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2018年7月29日日曜日

【正論8月号】日本のマスコミが報じないトランプ・ロシア疑惑の真実 ~リベラルたちの“国家犯罪” オバマ・クリントン・ゲート―【私の論評】日本メディアのトランプ・安倍報道は最初から色眼鏡でみて疑え(゚д゚)!

【正論8月号】日本のマスコミが報じないトランプ・ロシア疑惑の真実 ~リベラルたちの“国家犯罪” オバマ・クリントン・ゲート


国際政治学者 藤井厳喜


トランプ大統領 写真はブログ管理人挿入 以下同じ

 ※この記事は、月刊「正論8月号」から転載しました。ご購入はこちらへ。

 今、アメリカでとんでもない事が起きている!

 しかし日本のマスコミはこれを一向に報道しようとしない。このアメリカ政治の歴史的大事件のあらすじを本稿では述べてみたいと思う。

 現在のアメリカでは、ウォーターゲート事件を上回る、米国憲政史上最大とも思われるスキャンダルが爆発している。ウォーターゲート事件で時のニクソン大統領は辞任に追い込まれた。しかし、この政治スキャンダルで追及されているのはトランプ大統領ではなく、オバマ前大統領やその政権の関係者、そしてヒラリー・クリントン前大統領候補(元国務長官)などのリベラル勢力なのである。

実体のなかったロシア・ゲート

 日本ではいまだに、所謂「ロシア・ゲート問題」でトランプ政権が揺さぶられていると思っている人が非常に多い。ところが今やロシア・ゲート問題などは全く存在しないことが誰の目にも明らかになっている。2016年の選挙中に所謂「ロシア・ゲート問題」が騒がれ出してから、丸2年経つ。トランプ政権発足後に、モラー特別検察官が任命されてから1年以上経つが、トランプ陣営がロシア側と共謀していた事実は何一つ見つかっていない。モラー特別検察官の捜査は完全な空振りであった。

 実は今年の2月16日に、モラー特別検察官はロシア人13人とロシア企業3社を詐欺・身分盗用・不正送金などの罪で起訴している。ところがこの折に開かれた記者会見で、モラー特別検察官の捜査を監督する立場にあるロッド・ローゼンスタイン(Rod Rosenstein)副司法長官が、「ロシアの違法工作はあったが、それに加担したアメリカ国民は一人もいなかった」と明言しているのである。勿論、このアメリカ国民にはトランプ本人や、トランプ陣営の要人も含まれている。つまり反トランプ色の強い司法省の責任者が、「長い時間をかけて捜査をしましたが、所謂トランプ陣営のロシア・ゲート事件は存在しませんでした」と明言したに等しいのだ。こういった単純明快な事実関係すら報道されていないのが日本のメディアの実情である。

モラー特別検察官

 それでいまだに筆者自身、時々、講演会などで「ロシア・ゲートでトランプ政権はもつのですか?」というような質問を受けることが多いのである。「ロシア・ゲートなど全く存在しません」と回答すると、質問者はあっけにとられている。そこで言葉を足して「安倍首相のモリカケ問題と一緒で、反対勢力は騒いでいますが、全く実体は存在しなかったのです」と言うと、どうやらみんな納得してくれるようである。

反トランプ・クーデターを仕掛けた「ディープ・ステイト」

 一連の流れを現在の時点から総括してみると、以下のようなことが分かってきている。

 先ず、恐らくオバマ大統領を含むオバマ政権の要人、そして司法省を中心とするリベラル派の官僚達は2016年の大統領選挙でトランプに脅威を感じていた。何としてもトランプ当選を阻み、ヒラリー・クリントン候補を当選させるのが、彼らの共通の使命感となった。ヒラリーを当選させる為には、2016年の6月には既に大問題になっていた所謂「e-mail問題」を隠蔽しなければならない。これはヒラリー・クリントンがオバマ政権第1期で国務長官を務めていた時に、国務省の機密扱いのメールまで個人サーバで扱っていたという明らかな法律違反問題である。実は法律の規定通りに判断すれば、機密情報を私用サーバで扱っていたというだけで重罪に値するのである。ところが、時のロレッタ・リンチ司法長官とコミーFBI長官は、明らかにヒラリーを政治的に支持する立場から、彼女を起訴せずに、事実上、“無罪放免”してしまったのである。これが第1のオバマ政権の大きな罪である。

機密情報を私用サーバで扱っていたヒラリー・クリントン氏

 そして第2の罪は、当選に向かってばく進していたトランプ候補の足を引っ張ったことである。その謀略として用いられたのがロシア・ゲートという仕掛けであり罠であった。あたかもトランプ陣営とロシア政府が関係があるかのような噂を流し、それによってトランプ候補にダメージを与え、当選を阻もうとしたのである。それをヒラリー・クリントン陣営や民主党が行なっただけではなく、司法省とFBIも行なったというところが最大の問題点である。つまり特定の候補の当選を阻む為に、本来、厳正に中立でなければならない連邦政府、特に司法省やFBIが、選挙に直接介入してしまったのである。現在では、違法なプロセスにより許可を得て、トランプ陣営を情報監視していた事実や、FBIが直接トランプ陣営にスパイを送り込んでいた事実まで明らかになっている。

