長→吉田のラインで来たとしているが、関係者はこのような命令系統はありえないと否定する」(『昭和史の謎を追う・下』文春文庫498頁)

西部軍とは中国・四国・九州を管轄する帝国陸軍の大組織です。その司令官からの命令書を吉田が受け取ったというのです。プロット段階で話が荒唐無稽すぎます。そうしても゜焦点の慰安婦狩りシーンは当然のことながら全て創作です。



史実どころか自分史をも嘘で塗り固めた吉田清治。その人生で最も不可解なかたちで登場したのが、吉田の息子です。

金永達(キム・ヨンダル)という息子が吉田清治のデビュー作『朝鮮人慰安婦と日本人』で紹介されています。もちろん日本人ではなく、朝鮮人です。そして、この名前もまた仮名です。

実名は、李貞郁(リ・ジョンウク)。秦氏への説明によると、吉田は昭和12年4月に、この李貞郁を養子に迎え入れたといいます。なんと、不自然で唐突すぎる縁組みでしょう。

この時、大正2年生まれの吉田雄兎は24歳。設定では大学卒業直後の独身者です。一方の李貞郁は、大正6年生まれの20歳でしたた。4歳年下の朝鮮人を養子として入籍させたとうのです。

吉田の小説では、息子は同じ昭和12年に満州に渡って日本人教師と結婚。そして陸軍に入隊し日支事変で戦死したことになっています。しかし、現実は違います。

「養子にした李貞郁は、戦後は日本人として生活していたので、差別を避けるため金永達の仮名を用い、戦死していたことにしておいた」(『慰安婦と戦場の性』244頁)

嘘が暴かれてから4年後の平成8年、吉田は秦氏にそう明かしました。悲劇的な息子の戦死シーンは完全な創作だったのです。それでも吉田清治は、著作がフィクションであることを認めようとしませんでした。

秦氏の質問に対し、吉田の息子・李貞郁は昭和17年に妻帯し、58年に死亡したと答えています。また生前の職業は、労働組合の幹部だったといいます。

奇妙なストーリーです。朝鮮人を養子に迎えるには、相応の背景なり理由があるはずですが、吉田は何も語っていません。24歳の独身男が朝鮮青年を養子にするという異常事態に親兄弟ら縁者らは反対しなかったのでしょうか。

吉田清治とは一体何者なのでしょうか。プロフィールを調査していた秦郁彦氏は、学歴を辿る過程で、衝撃的な事実に出くわしまし。吉田雄兎は、戦前に死亡していたのです。

昭和初頭、吉田雄兎は地元福岡の門司市立商業高等学校に入学しました。同校は大正7年創立の伝統校で、現在は福岡県立門司大翔館高校へ名称を変更しています。

その門司市立商高の昭和6年度卒業生名簿には、吉田雄兎「死亡」と記されていたのです。何らかのミスがあったようには思えません。

我が国の戸籍制度は戦前から厳格で、軽々に市民を死亡扱いとすることはありません。公的な資料とも言える公立校の卒業名簿で死亡者になっていたことを覆すことはかなり困難なことです。

福岡は吉田の出身地です。親兄弟・親類縁者が身近に居れば、卒業名簿で「死亡」と誤表記される事態になることはあり得ません。非常に不自然です。実際の戸籍上では、どのような扱いなのか興味が尽きないところです。

そして、高校での死亡扱いから40年余り、吉田雄兎の本名を持つ、異形の架空戦記作家が世に現れたのです。果たして、吉田清治の筆名を名乗る男と卒業名簿で死亡扱いだった吉田雄兎は同一人物なのでしょうか。

吉田本には、両親や他の家族にまつわるエピソードが殆ど登場しません。偽りの個人史の片隅に出てくるのは、唐突に養子にした“息子”李貞郁と昭和19年5月に結婚した妻のフサエです。

