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2017年6月23日金曜日

《zak女の雄叫び お題は「選」》身の毛もよだつ女性代議士の「絶叫暴言」「暴行障害」報道―【私の論評】コミュニケーションの原則を知らない組織人が増えた(゚д゚)!


日刊工業新聞創刊100周年記念で祝辞を述べる当時文部科学政務官・豊田真由子氏(2015/11/16)
「このハゲーーー!」「違うだろーーー!」

 自民党の豊田真由子前文部科学政務官(衆院埼玉4区)が自らを乗せた車を運転中だった元秘書を大声でののしり、顔などをげんこつで数回殴って打撲を負わせていたと、22日発売の週刊新潮が報じた。同日朝から複数のワイドショーがこれを取り上げた。同日午後、豊田氏は離党届を党本部に事務所を通じて提出。今後、大きな問題に発展しそうだ。

 新潮によると、元秘書は豊田氏から最初に暴力を振われた日に「鉄パイプで頭を砕いてやろうか」「お前の娘にも気概が及ぶ」と告げられた。身の危険を感じた元秘書は翌日、万が一に備えて車内のやりとりをICレコーダーで録音。新潮はこの音声の一部をインターネットの動画投稿サイトで公開している。

 ゾッとするのは、ミュージカル風の抑揚を付けた歌を交えて言い放ったというこの言葉だ。

 「お前の娘が通り魔に強姦されて死んだと。いや犯すつもりはなかったんです、合意の上です、殺すつもりはなかったんですと。腹立たない?」

 「(元秘書の)娘が顔がぐしゃぐしゃになって頭がぐしゃぐしゃ、脳みそ飛び出て車にひき殺されても、そんなつもりがなかったんですで済むと思ってんなら同じこと言い続けろ」

 国会議員が秘書に暴言を吐いたり暴力を振ったりしたという週刊誌報道は珍しくない。だが、これほど戦慄を覚えた記事は初めてだ。永田町ではもともと秘書への当たりが強いことで有名だったが、まさかここまでとは…。党内には「これはアウト。離党は免れないだろう」(ブログ管理人注:昨日離党済)との声もある。

 豊田氏は、自民党が政権を奪還した2012年の衆院選で政界入り。追い風が続いた14年の衆院選で2度目の当選を果たした「魔の2回生」の一人だ。自身も過去、天皇、皇后両陛下が都内で主催された春の園遊会に、本来は入場が認められない母親を連れて入場したと報じられたことがある。ピンクのスーツと巻き髪がトレードマークだ。

 同期の不祥事は枚挙にいとまがない。金銭トラブルで離党した武藤貴也氏(滋賀4区)▽妻の妊娠中の不倫が発覚し議員辞職した宮崎謙介氏(京都3区)▽「マスコミを懲らしめる」などの舌禍を繰り返している大西英男氏(東京16区)▽路上キスを撮られた中川郁子元農林水産政務官(北海道11区)と門博文氏(比例近畿ブロック)▽台風の被災地視察をめぐる言動で内閣府兼復興政務官を辞任した務台俊介氏(長野2区)▽不倫相手との“海外挙式”などを報じられ経済産業政務官を辞任した中川俊直氏(広島4区)…。

 なぜ「魔の2回生」にスキャンダルが続出するのか。その要因として度々指摘されるのは、1994年成立の改正政治改革関連法で衆院選に導入された小選挙区制の弊害だ。

 中選挙区時代を知る自民党重鎮は「小選挙区制は大嫌い。振り子のように振れるから育つ人も育たないし、追い風が続くと淘汰(とうた)されるべき人も淘汰されない」と苦い表情を浮かべる。

 新人議員の頃から悪評判が多かった豊田氏が2期目の当選を果たした際は、当時の党選対幹部も「『勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし』というが、なぜ彼女が勝てたのか分からない」と首をひねっていた。

 とはいえ、中選挙区制が見直されたのも「派閥間選挙となりがちで派閥政治の弊害を生む」などのデメリットが指摘されたからに他ならない。万能な選挙制度はない。一人一人の有権者が現行制度のもとで、最善の選択と信じる候補や政党に票を投じるしかないのだ。彼女を信じて票を投じた埼玉4区の有権者は今、何を思うのだろう。(蜂)


 永田町で政界を取材するアラサー記者。

【zak女の雄叫び】取材や日常…。女性記者21人が月ごとのキーワードで本音を綴るリレーコラムです。6月のお題は「選」 です。

【私の論評】コミュニケーションの原則を知らない組織人が増えた(゚д゚)!


ブログ冒頭の記事では、今回の事件の原因に関して「小選挙区の弊害」しか語られていません。無論これも重要な原因の1つになってはいるとは思います。しかし、私自身はそれだけではないと思います。

この背景には、昔から日本人が得意としてきた、コミュニケーションとか、それを体現してきた惻隠の情などという感情が日本人から消えつつあるという背景もあるのではないかと思います。

そもそも、惻隠の情という言葉も最近では死語に近くなってきています。これは、元々は孟子の言葉です。 孟子は、親の子を思う心を、「惻隠の情」とし、これを社会生活の全てに及ぼすように説きました。 相手の心情を深く理解する事を意味します。 これは、孟子の師である孔子の「仁」に通じ、日本人は弱者を守り、親孝行するなど全て「惻隠の情」から来ていました。

豊田真由子議員に少なくとも惻隠の情なるものがあれば、今回のこのような事件はなかったかもしれません。

それにしても、現在の日本ではこの「惻隠の情」が消え失せたのではないかと思われるような事が多々あります。たとえば、学校内でのイジメとか、そのイジメを無視する学校の先生をはじめとする大人。あるいは、ブラック企業におけるいわゆる悪質なパワハラなど、例をあげればきりがありません。

私自身は、元々は日本人は他国の人々に比較すれば、コミュニケーション能力に長けており、それが日本の様々な面で強みになってきたと思っていました。

しかし、最近の日本においては、「おもてなし」に代表されるように、コミュニケーションに長けている面もありながら、それが徹底的に欠けていると思わざるを得ないような、今回のような事件も散見されます。