 オバマ政権は、自らと同じ民主党のヒラリー・クリントン候補を当選させる為に、公的権力を利用して、大統領選挙戦そのものに直接、干渉していたのである。これは、オバマ大統領自身の指示によるもので、それにロレッタ・リンチ司法長官やコミーFBI長官が従ったものではないのか。であるとすれば、それは大統領の犯罪そのものであり、ウォーターゲート事件などをはるかに上回るアメリカ憲政史上最悪の政治スキャンダルの1つである。

 大統領が自分の仲間を選挙で当選させる為に、司法省やFBIという政府機関を使ったというのであれば、法の支配も民主政治もあったものではない。まるで発展途上国の独裁政治と少しも変わらないではないか。実際、この事件の実態が明らかになるにつれ、アメリカの愛国者たちは「アメリカもバナナ共和国になってしまった」と嘆いている。「バナナ共和国」とは、法の支配もデモクラシーも存在しないラテンアメリカの独裁国を皮肉ったアメリカの俗語である。アメリカももう、バナナ共和国を笑ってはいられないわけだ。

 ここで「ディープ・ステイト(Deep State:深層国家)」という言葉が登場してくる。これは、トランプ政権を支持している保守派の人達が好んで使う言葉である。ディープ・ステイトとは、謂わば、国家の中の国家とでもいうべき存在で、この場合は、連邦政府内におけるリベラル派官僚やリベラル政治家の暗黙の組織であり、常にリベラルな国家解体的な政策を推進し、保守的な政策の実行に抵抗している。連邦政府内では司法省や環境省や国務省内で彼らの影響力は著しく、またFBI、CIA、NSAなどの情報機関の中心部にも彼らは浸透している。ディープ・ステイトはトランプ候補の当選を阻むために、積極的に抵抗と妨害を続け、トランプ当選後は彼を弾劾や辞職に追い込むべく活動している。ディープ・ステイト派官僚が行なう情報リークと大手マスコミが一体となってアメリカ社会にアンチ・トランプ・ムードを蔓延させているのである。

 ディープ・ステイト派官僚のいう「リベラルな政策」とは、民主国家アメリカを解体させるような政策である。彼らは移民法の厳格な執行や、社会福祉詐欺の取締りを妨害し、環境条例の規制緩和に反対している。コミー前FBI長官やモラー特別検察官やローゼンスタイン副司法長官などはディープ・ステイトのこの目に見える氷山の一角に過ぎないのだ。


 ディープ・ステイトというような具体的な抵抗組織があるかどうかはともかくとして、事実上、連邦政府内のリベラル派官僚はトランプの当選を阻む為に、そして当選後はトランプを辞職に追い込むべく、様々な謀略を巡らしてきたのは否定の出来ない事実である。

リベラルメディアの堕落

 ウォーターゲート事件では、ニューヨークタイムズを始めとする大手リベラル派マスコミはこれを「権力の犯罪」として鋭く糾弾した。ニクソン大統領はこれに抵抗できず、大統領弾劾を待たずに辞職する道を選んだ。しかし現在、オバマ政権による選挙干渉と権力犯罪が明らかになったにも関わらず、リベラル派マスコミは一向に声を挙げようとしない。現在のアメリカでは、デモクラシーの基礎を成す法治主義、言い換えれば「法の支配」そのものが危機に瀕しているのである。時の政権が、自らのお仲間(クローニー)を当選させる為に、政府機関を使って策謀することが許されるならば、法の支配は最早、ないも同然である。そしてこのデモクラシーを危機に陥れる権力犯罪の責任が厳しく糾弾されなければならない。追求の矛先は当然、オバマ前大統領自身にも向かうことになるだろう。にも関わらず、リベラル派マスコミは、このデモクラシーの根幹を揺るがす権力犯罪に対して、沈黙を保つのみである。それだけではなく、有りもしないロシア・ゲート事件をいまだに騒ぎ立てている。保守派の権力犯罪は許せないが、リベラル派の権力犯罪なら許すとでもいうのだろうか。それではそもそも法の下の平等も、そして法治主義そのものも否定することになるのだ。アメリカのリベラル派メディアの堕落はここまで来ている。

「ヌーネス・メモ」が暴いた 恐るべき権力犯罪

 米下院情報委員会のデビン・ヌーネス委員長(Devin Nunes:共和党・カリフォルニア)は2018年1月18日に委員会として、FBIや司法省の不正行為を調査した結果を1つのメモにまとめた。これは、下院情報委員会のメンバーが司法省やFBIの内部機密文書を査読し、その調査結果をまとめたものである。