吉田清治こと吉田雄兎(読売)
ドキュメントを偽装するにしても、小説として、少年時代や家族の逸話をバッサリ削ることは構成的に不自然です。

いったい、吉田清治こと吉田雄兎は何処から来て、何処に消えたのでしょうか。

平成28年の現在でも、吉田清治は生きています。この現代社会で生きていることになっているのです。正確に言えば、死亡が確認されていないのです。

吉田清治こと吉田雄兎の生年月日は、大正2年(1913年)10月15日。実に100歳を超えている。現在なら、かろうじて生きていても決して不思議ではない年齢ではあります。

しかし、今世紀に入ってぷっつりと音沙汰が途絶えています。秦郁彦氏が自白を引き出したのが、最新の発言になるかも知れません。これは、18年前のことです。当時、吉田雄兎は85歳と話していました。その頃の写真をみても、かなり老けています。

もし、今も生きているなら吉田雄兎は、どこに居るのでしょうか。養護施設で暮らしている可能性もあるでしょうが、それを示唆する情報も皆無です。稀代のダークヒーローとして盛んに取り上げた反日メディアも、吉田の消息について一切触れていません。

我が国では年間に約1000人程が行旅死亡人として埋葬されます。行旅死亡人とは、行き倒れ人など身元不明の死亡者のことです。ドヤ街を転々とし、身寄りもIDカードも持たず、ひっそり他界する者も少なくありません。

しかし、吉田は住所不定の労務者とは違います。著作権所有者は、個人情報満載の「著作権台帳」を活用すれば追跡が容易いです。そして、著作権切れを判定する必要から、死亡年月日の確認は重要です。

それでも出版元を介した情報もありません。ミステリーです。特定の狭い専門分野でもあるにせよ、吉田清治は国連リポートにも名を刻む著名人です。クマラスワミ報告書にも、引用された書籍を書いた人物です。そして反日陣営が頼る、唯一の加害側証言者です。

この吉田が、捏造慰安婦騒ぎが拡大し続ける中、現代の日本社会で十数年も隠棲することが可能なのでしょうか。まるで闇に消えてしまったかのようです。

生まれも育ちも末期までも、その人生すべてが曖昧です。正体不明の詐欺師・吉田清治こと吉田雄兎。ハッキリと残っているのは、この男の捏造話で我が国が受けた大きな傷跡だけです。

以上の事実は、別に新しい発見でもなんでもなく、様々な書物などに断片的に書かれていたものを掲載しただけのものです。

しかしながら、今回ブログ冒頭の記事にある通り、吉田清治の長男とされる人物が現れただけではなく、大高氏がインタビューしているというのです。

これで、少なくとも吉田清治が生きているのか、死んでいるのか、なぜあのような小説を書き、それをフィクションと偽ったのか、明るみに出るかもしれません。

これをきっかけとして、元々は、吉田清治のせいで修正された過去の誤った歴史が、正しいものに完璧に改められることを期待します。そうして、なぜ歴史が修正されてしまったのか、吉田清治の息子へのインタビューでとどまることなく、その真実に迫っていただきたいものです。

家族が見つかったのですから、そこから多くの人脈に、多くの人があたれば、さらに多くの事実が明かされるはずです。どんどん明らかにしてほしいものです。

また、長男とされる人も、勇気を持って様々なことを明らかにしていただきたいものです。何よりも、吉田清治とされる人物を裏で操っていた人物や組織を白日の下にさらしていただきたいものです。

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2014年8月5日火曜日

【朝日新聞】「済州島で連行」証言 裏付け得られず虚偽と判断―【私の論評】朝日新聞・テレ朝は、「虚偽新聞」になれば良い! それで、大躍進できるぞ~~ぃ(゚д゚)!