私自身は、コミュニケーション能力の欠如を今のまま放置しておけば、日本の将来の産業競争力なども衰退するのではないかと危惧しています。日本では、コミュニケーション障害が目だようになってきましたが、一方米国では、随分前から職場で本当に必要なのは、情報ではなく、コミュニケーションであるということが主張され、コミュニケーションを重視する気風が高まっていました。

さて、コミュニケーションというと、日本では「ホウレンソウ」などということが言われていて、まめに「報告・連絡・相談」すれば、コミュニケーションが図られるなどと言われていますが、私はそうではないと思います。「ホウレンソウ」をかなり、まめに行っていてもコミュニケーションは成り立っていないことも十分あり得ると思っています。

経営学の大家ドラッカー氏
コミュニケーションについて経営学の大家ドラッカー氏は以下のように語っています。
上司の言動、些細な言葉じり、癖や習慣までが、計算され意図されたものと受け取られる。(『エッセンシャル・マネジメント』)
階層ごとに、ものの見方があって当然です。さもなければ仕事は行なわれません。しかし、階層ごとにものの見方があまりに違うため、同じことを話していても気づかないことや、逆に反対のことを話していながら、同じことを話していると錯覚することがあまりに多いのです。

コミュニケーションを成立させるのは受け手です。コミュニケーションの内容を発する者ではありません。彼は発するだけである。聞く者がいなければコミュニケーションは成立しないのです。

ドラッカーは「大工と話すときは、大工の言葉を使え」とのソクラテスの言葉を引用しています。コミュニケーションは受け手の言葉を使わなければ成立しないのです。受け手の経験に基づいた言葉を使わなければならないのです。

コミュニケーションを成立させるには受け手が何を見ているかを知らなければなりません。その原因を知らなければならないのです。

人の心は期待していないものを知覚することに抵抗し、期待しているものを知覚できないことに抵抗します。
受け手が期待しているものを知ることなく、コミュニケーションを行うことはできない。期待を知って初めてその期待を利用できる。あるいはまた、受け手の期待を破壊し、予期せぬことが起こりつつあることを認めさせるためのショックの必要を知る。(『エッセンシャル・マネジメント』)
まさに、今回の事件においては、豊田真由子議員は、彼女の政策秘書の期待しているものを知ることもなく、秘書に対して覚醒のためのショックを与えようと「罵詈雑言」を並べ立てたのでしょう。

相手の期待していることを理解しなければ、たいていは相談しようが、報告をしようが受けようが、相談しようが、何をしても結局何も伝わりません。豊田真由子議員は、こうしたことを何回も繰り返してきたにもかかわらず、結局秘書と話が通じないため、このようなことになってしまったのでしょう。

では、相手の期待を知るためにはどうすれば良いのでしょう。それには、ドラッカー氏も言っているようにまずは、「コミュニケーションとは、私からあなたへ、あなたから私へと一方的に伝わるのではない」ということを理解しなければならないです。このあたりを理解していない人が豊田議員をはじめ、最近ではあまりにも多すぎです。

コミュニケーションとはそうではなくて、「私達の中の一人から私達の中のもう一人」に伝わるものなのです。ですから、普段から「私達」という関係を築いておかなければ、コミュニケーションは成り立たないのです。

そうして、普段から「私達」といえる関係を構築して、コミュニケーションが成り立っていれば、たとえ何かの理由でかなり叱責したとしても、それが正当なものであれば、全く関係がこじれるなどということはありません。

このことを忘れている人が多いです。そうして、「私達」という関係を築くためには、ドラッカー氏は「目標管理」を第一にあげています。しかし、私はそれも重要だと思いますが、これはドラッカー氏も否定はしていませんが、「経験の共有」が一番だと思います。

親しい人などとは、コミニケーションが通じやすいことが多いものですが、これは知らず知らずのうちに、その親しい人と過去において「経験の共有」を積み重ねてきたからに他なりません。

一昔前の政治家、特に大物政治家といわれる人たちは、この「経験の共有」ということをここぞというときに徹底的に実行したようです。そのため、彼らはしばしば「人たらし」と呼ばれることがあります。

その典型例でもある田中角栄氏の例を以下にあげておきます。

田中角栄氏

《人たらし事例1》
田中派の一回生議員が美人局に遭い、解決のために多額の金銭が必要となってしまった。様々なツテに頼ったがどうしても100万円(現在の価値では3倍以上)足りない。 
選挙を終えたばかりで借金のあった議員は万策尽き、田中の事務所に電話をかけて借金の申し込みをした。 
事情を聞いた田中から「分かった。すぐに金を用意するから取りに来るように」と言われ、急いで事務所に向かうと、田中本人は急用で外出していた。
その議員は留守番の秘書から大きな書類袋を受け取り、その中身を確認すると300万円が入っており、同封されたメモには以下のように書かれていた。
「トラブルは必ず解決しろ。以下のように行動しなさい。 
 1. 100万円を使ってトラブルを解決すること。
 2. 100万円を使って世話になった人に飯を奢ること。
 3. 残りの100万円は万一のトラブルの為に取って置くように。
以上、これらの金は全て返却は無用である」
その議員は感涙し、後々まで田中への忠誠を守り通した。


《人たらし事例2》
大蔵大臣時代、1963年度の所得税法改正の審議の際、担当官僚の大蔵省主税局税制第一課長であった山下元利のミスで、誤った税率表を使っていた。

審議中であったために、訂正は不可能であったうえ、大事な箇所にも誤りがあり、その税率表を作成した役人たちは青くなっていた。

これをマスコミや他の党が黙っているはずがなかったが、山下がこのことを辞表を忍ばせ田中の元に訪れると、笑いながら「そんなことで辞表は出さなくていい」と改定表を持ち、堂々と「先日提出の表には間違いがございます」と何食わぬ顔で訂正した。野党もマスコミも沈黙したままであった。

もちろん田中が裏で手を回したのは言うまでもない。このように責任をかぶるということをためらわずし、想像もできないアイデアを出すため、田中を慕った官僚は非常に多い。
このような事例は昔の政治家や大物経営者には良くあったことです。田中角栄氏にも、他も様々な事例があります。それについては、以下のリンクからご覧下さい。
「田中角栄」人たらし伝説 
さて、 コミュニケーションを円滑にするためには、ドラッカーを語っているように「受け手の期待を破壊し、予期せぬことが起こりつつあることを認めさせるためのショックの必要を知る」事が重要です。