米下院情報委員会のデビン・ヌーネス委員長

 文書自体は機密扱いされているため、査読した下院情報委員会のメンバーも、その内容について公にすることが出来ずにいたが、ヌーネス委員長が調査内容に基づいてメモを作成したのである。このメモ自体も当初は、機密扱いであったが、これをトランプ大統領が2月2日に機密解除することによって一般に公開された。ヌーネス委員長は、デモクラシーと法の支配を守るために、FBIや司法省の違法行為を鋭く追及する立場である。

 ヌーネス・メモの本文は、たった3ページと3分の1ほどの簡潔なものであるが、その意味するところは重大である。以下、ヌーネス・メモの要点を紹介しよう。

 ●2016年の米大統領選挙の際にFBIがトランプ陣営を情報監視していた。

 ●直接の情報監視の対象となったのは、トランプ大統領候補の外交問題アドバイザーであったカーター・ペイジ(Carter Page)氏である。

 ●当然、FBIと司法省は、何故、カーター・ペイジ氏とトランプ陣営を情報監視しなければならないかの理由を外国情報監視裁判所(FISC)に申請しなければならない。その申請理由が説得力のあるものであれば、FISCは情報監視許可を出すことになる。

 ●ところが、FBIと司法省が提出した「証拠」は、実は「スティール・レポート」と呼ばれているものであった。この「スティール・レポート」はイギリスの対外諜報機関MI6の元ロシア課に所属していたクリストファー・スティール氏が執筆したものであった。ところがスティール氏をカネで雇い、トランプ候補を中傷するレポートを書かせていたのは、ヒラリー・クリントン陣営と米民主党全国委員会なのであった。(初期にクリストファー・スティール氏に反トランプのレポートを依頼したのは、共和党大統領予備選におけるトランプのライバル候補であったと言われている。)

クリストファー・スティール氏

 ●司法省とFBIは、誰が「スティール・レポート」を書かせたかという、その出所を隠蔽したまま「スティール・レポート」の内容を客観的な証拠と見せかけて、FISCの裁判官達を騙して、トランプ陣営の盗聴・情報監視許可を入手していたのであった。

 ●「スティール・レポート」の内容は、全くのガセネタであり、トランプ陣営とロシア側が共謀しているという全く根拠のない偽情報であった。

 「ヌーネス・メモ」を詳しく読んでいくと、次のような事実も分かる。

 ●司法省とFBIが、上記の外国情報監視裁判所に出した申請書を見ると、2016年9月23日にYahoo!ニュースが報じた情報が引用されている。これはトランプ陣営とロシア側の共謀を主張するものであった。著者はマイケル・イシコフで、カーター・ペイジ氏が2016年7月にモスクワを訪問したことを取り上げている。このニュースが謂わば、傍証であるということで、外国情報監視裁判所に提出されたのであるが、このYahoo!ニュースの情報源になっていたのがクリストファー・スティール氏自身なのであった。だからYahoo!ニュース自身は傍証にもならず、情報源は同じクリストファー・スティールだということが確認された。

 ●実はクリストファー・スティール自身が、2016年9月に他のメディアともコンタクトしていた事実が明らかになっている。スティールは、FBIの情報提供者として認知されていたが、そういった人物はマスコミとコンタクトし、情報を提供することは禁止されている。スティール自身は10月30日に、情報提供者不適格ということで排除された。

 ●スティールは情報提供者として排除される前も排除された後も、司法省次官補のブルース・オア(Bruce Ohr)とコンタクトを続けていた。スティールは2016年9月の時点でオア次官補に対して、トランプに対する極端な嫌悪感を伝え、「トランプの大統領当選を何としても阻まなければならない」と語っている。

 ●しかもこのオア氏の夫人は、フュージョンGPS社の職員であった。フュージョンGPS社はヒラリー・クリントン陣営とクリストファー・スティールを繋いだ仲介機関である。フュージョンGPS社がスティールを直接雇い「スティール・レポート」を書かせた。ヒラリー・クリントン陣営と米民主党全国委員会は、弁護士事務所を通じて、フュージョンGPS社に代価を支払い、その資金がスティールに渡されていた。

 単純化していうならば、ヒラリー・クリントン陣営とFBI幹部が、トランプ追い落としの為に共謀して、違法なトランプ陣営の情報監視を行なっていたのである。これを実証した動かぬ証拠が「ヌーネス・メモ」なのである。