虚偽を伝える本日の朝日新聞の紙面


〈疑問〉日本の植民地だった朝鮮で戦争中、慰安婦にするため女性を暴力を使って無理やり連れ出したと著書や集会で証言した男性がいました。朝日新聞は80年代から90年代初めに記事で男性を取り上げましたが、証言は虚偽という指摘があります。

慰安婦問題を考える

 男性は吉田清治氏。著書などでは日雇い労働者らを統制する組織である山口県労務報国会下関支部で動員部長をしていたと語っていた。

朝日新聞は吉田氏について確認できただけで16回、記事にした。初掲載は82年9月2日の大阪本社版朝刊社会面。大阪市内での講演内容として「済州島で200人の若い朝鮮人女性を『狩り出した』」と報じた。執筆した大阪社会部の記者(66)は「講演での話の内容は具体的かつ詳細で全く疑わなかった」と話す。

90年代初め、他の新聞社も集会などで証言する吉田氏を記事で取り上げていた。
吉田清治氏

92年4月30日、産経新聞は朝刊で、秦郁彦氏による済州島での調査結果を元に証言に疑問を投げかける記事を掲載。週刊誌も「『創作』の疑い」と報じ始めた。

東京社会部の記者(53)は産経新聞の記事の掲載直後、デスクの指示で吉田氏に会い、裏付けのための関係者の紹介やデータ提供を要請したが拒まれたという。

97年3月31日の特集記事のための取材の際、吉田氏は東京社会部記者(57)との面会を拒否。虚偽ではないかという報道があることを電話で問うと「体験をそのまま書いた」と答えた。済州島でも取材し裏付けは得られなかったが、吉田氏の証言が虚偽だという確証がなかったため、「真偽は確認できない」と表記した。その後、朝日新聞は吉田氏を取り上げていない。

しかし、自民党の安倍晋三総裁が2012年11月の日本記者クラブ主催の党首討論会で「朝日新聞の誤報による吉田清治という詐欺師のような男がつくった本がまるで事実かのように日本中に伝わって問題が大きくなった」と発言。一部の新聞や雑誌が朝日新聞批判を繰り返している。

今年4~5月、済州島内で70代後半~90代の計約40人に話を聞いたが、強制連行したという吉田氏の記述を裏付ける証言は得られなかった。

干し魚の製造工場から数十人の女性を連れ去ったとされる北西部の町。魚を扱う工場は村で一つしかなく、経営に携わった地元男性(故人)の息子は「作っていたのは缶詰のみ。父から女性従業員が連れ去られたという話は聞いたことがない」と語った。「かやぶき」と記された工場の屋根は、韓国の当時の水産事業を研究する立命館大の河原典史教授(歴史地理学)が入手した当時の様子を記録した映像資料によると、トタンぶきとかわらぶきだった。

済州島で撮影された韓国人ミュージシャンのグラビア

93年6月に、吉田氏の著書をもとに済州島を調べたという韓国挺身隊研究所元研究員の姜貞淑(カンジョンスク)さんは「数カ所でそれぞれ数人の老人から話を聞いたが、記述にあるような証言は出なかった」と語った。

吉田氏は著書で、43年5月に西部軍の動員命令で済州島に行き、その命令書の中身を記したものが妻(故人)の日記に残っていると書いていた。しかし、今回、吉田氏の長男(64)に取材したところ、妻は日記をつけていなかったことがわかった。吉田氏は00年7月に死去したという。

吉田氏は93年5月、吉見義明・中央大教授らと面会した際、「(強制連行した)日時や場所を変えた場合もある」と説明した上、動員命令書を写した日記の提示も拒んだといい、吉見氏は「証言としては使えないと確認するしかなかった」と指摘している=注①。

戦時中の朝鮮半島の動員に詳しい外村大・東京大准教授は、吉田氏が所属していたという労務報国会は厚生省と内務省の指示で作られた組織だとし、「指揮系統からして軍が動員命令を出すことも、職員が直接朝鮮に出向くことも考えづらい」と話す。

吉田氏はまた、強制連行したとする43年5月当時、済州島は「陸軍部隊本部」が「軍政を敷いていた」と説明していた。この点について、永井和・京都大教授(日本近現代史)は旧陸軍の資料から、済州島に陸軍の大部隊が集結するのは45年4月以降だと指摘。「記述内容は事実とは考えられない」と話した。

■読者のみなさまへ

吉田氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します。当時、虚偽の証言を見抜けませんでした。済州島を再取材しましたが、証言を裏付ける話は得られませんでした。研究者への取材でも証言の核心部分についての矛盾がいくつも明らかになりました。



注① 吉見義明・川田文子編「『従軍慰安婦』をめぐる30のウソと真実」(大月書店、1997年)

【私の論評】朝日新聞・テレ朝は、「虚偽新聞」になれば良い! それで、大躍進できるぞ~~ぃ(゚д゚)!