このショックといえば、私達にとって一番身近な例は「叱る」ということです。最近は、この「叱る」ということがうまくできない人が多くなったと思います。豊田真由子議員の今回の事例は、まさにこの「叱る」ということに大失敗したということです。

しかし、ショックを与えるのは、何も「叱る」ことばかりではありません。たとえば《人たらし事例2》の山下元利の事例もショックです。当時の山下氏からすれば、それこそ烈火のごとく叱責を受けるものと覚悟していたと思います。ところが、実際に田中角栄氏を訪れると、叱責どころか、笑顔で、その間違いの責任を田中角栄氏が負ったということは、大ショックだったと思います。このようなことを通じて、田中角栄氏と山下氏とのコミュニケーションはかなり深まったと思います。

ショックを与えるにしても、いつも「叱る」ってぱかりというのではなく、コミュニケーションの達人たちは、このように臨機応変に「ショック」を与えてきたのです。

そうして、あのプーチンにも人たらしの一面があることは、このブログでも最近掲載したばかりです。やはり、政治家には「人たらし」の一面がなければ、大成しないのでしょう。

政敵を次々と暗殺するプーチンにすら人たらしいの一面がある
それにしても、このようなコミュニケーションの達人になるにはどうしたら良いのでしょうか。それは、やはり相手に対してまずは愛情がなければできないことです。豊田真由子議員は、政策秘書といえば、自分の身内であるという意識に欠けていたと思います。

そうして、愛情だけでも、うまくはいかないこともあるものです。まずは、人の見方が幼稚であれば、たとえ相手に愛情を持っていたとしても、たいていはうまくはいきません。

さて、人の見方とはどういうことでしょうか。それは、結論からいえば、人の弱みではなく、強みに着目するということです。ドラッカー氏も人の強みを活かすという考え方が、組織には必要だと以下のように語っています。
人のマネジメントとは、人の強みを発揮させることである。人は弱い。悲しいほどに弱い。問題を起こす。手続きや雑事を必要とする。人とは、費用であり、脅威である。
しかし人は、これらのことゆえに雇われるのではない。人が雇われるのは、強みのゆえであり能力のゆえである。組織の目的は、人の強みを生産に結びつけ、人の弱みを中和することにある。
企業の管理職の中にも、部下などの弱みばかりに着目するひともいます。しかし、そういう人は最初はうまくいっているように見えても、長期的には必ず失敗しています。

普通の人は、高校を卒業したあたり年齢で、大体その人強みや弱みは特定されてしまいます。その後、いくら弱みを是正しようとしてもほとんどできるものではありません。しかし、強みに関しては、さらに大きく伸びる可能性を秘めています。

だからこそ、企業などの組織では、人の弱みを是正することばかりに時間を割いていては、全く資源の無駄遣いになるのです。弱みに関しては、他の人にやらせるようにするか、それが重大な問題になることを避ける程度に是正し、後は強みを伸ばすことに集中したほうがよほど建設的なのです。

豊田真由子氏は、ここでも勘違いしていたものと思います。政策秘書をあれだけ、「叱る」わけですから、やはり政策秘書側にも何らかの弱みがあったものと思います。であれば、その弱みは、他の人にやらせるか、それが不可能であれば、何か手順を1つ加えるなどして、システムを構築して、間違いが発生しないようにするなど手立てをして、政策秘書に関しては、強みの部分を多いに発揮できる体制を整えるべきだったのです。

以上述べたことは、組織の中の大原則です。これを無視する人は、組織人としては成功しません。豊田真由子氏はこの原則をことごとく、違えたままで来て、ここに来て大失敗したということです。

豊田真由子氏は、自民党の議員として自民党という組織に属していますし、国会という組織の一員です。さらには、小さいながらも事務所という組織を構えた組織人です。組織人であれば、やはり上記のようなコミュニケーションの原則は、かつての大物政治家のようにうまくはできなくても、知ってはおくべきだったでしょう。これ身につけてさえいれば、最低今回のような事態は避けられたと思います。

与党議員も、豊田氏のようにコミュニケーション不足で辞任などに追い込まれる議員が増えているようですが、野党議員もそれこそ、有権者とのコミュニケーションに失敗し、支持率は低迷したままです。

それにしても、今の日本、政治家であれば当然のことながら、これらの原則をわきまえているべきなのに、そうではない豊田真由子という人物が出てきたということは恐るべき事実です。政治家も官僚もそれに企業人ですらこれらの原則への意識が希薄になっているのではないかと思います。

だとしたら、今後の日本が心配です。

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2016年10月27日木曜日

豊洲問題の議論過程を公開 小池都知事の姿勢は正解―【私の論評】お白洲方式を成功させるためには、原則と順番がある(゚д゚)!

豊洲問題の議論過程を公開 小池都知事の姿勢は正解

豊洲市場の問題は徐々に進展している。構造上の安全性と衛生上の安全性の二つが指摘されていたが、2016年10月25日の都の「市場問題プロジェクトチーム」で、構造上の安全性は問題なしという意見がでた。

この議論の様子は、ネット上(都政改革本部HPの動画)で確認することができる。多少専門的な議論であるが、流れは誰でも把握できるだろう。この会議が面白いのは、構造上の問題があると批判してきた人と、実際の設計担当者がガチンコで議論していることだ。


 小泉政権時の「お白洲」

批判者は、森山高至氏と高野一樹氏だ(会議の座席表もネットで確認できる)。いずれも、テレビ出演やブログで構造上の安全性を批判してきた。

ところが、会議では、実際に設計を担当した日建設計の人にかなりやり込められていた。今後も、専門的な議論を続ける模様だが、構造上の安全性は問題なしという方向で結論が出るのではないか。

この会議を見て、かつての経済財政諮問会議の「お白州」を思い出した。筆者は、小泉政権時、財務官僚であったが、当時内閣府に出向し竹中平蔵大臣直轄の経済財政諮問会議特命室参事官であった。それまでの役所の慣例であれば、そこは経済財政諮問会議の事務局なので、同会議を意のままに操っていただろう。しかし、竹中大臣は違った。