上の記事、当ブログのアーカイブとするため、全文引用させていただきます。ただし、写真はすべてこのブログの管理人が挿入したものです。

さて、この記事に関しては、ジャーナリストの山村明義氏が、フェース・ブックで論評を行っています。その内容を以下に掲載します。

山村明義氏
  さて、朝日新聞が本日(8月5日付)の朝刊で、「慰安婦問題 どう伝えたか 読者の疑問に答えます」という二面ぶち抜きの記事でこれまで沈黙していた社論を使った反撃を始めました。「朝日は絶対に購読したくない」という方や、「忙しくて読むヒマがない」という方のために、今回の朝日のスタンスの要点だけを簡単にいうと、一連の「慰安婦問題報道」について、朝日側は朝鮮人慰安婦の「挺身隊との混同」と「済州島での連行」の記事については取材や報道の誤りを認め、「強制連行」と「日本軍関与」の記事、さらに「キーセン」として売られていた朝鮮人女性への植村隆元記者の「慰安婦 初の証言」のインタビュー記事については、基本的にそれぞれ誤りを認めないという、あたかも「痛み分け」を狙ったかのような内容になっています。 
 そして一面には、編集担当の杉浦信之記者の「慰安婦問題の本質直視を」というコラムが掲載され、「裏付け取材が不十分だった点は反省します」としながらも、「『慰安婦問題は朝日新聞の捏造だ』といういわれなき批判が起きています」と「両論併記」で記しています。つまり、「悪い点もあったが、良い点もあった」、「反省」はしても「謝罪」はしないといういかにも朝日らしいスタンスです。 
高齢化した左翼リベラル層 彼らの考えは50年前と同じ
 この連載は2日間続くそうですが、彼らが「慰安婦報道」について反論を始めた理由は、日本全国から「なぜ反論しない」、「本当か」という声が殺到したためとしていますが、内情はどうやらそれだけではないようです。朝日新聞関係者によれば、それは、「現在、朝日新聞は左翼リベラル層の高齢化による購買部数の激減や、社内での部の議論の対立など瀬戸際に立たされ、なおかつ戦後長らく築き上げてきた”オピニオン・リーダー”の座を降りる可能性が出てきたからだ」といわれているからです。まさに「窮鼠猫を咬む」とはこのことです。 
 これまで自虐史観を散々煽ってきた朝日新聞の人たちに、こう言っておきましょう。「記事に重大な誤りがあるのであれば、最初に貴方たちが日本人として素直に謝罪しなさい。貴方たちは報道機関としての取材不足による”虚報”によって、後世の日本人たちに対する重大な悪影響を与えたのだから、話はまずそれからだ」とー。
山村氏の論評もっともです。朝日新聞の、 取材不足による”虚報”によって、後世の日本人たちに甚大な悪影響を及ぼしています。これは、絶対に許されないことです。

朝日新聞は、ついに「吉田清治の嘘」を認めたということです。しかし、これはあまりに遅すぎです。この30年の間にどれほどの国益が損なわかを考えると忸怩たる思いがします。

最近では、国益どころか、個々人の人権まで踏みにじられています。アメリカでの実害が報告されています。以下の動画をご覧になって下さい。



この動画では、独立総合研究所の青山繁晴氏が米国のカリフォルニア州を訪れ中国と韓国の反日プロパガンダで苦しんでいる在米日本人の日本語学校に通う子供達や主婦に対して講演を行った時の事を報告しています。