筆者が、いろいろな政策案を竹中大臣に相談すると、答えはいつもおなじで「面白そうだね。今度の経済財政諮問会議で議論しよう」だ。けっして、筆者の意見をその場で採用することはなかった。

そして、経済財政諮問会議が「お白州」になる。「お白州」というのは、竹中大臣自身が言っていた言葉である。経済財政諮問会議は、資料も議論も直ぐ公開される。会議では民間議員、閣僚同士のガチンコ議論が当時は行われていた。筆者の提案したものは民間議員ペーパーになり、閣僚からの反対意見を招いた。ある時、財務大臣と経産大臣が猛烈な反対をしたが、そのロジックは論旨不明だった。そうした閣僚の反対意見を聞いていた小泉総理が、両大臣に対し「役人の言いなりなるな」と机を大きく叩いて、会議を終わりにしてしまった。それは総理が意図したものだが、その場は険悪な雰囲気だった。

 一方的な意見を垂れ流したマスコミは情けない

その後、物騒なペーパーを書いた筆者は怒られるのを覚悟していたが、竹中大臣は論点が明確で結論の方向性が出たと評価してくれた。もちろん、筆者の提案がすべて「お白州」で賛同を得たわけではなく、ボツになったものもあった。

「お白州」では、提案する方もそれを批判する方も、公開の場で対等である。これは裁判みたいなものだ。

豊洲市場の構造上の安全性についても、森山氏と高野氏の批判だけを聞いているともっともに聞こえるが、その反対意見の日建設計の担当者と議論すると、どちらがよりまともかが、素人にもだいたい分かる。

小池都知事は、議論の公開を重視している。少なくとも、都庁内での議論を透明化し、いわゆる御用審議会を「お白州」状態にしたことは評価していい。為政者は、良い意見をとればいいのであって、その意味で公開の場を設定するのは正しい。

森山・高野氏と実際の設計担当者の間で「市場問題プロジェクトチーム」という「お白州」で議論すれば、どちらかが「公開処刑」になるが、小池都知事としてはいい結論を選べる。

それにしても、森山氏らを使い続けて、豊洲市場は構造上の安全性に問題ありとの一方的な意見を垂れ流したマスコミは情けない。

++ 高橋洋一

【私の論評】お白洲を成功させるためには、原則と順番がある(゚д゚)!

メディア、特にテレビは、豊洲問題の報道の仕方を徹底検証して、反省していただきたいものです。この件では、テレビは豊洲の危険性を煽っていた森山氏らをフル稼働させました。外野だけじゃなく、現実の当事者を参加させないとこうなります。やはり、日建設計の担当者も稼働させるべきでした。

森山高至氏
フジテレビは10月2日放送の「新報道2001」で、築地市場の豊洲移転を取り上げ、豊洲市場加工パッケージ棟の柱が傾いているのではないか、と指摘しました。

根拠としたのは、東京都中央区の渡部恵子区議が提供した1枚の写真。ネット上では、この報道に対し、「柱の傾きはカメラの性質によるもの」だという指摘がありました。

写真を撮る時にレンズを傾けると、周辺が歪んで見える効果があるからです。

VTRでは、提供写真を使った。だが、柱が傾いていると強調するために、写真を回転させ、右側の柱が垂直、左側が大きく左に傾いているように見せているのではないか、との声も出ました。

番組は、プロカメラマンや建築の専門家などの意見を紹介し、豊洲市場やその周辺の地盤沈下の影響による柱の傾きが疑われるとの方向で報じました。「柱の歪みはカメラレンズによるものだ」とする都の職員の話も取り上げましたが、全体としては、柱が傾いていると印象づける内容で、そこに批判が集まりました。

「報道2001」で報道された豊洲市場の柱
結局、この柱の湾曲の件ついて以下の様な事実上の謝罪をしています
今月2日の『新報道2001』で、豊洲市場内の柱の一部が傾いて見える写真があると放送しました。柱が傾いたように見えるのは、カメラのレンズによる可能性があるという点は放送中、VTRやスタジオで説明していますが、東京都は否定しており、番組であらためて事実関係を検証したいと考えております。 
これに限らず、豊洲新市場問題については、かなり白熱した場面が多数見受けられました。日々のテレビ番組の制作に追われている現場からすると、豊洲新市場等のホットな話題について「語れる専門家」を探したとしても、日中のビジネスタイムのテレビ出演できるような「あまりパッとしない専門家」ぐらいしか出演に応じてもらえないことになります。大規模構造物について現役で事実を専門的にまともに語れる人は、事務所等に所属して守秘義務があり日中は働いて番組出演など不可能です。

その結果、検証されない“トンデモ”ない内容が報じられることになり、事情を知らない視聴者は「そういうことなのか、豊洲はけしからん」という認識になったのでしょう。そもそも、ターレー(運搬車)程度の荷重で床が抜けるはずもなく、当然ガセネタや言いがかりのレベルの放送内容になってしまったのですが、これの検証ができないことは本当にテレビ局や制作会社の責任にだけ帰していて良いのでしょうか。

このような問題は、過去に幾度となく繰り返されています。たとえば、STAP細胞騒動などもそうです。結局のところ、すべてが小保方氏の倫理問題にすり替えられ矮小化され、理研や文部省の危機管理の問題や、統治の問題がなおざりにされたままです。

本来は、業界団体なり本当の専門家なり施工・設計の当事者なりがしっかりと声を上げ、訂正報道を求めるなり、問題のある発言をした自称専門家の出演自粛を要請したり、明確な風説の流布には営業妨害で訴訟を起こすといった話さなければならなかったはずです。


私自身は、東京都の資料や他の資料から、豊洲は少なくと築地よりは、はるかに安全であると思っていました。そのため、豊洲の建物を下の盛り土せずに、コンクリート製のピットとしたことについては、安全性には問題はないものの、誰がどのような意思決定をしたのかはっきりせず、この点は問題であるとは思っていました。

そのため、築地から豊洲への移転と、意思決定の問題に関しては切り離し、移転はなるべく速くするようにして、意思決定の問題は徹底追求すべきであると考えていました。

しかし、今から考えてみると、安全に問題があるかもしれないとされるなかで、豊洲移転を当初の予定通りにするなどのことをしていれば、風評被害が深刻な悪影響を及ぼしたかもしれません。

しかし、高橋洋一氏の説明するように、小池知事が"経済財政諮問会議の「お白州」"方式として、豊洲の安全性を誰にでも理解できるようにしたことにより、この風評被害は完璧に防ぐことができたと思います。これによって、豊洲移転は意外は早まるかもしれません。

今後、今回のような専門性を要する事柄に関しては、テレビ等のメディアは白州の場の提供や、提供された白洲の場の報道に徹するべきかもしれません。何しろ、現状のメディアでは、専門性を持った人材があまり存在しないので、結局のところ今回の『新報道2001』のような報道になってしまいがちです。

「お白洲」式であれば、「一方だけの意見を述べる人を出すのではなく、反対意見の人もでせばいいだけです。そうして、できればたかだか数時間の議論ではなく、時間を十分とって議論させるようにするのが良いです。しかし、時間の限られた放送枠ではここが難しいのかもしれません。しかし、そうはいっても、テレビ、メディアは公開ですから「公開処刑」もありうることになります。

無論ここでいう「公開処刑」とは北朝鮮などの本当のそれではなく、動画において特定の人物の恥ずかしい部分がさらされてしまっていたりする、大勢の前で辱めを受ける状態を公開処刑と例えているものです。

このかつての経済財政諮問会議や、「市場問題プロジェクトチーム」など「お白洲」方式は、他の場面でもどんどん採用すべきです。

ただし、「お白洲」方式をするにしても、やり方があります。これに似たようなものとして、かつての民主党政権下で行われた「事業仕分け」があります。しかしこれは「お白洲」に見えて全く「お白洲」ではありません。

そもそも、「事業仕分け」は財務省の書いたシナリオを下に民主党の政治家が役者を演じただけのものです。

そもそも人選が間違えていました。たとえば、あの有名な蓮舫氏によるコンピュータ開発における「一番でなければいけないのですか」という発言が示すように、そもそも技術関連の専門家でもなんでもない政治家と、これまた専門家でもない官僚を対決させるという図式は全くの間違いで、あれは当然のことながら、コンピュータ開発の専門家同士を対決させるべきでした。それもできれば、直接ブロジェクトに関わっていない意見の異なる専門家同士を対決させるべきでした。


そうすれば、そもそも専門家同士の対決で今回の「市場問題ブロジェクトチーム」のように結論がでたかもしれません。

結論がでなくても、双方で議論をつくした上で、最終的には政治的判断をするのであれば、「事業仕分け」も受け入れられたかもしれません。この「お白洲」方式も人選を間違えれば、何も決まらないし、議論がまともにつくされることもありません。

国会でも公聴会などもありますが、公聴人が意見を述べるというだけで、ガチンコ対決をさせるというわけではありません。それに公聴会でも人選が間違っている場合もあります。

改憲議論をする際などは、現在日本で主流の憲法学者のみでなく、「憲法9条は、日本が自国を防衛をするための戦力を保持したり、行使したりすることを禁止しているわけではない」という解釈の京都学派の学者も参加させ、十二分に時間をとったガチンコ対決をさせるような「お白洲」を開催すべきです。

「お白洲」で結論が出れば、それはそれで良しとして、最終結論が出なかった場合には、最終的に政治判断をするということで良いと思います。

このような形で国会でも「お白洲」で調整した上で、政治判断をするという具合にすれば、憲法問題に限らず、経済でも、エネルギー問題でも何度も多くの国民が納得するまともな意思決定となるのではないかと思います。

現状の国会などみていると、まるで野党は「国会とは政府を追求する場である」と心得ているように思えてなりません。もちろん、そういう面を全く否定するとはいいませんが、このような側面だけが強調される現状では、時間と労力ばかりがかかって、まともな意思決定などできるはずはありません。何か意思決定が行われても、すっきりせず多くの国民が「消化不良」になったような感触を受けると思います。

結局、誰が正しくて、誰が間違いであるとか、与党が間違いで、野党が正しいなどという考え方をしていては、まともな論議など永遠にできるはずはありません。

「何が正しいか、何が間違いか」という考え方をすべきなのです。国会の論議は、この原則を忘れているから不毛になるのです。そうして、今回の「市場問題ブロジェクトチーム」がうまくいったのは、「豊洲は安全か、安全でないか」を徹底的に議論したので、うまくいったのです。

「お白洲」方式を成功させるためには、まずは「何が正しいか、何が間違いか」を議論すること、そうして議論する人の人選を間違えないこと。これが絶対原則です。

この原則を忘れて、都議会が、小池知事が、都の役人が、挙げ句の果てに元石原都知事が正しいとか、間違いかという議論をしていても議論が不毛になるだけです。そんなことよりも、まずは何が正しくて、何が間違いかを議論し、それがはっきりした次の段階で、必要があれば、誰に責任があるかを明確にするべきです。順番を間違えた論議は、不毛です。

今後「お白洲」方式を他の場面でも多く採用していただきたいのは、やまやまですが、この原則を忘れたものは無意味です。

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2013年11月17日日曜日

海洋秩序でASEANと連携=安倍首相、中国をけん制―【私の論評】妄想中国に覚醒のためのショックを与え続ける安倍総理大臣、顔をあわせない効果的なコミュニケーションもある!馬鹿共につける薬はこれしかない(゚д゚)!

海洋秩序でASEANと連携=安倍首相、中国をけん制

安倍総理でビエンチャンでの演説

【ビエンチャン時事】安倍晋三首相は17日、訪問先のビエンチャンで内外記者会見に臨んだ。東南アジア諸国連合(ASEAN)について「日本の経済再生に欠かせない友人だ」と表明。同時に「アジアの海を、自由で開かれた安定的なものにするための重要なパートナーだ」と述べ、「法の支配」に基づく海洋秩序の構築に向けて連携を強めていく考えを示した。

首相の発言は、沖縄県・尖閣諸島の領有をめぐって対立する中国が念頭にある。フィリピンなどASEAN加盟国の一部と中国の間には、南シナ海の領有権問題があり、「行動規範」の策定を協議中。首相としては、ASEANと経済、安保など幅広い分野で結び付きを強め、中国をけん制したい考えだ。 


【私の論評】妄想中国に覚醒のためのショックを与え続ける安倍総理大臣、顔をあわせない効果的なコミュニケーションもある!馬鹿共につける薬はこれしかない(゚д゚)!