青山繁晴氏は中国人や韓国人、さらにその影響を受けたアメリカ人によって在米日本人が殴られたり言葉の暴力などの酷いいじめに遭っていると訴えています。

青山氏が韓国人や中国人がでっち上げの従軍慰安婦や南京大虐殺を元にした反日工作が浸透していて米国で日本人差別が蔓延しているのに、日本政府(外務省)も知らんぷりしていると批判しています。そうして、こんなことは氷山の一角に過ぎないと思います。

確かに、日本政府の対応も悪いですが、問題の根本をつくりだしたのは、日本政府ではなく、朝日新聞です。韓国は、河野談合や朝日新聞の掲載した記事の内容を自分たちに都合よく利用しているだけです。

「朝日新聞は日本の良心」と思い込んでいる善良で間抜けな自称インテリで認知症の朝日新聞購読者が、どれだけこの嘘を信じてきたことでしょうか。朝日新聞は、虚偽とを認めるだけでなく、謝罪すべきです。

しかし、朝日新聞は決して反省などしていません。にもかかわらず、「吉田清治の嘘」を認めたということは、さすがにそうしないといけないくらい追い込まれているのだと思います。販売の落ち込みは相当厳しいのではないかと思います。

こんな新聞をクオリティー・ペーパーと心から信じて読んでいる、高齢者が哀れです。ありもしない虚構を信じこまされ、誤った歴史観を植え付けられ、これじゃまるで、認知症を促進しているようなものではありませんか。

それに、こんなことばかりしている朝日新聞の記者や、幹部たちも心配です。要するに、虚偽の情報や、ありもしない情報を捏造して、記事を書いたり、それを方針するわけですから、だんだん頭がおかしくなっていくのが当然の成り行きだと思います。

これについては、以前このブログでも掲載したことがあります。その記事を以下に掲載します。
日本人は凄いという内容の本やテレビ番組をみて喜んでいるとアホになる―【私の論評】日本と日本人は駄目、という内容の本やテレビ番組をみて喜んでいるとアホになるし、そういうコンテンツばかり作成している日本のマスコミ関係者は若年性認知症になる(゚д゚)! 
 詳細は、この記事をご覧いただくものとして、この記事から一部を抜粋して、以下に掲載させていただきます。
 このブログでは、西村幸祐氏の『マスコミ堕落論』という書籍の書評を掲載したことがあります。
そのURLを以下に掲載します。
【書評】『マスコミ堕落論』西村幸祐著―【私の論評】メディアの知的レベルが、一般国民に追いぬかれたは、メディアに「機能的非識字者」が増えたためでもある(゚д゚)!
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、 この記事で、西村氏が「メディアの知的レベルが、一般国民に追いぬかれた! 」と主張していることに対してその原因としてマスコミかんけいしゃに「機能的非識字者」が増えたからではないかとの仮説をあげてみました。 
「機能的非識字者」とは、自分の名前は書けるし、Facebookで近況をアップロードできるけれど、「社会の中で能動的に活動するため、自身の目的を達成するため、自身の知識や能力を発展させるために、文章を理解し、評価し、利用し、関与していく能力をもたない人」のことです。 
そうして、マスコミ関係者のほとんどは、一応大学を卒業しているなどのことから、本来は機能的識字もあったとは思いますが、結局、思考軸に「日本」という軸がなく、これが、彼らの頭を悪くした結果が、「機能的非識字者」になった原因であるかもしれないことを掲載しました。
そうして、本日はさらに、新たな原因を付け加えたいと思います。それは、もうお分かりと思います。それは、年がら年中、日本や日本人が駄目なことを掲載し続けることを繰り返しているうちに、ネガティブ思想に凝り固まり、頭が悪くなってしまったということです。 
そりゃそうですわ。とにかく、自分の住んでいる国、自分が生まれた国について、長期にわたって、ネガティブな面ばかり探し出し、そうしてそのネガティブな面を記事などにするようなことを日々繰り返していれば、頭は悪くなります。 
ドラッカー氏も、人をみるときには、その人間の良い面を見ることをすすめています。悪い点ばかりみていても、結局何にもならず、やはり良い点を見出し、それを伸ばしてやるのが最上だとしています。 
悪い点ばかりみていて、それを注意して治そうとしてしも、それはなかなかうまくいくものではありません。良い点を見出すのが最上なのです。多くの人は、この逆をしてしまい、失敗してしまいます。 
マスコミは日本や日本人の悪い点ばかり、注目して報道をしてきた結果、何ら社会に貢献することもできず、西村氏が主張するように、「メディアの知的レベルが、一般国民に追いぬかれた! 」のです。