今回のアセアン諸国外遊により、安倍総理は前ASEAN諸国を歴訪したことになりました。素晴らしい成果です。こ以前のASEAN諸国外遊のときに発言した安倍総理に対して、中国馬鹿共は不快感を示し、安倍総理の言質をとろうとしました。その内容を以下に掲載します。
安倍首相発言に不満=中国 
 【北京時事】中国外務省の秦剛報道局長は11日の記者会見で、安倍晋三首相が8日に中国を名指しし「(日本の)安全保障環境が厳しさを増している」と発言したことに対し、「公然と中国脅威論に言及した」と批判、不満を表明した。 
 秦局長は「日本は再三中国を挑発して一体何がしたいのか。もし中国をライバルにしたいなら、それは相手を間違っており、計算違いだ」と非難。一方で「中国は防御的な国防政策を堅持しており、適当な防衛力を保持するのは国家主権を維持するためだ」と訴えた。 
このくらいの不快感を示すと、民主党政権も、その前の自民党政権も結構オタオタしていたのですが、安倍総理は全くそんなことは意に介せず、今回も冒頭の記事にも記載されているような、発言をして、中国を牽制しました。

一方的に自己主張する人とのコミュニケーションは難しい
これは実は、立派なコミュニケーションです。コミュニケーションというと、そもそも、安倍総理と中国の首脳会談は実現しておらず、だから、全くコミニケーションが成り立っていないと考える方もいるかもしれません。しかし、それは違います。そもそも、コミュニケーションとは直接会って言葉をかわさなくても、とれるものです。コミュニケーションの原理原則をドラッカー氏は、4つにまとめています。以下に、本当に簡単に概要だけ掲載します。
■コミュニケーションの4つの原則 
1.コミュニケーションは知覚である
受け手の分かる言葉で話す。立場を考える。例えば日本語が苦手な外人に話す時を考えましょう。その相手の立場に立ったスタンスが重要です。 
2.コミュニケーションは期待である
人間は自分が知覚しようと期待するものだけを知覚できます。例えば街で薬屋を探しているとき、八百屋の存在は目に入らないものです。 
3.コミュニケーションは要求である
伝える方には要求があります。伝えられる方も要求が強ければ深く伝わるでしょうし、弱ければ(もしくは聞く気がなければ)伝わりません。 
それには、その人の人生観、倫理観、包容力、愛情、使命感など、多くの精神の力を借りて、相手と会話していくことが必要になるのです。 
4.コミュニケーションは情報とは違う
前述のとおりです。コミュニケーションは人間的です。情報と大きく違うことを理解してください。
ドラッカー氏の若い頃の写真、いつも晩年の写真なので本日はこれを掲載

ドラッカーの、この原則の中には、報告・連絡・相談はもとより、直接顔をあわせるとか、そのようなことは一切書かれていません。これらは、コミュニケーションの本質ではありません。あくまで、上の4つが、コミュニケーションの本質であり、原則です。

安倍総理以外の歴代の総理大臣は、直接会うことによって、中国とコミュニケーションを深めようとしました。しかし、過去の結果をみると、このコミュニケーションはうまくいきませんでした。いくら会って何回も話をしたところで、こちら側の意図は、全くつたわりませんでした。これは、上の原則1.コミュニケーションとは知覚であるという原則からみれば、完璧な失敗です。

結局中国は、自分の立場を一方的に押し付けるだけであって、日本側の真意を知覚しませんでした。

いくら、対話をしても、相手がどうしても知覚しないというのであれば、やり方を変える必要があります。そうして、安倍総理が用いた、手は、2.の原則、コミュニケーションは期待であるという原則と、3.原則、コミュニケーションとは要求であるという原則です。

特に2.原則を行使しています。

コミュニケーションが期待であるということは、コミュケーションをしようとする相手の期待を知ることによって、その期待を利用することがはじめて可能になります。相手の期待を知って、さらに、相手がそれをどのような手段を用いても知覚できないということなれば、どういうことになるでしょうか?

それは、相手の期待を木っ端微塵に打ち砕くしかありません。それもゆっくりとではなく、迅速にしなければなりません。ゆっくりと、やれば、相手はこちら側が言っていることが、自分の期待の枠組みに沿ったものであると誤解し、自らの期待をさら強化して、さらにコミュニケーションを交わすことができなくなるだけです。期待を打ち砕く、覚醒のための大ショックが必要です。

これでは、何のことかわからないでしょから、もっと解りやすくいえば、たとえば、新入社員の仕事似対する考え方の間違いに気づかず、不祥事を頻繁に引き起こしていたとします。このようなときに、ゆったりと話あいをしたり、相手の言い分を聞いて話し合いをしているだけではこれは永遠に解決しません。新入社員は、此方側の言い分を受け取ることができず、自分の期待の枠組みをさらに強化するだけです。そんなときには、新入社員の期待の枠組みを木っ端微塵に打ち砕く、激しい叱責が必要だということです。

中国側は、自分の考えを日本に対して伝えるためのコミュニケーションにおいて、いつも、この叱るという行為に近い、罵詈雑言をならべたてるという方式で対処して、過去においては成功してきました。

これに対して、安倍総理は、こち側も罵詈雑言を並べ立てるということではなく、同じコミュニケーションで覚醒のための大ショックを与えるにしても、より効果的に、安全保障のダイヤモンドを提唱し、それに沿って着々と外遊をして、ASEAN諸国を見方につけ、さらにそこで、上記のような発言をして、中国側に意図を伝えるという戦術をとりました。

そうして、今のところ、中国側に対して十分すぎるほどの覚醒のためのショックを与え続けてきました。今回の発言も、十分中国に対しては、中国に対する覚醒のための大ショックになったものと推察します。