日本の良い所を見出そう(゚д゚)!
そりゃそうです、一般国民は少なくとも、マスコミのように体系的に職務として、日々日本や日本人の悪いところばかり注目するということはないですから、マスコミ関係者のように頭脳がおかされるということはありません。 
私は、西村氏の主張は、一般国民が頭が良くなったというよりは、マスコミ関係者の頭が相対的に悪くなったのだと思っています。一連の靖国報道、集団的自衛権報道、秘密保護法報道、オスプレイ報道の空騒ぎを見ているとそう結論せざるを得ません。 
ただし、マスコミは、日本や日本人の批判をいっさいすべきではないということを主張したいわけではありません。批判はすべき思います。ただし、その批判の目的としては、日本や日本人がよくなってもらいたいという趣旨で行われるべきものであり、他国の利益にかなようようなことを目的としていては、ただの馬鹿ですし、これを繰り返していれば、本当の馬鹿になるといいたいだけです。

このまま、日本の悪いところ、日本人の悪いところにばかりに注目していけば、マスコミ関係者の中にいわゆる、若年性認知症が蔓延するようになるかもしれません。実際にそうなりかけています。 
西村氏の『マスコミ堕落論』などを読んでいるとまさしく、そう思ってしまいます。左翼系の人々や、マスコミなど統計をとってみれば、他の仕事をしている人たちよりも、認知症になりやすいという結果がでるかもしれません。
とにかく、自分の頭で判断して、事実確認などあまりせずに、虚偽と捏造を本物のように偽って日々記事などを書いたり、それを方針として、10年以上の長きわたって実行していたとすると、それが頭脳に与える悪影響は計り知れません。

だから、山村明義氏が指摘しているように、「一連の「慰安婦問題報道」について、朝日側は朝鮮人慰安婦の「挺身隊との混同」と「済州島での連行」の記事については取材や報道の誤りを認め、「強制連行」と「日本軍関与」の記事、さらに「キーセン」として売られていた朝鮮人女性への植村隆元記者の「慰安婦 初の証言」のインタビュー記事については、基本的にそれぞれ誤りを認めない」という、なにやら、妄想老人のような反応をするのだと思います。

いずれ、精神がおかしくなり、虚偽や捏造が本当と信じこむようになってもおかしくありません。この状況はとても正常とはいえません。朝日新聞の記者や、幹部の方々は、精神鑑定をしていただてはいかがでしょうか。

精神を病んだ人たちが、クオリティー・ペーパーとしての新聞を発行したり、新聞を通じて、オピニオンリーダーになることなどできません。まずは、まともな精神に立ち返るか、それができないというのなら、実質廃業して、精神がおかされていない若い人々に譲るべきではないでしょうか。

かつて、野坂昭如氏は、『妄想老人日記』という私小説のなかで、妄想力があれば高齢化社会を楽しく生きることができる-。「妄想」は老人期を生き抜くための大切な「糧」なのだ。美女、バイアグラ、酒…。などとして、妄想と現実の狭間で楽しく生きる老人の日々を描いていました。

妄想老人日記 (中公文庫)

私自身は、野坂氏のような老後の生き方は、それはそれで良いと思います。なぜなら、野坂氏は彼の生き方を正しいとも間違いともせず、自分の生き方として自分自身が肯定しているだけであって、それを他の人、特に若い世代に対して、強要したり、正しい生き方として範を示すとか、後世に残すなどという考えはもうとうありません。