そのため、安倍総理式コミュニケーションはかなり効果をあげつつあります。少なくとも、中国側には、安倍総理は今までの総理とは異なり、一筋縄ではいかないという認識を持たせることには大成功しています。それに、最近中国の態度が明らかに変わってきています。その証として、以下のような、報道がなされています。
人民日報コラム、日中関係改善呼びかけ 
 中国共産党機関紙、人民日報(海外版)の電子版は20日までに、民間交流をベースに日中関係の改善を呼びかける署名コラムを掲載した。 
 「中日の国民感情を袋小路に追い込むな」と題する高望氏のコラムは、日本の対中円借款や天安門事件後の制裁解除などを評価した上で、日中の国民感情が急速に悪化した現状を反省すべきだと指摘。両国のマスコミ報道が互いにナショナリズムを刺激してきたとして、関係改善に向けた政策の選択肢を確保するため、過剰な報道の抑制を訴えた。(中国総局)
実は、安倍総理は第一次安倍内閣のときから、中国に対するコミュニケーション方式を従来の路線から変更しています。それは、中国との間で取り交わした、戦略的互恵関係というものです。

戦略的互恵関係とは、安倍首相が2006年10月に初外遊先として訪中し、胡錦濤国家主席らとの間で合意した。政治体制が異なる日中の関係を初めて「戦略的」と表現。政治・経済の「二つの車輪」を動かし、両国関係を「さらに高度な次元に高めていく」としたものです。

ただし、この関係の本当の意味するところは、戦略的互恵関係という言葉で、これからの中国との関係は、日本側にとっても利益なることでは、長期的にでもお付き合いしますが、そうでなければ、いっさい関わりをもちませんといういうことです。その意図の表明です。

しかし、馬鹿な日本の左翼などは、先の言葉を額面通りに受け取っています。それは、馬鹿でコミュニケーション能力の低い中国の共産党幹部にも理解できませんでした。

安倍総理としては、第一次安倍内閣時のこの発言は、中国側に知覚されていないことを悟り、第二次安倍内閣ではやり方を変えたのです。それが、安全保障のダイヤモンドであり、ASEAN諸国歴訪の旅であり、旅先での発言です。

着々と、推し進める安倍首相の「安全保障のダイヤモンド」構築と、その過程での中国を意図した、発言の連続により、中国はキリキリ舞されられています。素晴らしい、安倍コミュニケーションの成果です。

しかし、安倍総理は、それなりに下調べをしてこのような行動をしています。日本では、コミンテルンの刷り込みにより中国に対する間違った認識を持っている人が大勢います。

中国は実は日本にとって付き合っても意義ある国ではありません。そもそも中国から輸出も、輸入も、日本のGDPのほんの2%くらいしか占めていません。しかも、これらのほとんどは中国でなくても、十分に代替のきくものばかりです。いままでの日中関係は、全く一方的に中国に利益があっただけです。実は、日本が中国と全く縁を切ってもその影響は日本にとって、軽微、中国にとっては甚大な影響を受けるということなのです。

それからら、反日は、中国共産党に対する非難を日本にかわすためのものであり、全く人為的なもの過ぎません。それに世界の常識では、隣国同士はどの国でも仲が悪いのが普通です。国境を接しながら、仲が悪く無い関係といえば、世界でアメリカとカナダくらいなものです。それ以外、多かれ少なかれ、対立しているのが普通です。

こんなことを総合的に勘案すれば、安倍式コミュニケーションを実施したとして、最悪中国と国交を断絶したとしても、日本はほとんど影響を受けず、中国だけが甚大な被害を被るだけであり、それは、いくら中国共産党幹部が、世界常識を知らない私腹を肥やすことにだけ頭がまわる、愚鈍な馬鹿揃いといっても、実際ある程度の窮地においこまれれば、そのことをはっきり認識するに違いありません。

安倍総理はこのことをしっかり認識して、計算づくで、安倍式コミュニケーションを発動して着々と成果をあげつつあるのです。したたかです。従来の総理大臣や政権幹部にはみられないことです。

安倍総理の判断は全くただしいです。以下に、このブログに以前掲載した、中国共産党幹部どものキリキリ舞いぶりを掲載します。
安倍首相を東南アジアの各メディアが“援護”、「太陽が再び日本から昇る」「中国の挑発を受けて立とうとしている」―中国紙―【私の論評】中国の共産党機関紙ですら伝える安倍首相の快挙を伝えないどころか、麻生発言偽装までするニッポンマスコミの反日ぶり!ただ大醜態を国民に見破られただけか(゚д゚)!
詳細はこの記事をご覧いただくものとして、この記事では、安倍総理にキリキリ舞させられている中国の実体を示す、内容を以下にコピペさせていただきます。
安倍政権は東中国海の向こうでステップを踏み、中国をそのステップに合わせて踊らせようとしている。そうなれば中国は疲労困憊し、馬鹿げて見えることだろう。中国の正確な手法は「傍観者」になることだ。せいぜい安倍政権には踊らせておこうじゃないか。我々はひまわりの種をつまみながらお茶を飲み、彼らが踊りに疲れて全身汗だらけになる様子を楽しめば良いのだ。
汗だくは、日本ではなく中国だ(゚д゚)!
これは、「環球時報」7月に掲載された内容です。環球時報といえば、中国共産党機関紙です。これが、このような内容をわざわざ掲載したということは、中国共産党幹部どもは、安倍総理の行動にキリキリ舞させられていることを示しています。そうでなければ、わざわざこのような記事を掲載する必要性は全くありません。

もうこの時点で中国側は、苛つきを隠せないレベルにまで達していたということです。現実には、安倍政権は、ステップを踏み、中国をそのステップに合わせて踊らせていたということです。そうして、中国は疲労困憊して、馬鹿げて見られていたということです。安倍政権は、敢えて首脳会談もすることなく、「傍観者」を決めこみ、ひまわりの種ではなく、ピーナツを食べながら、お茶を飲み中国が踊りに疲れて全身汗だらけになる様子を楽しんでいたということです。そうして、現在はさらに中国の疲労困憊はさらに進んでいるということです。

ちなみに、ひまわりの種は、日本では食べ物という意識ありませんが、実際食べてみると、美味しいです。中国では広くスナック菓子などとして利用されています。日本でいえば、ピーナツという感じです。

外国では普通に売られている食用のひまわりの種

人と人との間でも、国と国との間でも、いくら頻繁に会ったとしても、肝心要の本当の意味でのコミュニケーションは成り立っていない場合があります。コミュニケーションの究極の目的は、ただ単に情報を伝え合うということではありません。それは、最終的には片方もしくは、両方の心を変えるということです。

だから、安倍総理流対中国コミュニケーションが他のどの手法よりも、効く場合もあり得るのです。

私は、そう思います。皆さんはどう思われますか?