しかし、朝日新聞は範を示す、後世に残すという考え方を捨てきれないようです。それに、こちらは、札幌ですが、慰安婦捏造の元朝日記者である植村隆は、札幌市の北星学園大学で 非常勤講師になり、朝日新聞を教材に反日講義を行っているそうです。高知出身だそうですが竜馬も売国県民に悲しんでいると思います 。

会社をやめても、オピニオンリーダーとして、自らの虚妄を多くの人々に信じこませたいようです。

虚妄、虚偽の新聞記事を書いた記者が、大学に天下り、こんな講義をしているということです。一体このような人間がどのような教育ができるというのでしょう。

朝日新聞自体も同じです。今でも、虚妄をあたかも正しいものとして、新聞というメディアを通じて、多くの人々に信じこませ、それどころか、自らをオピニオンリーダーなどとかいかぶっています。

こんなことを天下の公器てもあるはずの、新聞でやられてはたまったものではありません。百害あって一利なしとはこのことです。

どうしても、やりたければ、「虚構新聞」でもやれば良いのです。

虚構新聞の画面 クリックすると拡大します
虚構新聞(きょこうしんぶん)は、日本のウェブサイトのひとつ。「実際にありそうで実は存在しない」ネタをニュースとして掲載しています。

このサイトあまりも嘘がうまいので、私が最初このサイトの記事を読んだとき、本物かと疑ったものです。記事を読ん後で、「虚偽新聞」というタイトルをみて、本物ではないことに気づきました。

このサイトの嘘、本当にうまくて感心してしまいます。このサイトの記事を引用しているブロク゛もありますが、中にはどうみても、本物と信じ込んでいるとしか思えないようなものも、いくつかみたことがあります。

このサイトのように最初から虚偽であることを断った上で、朝日新聞を作成するのです。『虚偽朝日新聞』というタイトルが相応しかもしれません。テレビは、『虚偽朝日テレビ』というのが良いかもしれません。

朝日新聞やテレ朝などでも、こうした方針で記事や、番組を提供したとしたら、これは面白いでしょう。一挙に販売数や視聴率が増えると思います。朝日新聞や、テレ朝の窮地を救う方法はこれしかないかもしれません。

健康な人々は、新聞やテレビをみて、虚構を楽しめば良いのです。私自身、虚構新聞を読んでいると本当におかしくて腹をかかえてしまうことがあります。結構ストレスの発散になります。

そうして、妄想老人は、それを本当だと信じこんで読んだり、観たりすれば良いのです。ただし、妄想老人の皆々様方には、妄想を信じこんでも良いですが、それを他の人、特に若い世代に対して、強要したり、正しい生き方として範を示すとか、後世に残すなどという考えなどは持つべきではありません。

これによって、正常な人からも妄想老人からも両方から、読者や視聴者を獲得でき、朝日新聞、テレ朝ともに大躍進です。

若いころの野坂昭如氏
老人は、所詮過去の人間です。次世代は若者がつくっていくのです。未来は、若者や子どもや、これから生まれてくる子供たちによって作られていくのです。

老人は、野坂昭如氏のように、自分の生き方を正しいとも間違いともせず、自分の生き方として自分自身が肯定しているだけにとどめておくべきです。自分の人生を自分が肯定して、それを他の人に強要しないという生き方が最上だと思います。

あくまで、自分で評価したり、自ら他の人に強要したりするのでなく、他の人が高く評価して、それを参考にするとか、指針とするというのであれば、それは、それで構わないと思います。この道を踏み外したのが朝日新聞です。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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【書評】『マスコミ堕落論』西村幸祐著―【私の論評】メディアの知的レベルが、一般国民に追いぬかれたは、メディアに「機能的非識字者」が増えたためでもある(゚д゚)!

政権批判ばかりのメディアや「ダメダメ」論の学者はもういらない! いま、国民が知りたいのは「どうしたら暮らしが良くなるのか」である!―【私の論評】これからは、「良くなる」「良くできる」論が幅を効かせて行く時代!!潮目の変化を見れない政治家やマスコミは没落していくのみだし、没落したほうが世のため人のため!!


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