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【関連図書】



2012年10月23日火曜日

モチベーションを保つには「一度に一つの目標に絞る」べき―【私の論評】ドラッカーの原則や、本質を知れば簡単に理解できるし、この種の罠にははまらない!!

モチベーションを保つには「一度に一つの目標に絞る」べき


あなたは多くのプロジェクトに同時に取り組むタイプですか? そうであれば、気をつけてください。複数の目標を持つことが思わぬ落とし穴になるかもしれません。モチベーションを持つこと自体は素晴らしいことです。しかし、あまり欲張るのも考えもの。作家のScott Young氏は、モチベーションを維持するためには「一度に一つの目標に絞る方が良い」と言っています。

【私の論評】ドラッカーの原則や、本質を知れば簡単に理解できるし、この種の罠にははまらない!!

本日は、ドラッカーの話題を掲載します。ドラッカーの話題では、いつもドラッカーの写真を掲載してきましたが、それも飽きてきたので、本日は、映画「もしどら」に主演した前田敦子さんの写真を掲掲載します。


上の記事の結論以下のようなものです。
モチベーションがあり過ぎることの問題は見過ごされがちです。熱意にまかせて手当たり次第にプロジェクトを始めてしまうと、結局どれも完了できなくなります。同時に複数のことに集中できるはずだという幻想がそうさせるのです。
Young氏の提言はシンプルです。「一度に一つの目標に絞れ」です。これは、何かのプロジェクトに取り組んでいる間はジムに通うなということではありません。その時その時で一つの目標に集中して取り組むべきだ、ということです。
モチベーションがないということも、困りものですが、ありあまるモチベーションも時には、害をなすということです。上記のような落とし穴にはまらないためには、以下のような考え方が重要です。

「実際にやっていることと、やりたいこと、やらなければならないこととは違う」

これを仕事に関連づけて説明すると、実際にやっていることとは、実際に手がているプロジェクト(仕事)のことです。やりたいこととは、やりたいプロジェクト(仕事)です。やらなければならないこととは、やらなければならないプロジェクト(仕事)です。これらは、冷静に考えれば誰もが区分できるものと思います。


やらなければならないプロジェクトをそっちのけで、やりたいプロジェクトをやっている人は、単なる夢想家です。

上の記事の例は、実際にやっているプロジェクトの中に、やらなければならないプロジェクトにプラスして、やりたいプロジェクトを多数詰め込んでいる状況です。

そうして、なぜこのような状況に陥るかは、明々白々です。まずは、過去のこのブログにも掲載した、イノベーションの心得である、集中という原則に反しています。

ちょっとイイ話! 愛から生まれた世界的ヒット商品の開発秘話−【私の論評】愛は社会を変革する!!

詳細は、上のURLをごらんいただくものとして、集中することとは、以下のようことをさします。
 第一に、集中しなければならない。複数の異なる分野でイノベーションに成功することはほとんどない。あのトーマス・エジソンさえ、発明を発明したといわれるほど発明の方法論に通暁しながら、電気の分野でしかイノベーションを行なわなかった。
 イノベーションには、勤勉、持続、献身を必要とする。集中することなくして、これらのものを手にすることはできない。知識は多分野のものを必要とするであろう。だが、目指すものについては、集中がなければならない。
エジソンだって、集中したから、あの偉業を達成できたのです。いくつも、いくつも複数のプロジェクトを走らせていては、個人は無論のこと会社でも、失敗するのは目に見えています。

また、時間管理の本質からも逸脱しています。

目標を達成し、思考の質を向上させるために「連続4時間」の作業時間を持つ―【私の論評】ライフログを取得や、時間管理の究極の目的は、本当に重要なことを考えるときにたっぷりと時間をとりとことん考えること!!

詳細は、上のURLをご覧いただくものとして、時間管理の本質とは以下のようものです。

 問題でも、課題でも、表面をなぞるだけではなく、その背景や、根本にまで、さかのぼって考えるには、寸断した時間では無理です。 毎日というわけてにはいかないでしょうが、本当に重要なことを考えるときには、意図して意識して、このくらいの時間をさくことが必要です。無論、上の元記事にもあるように、毎日それを実行するということは不可能です。しかし、少なくとも、最低でも1ヶ月に一回、できれば週に一回くらいは、そのような時間を意図して意識してつくるべきです。



ここでいうまとまった時間とは、情報集めの時間など含めていません。そのようなことは、事前に終わらせて、思考がいっさい中断されないようにしたまとまった連続した時間であり、目安としては、最低4時間ということです。特に重要な新規のプロジェクトには、このような時間が必ず必要です。最低1週間に一度は必要です。細切れに寸断された、時間の中では無理です。個人で複数のプロジェクトを走らせていたら絶対に無理です。

そうして、集中すること、時間管理の本質にのっとって、時間を管理しながプロジェクトを実施すれば、必ず成果があがります。これを無視して、プロジェクトを同時並行して、実施すれば、めぼしい成果をあげられず、モチベーションが挫かれることになります。



これらの原則、本質は、私自身の言葉もありますが、もともとは、すべてドラッカーによるものです。今日の話題のようなことにも適応でき、しかも簡単に解決策がみつかります。このようなマネジメントの原則、本質など日々努力すれば、いずれ誰もが見つけることができると思います。しかし、もともと知っていることを前提として、仕事をしているのと、そうではないのとは、大違いです。やはり、ドラッカー氏が提唱したマネジメントの原理・原則は、現代の組織人にとっては、必須だと思います。トライアンドエラーで、あちこちぶつかることも、時には必要です。特に、原則・本質の意味が理解できない場合はそうです。しかし、元々原則として知っていると随分違います。

皆さんは、どう思われますか?

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