 尚、これに反論する為に、下院情報委員会の民主党委員が、2018年2月24日にメモを公開した。執筆したのは、アダム・シフ下院議員である。これは10ページのメモであり、表面上はヌーネス・メモに反論するものである。しかし、2月25日のウォール・ストリート・ジャーナルによれば、このシフ・メモは詳細に読めば、ヌーネス・メモを裏付けるものでしかない。つまり「スティール・レポート」こそがFBIがトランプ陣営を情報監視する主要な証拠として提出されており、しかもそのスティール・レポートを誰が書かせたかは隠蔽されていたのである。シフ・メモはこの2つの事実を覆すものではない。

副司法長官自身が否定した ロシア・ゲートの存在

 所謂「ロシア・ゲート」でロシア人13人とロシア企業3社を起訴したのを受け、ローゼンスタイン副司法長官が2月16日に行った発表の中で、重要なのは次の様な事実である。

 ●複数のロシア人やロシア企業が2016年のアメリカ大統領選挙に影響を与えようとしたのは事実。

 ●しかし、これらロシア人の犯罪行為に、実情を知りながら加わったアメリカ国民は一人もいなかった。

 ●又、ロシアのこの違法工作によって、アメリカ大統領選挙の結果が変えられることもなかった。

 ●更に、プーチン大統領やロシア政府がこういった政治工作にかかわった証拠は何一つ発見されていない。

 中でも最も重要なのは、「実情を知りながらロシアの情報工作に参加したアメリカ人はいなかった」という点であろう。記者会見でも副長官はこの点を強調していた。この言葉をそのままに受け取れば、当然「ロシア側とトランプ陣営が共謀した選挙活動はなかった」という結論になる。というか、それ以外の結論を下すことは不可能である。

 モラー特別検察官の任務は「トランプ陣営がロシア政府と共謀して、大統領選挙の結果を歪めたのではないか」という疑惑の捜査だが、「そういった事実はなかった」ということが起訴を通じて明らかになったのである。「ロシア・ゲート」なるものが全く存在しないことを、モラー特別検察官とローゼンスタイン副長官が証明してみせたのだから、皮肉な結果である。ちなみにローゼンスタイン副長官は、コミーFBI長官などと共に、トランプの大統領選当選を妨害しようとした司法省高官の一人であり、モラー特別検察官と共謀していると批判されている。要するに、「ロシア・ゲート」は最早、完全に終わったのである。

 勿論、今後、別の事実が発見され、新たなる人物が起訴されるという天文学的な可能性は存在する。しかし、それ以上の可能性を議論することは神学論争になってしまうだろう。

反撃に出たトランプ陣営

 ロシア・ゲートが存在しないことは明らかになっても、モラー特別検察官などはトランプ大統領の個人弁護士マイケル・コーヘン氏に嫌がらせ的な捜査をして、トランプへの抵抗を続けている。しかし最早、勝負あったというべきだろう。

 トランプ陣営は反転攻勢に出ている。2018年5月21日、トランプ大統領は、自らの陣営が2016年の大統領選挙で、FBIによって、政治目的のために情報監視されていたかどうか調査するよう司法省に正式に命じた。焦点は、オバマ政権関係者がそのような要請をFBIに行なったかどうかである。状況を考えれば、オバマ大統領自身がトランプ陣営へのスパイ行為を命じた可能性が疑われる。もしセッションズ司法長官やローゼンスタイン副長官が大統領命令に従わなかったら、トランプは彼らを更迭する事が出来る。

 6月14日、司法省のマイケル・ホロウィッツ監察官はヒラリー・クリントンのメール問題で、報告書を提出した。報告書でコミーFBI長官やリンチ司法長官の判断ミスを指摘したが、違法行為はなかったと結論づけたのだが、早速、翌15日、トランプは「ホロウィッツ監察官の捜査は完全に偏っており、結論は間違っている」と批判した。監察官自身は司法省の役人であり、司法省やFBIを弁護する立場に終始している。

 それにしても、ウォーターゲート事件を上回るこれだけの大事件を一切、報道しない日本のマスコミとは一体何なのだろうか?

■ふじい・げんき 昭和27年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。米クレアモント大学大学院を経て、ハーバード大学大学院博士課程修了。著書に『日米対等』(祥伝社)

【私の論評】日本メディアのトランプ・安倍報道は最初から色眼鏡でみて疑え(゚д゚)!

オバマ・クリントンゲート事件に関して、これほどまとめて報道されたのはブログ冒頭の記事以外においては、日本おいては皆無だと思います。そのため、今回はこの記事を掲載させていただくことにしました。

ブログ冒頭の記事の内容に関しては、このブログでも過去に掲載したきたものも多いです。ただし、このブログでの紹介は、断片的なものを何度も掲載してきたため、上の記事のようにまとまったものではありませんでした。

それにしても、私自身はブログで何度かこの件について事実を調べつつ掲載してきたので、ロシア・ゲートなる疑惑は、虚構に過ぎないということはしっかりと把握していましたが、そうではない人も大勢いるということを改めて知り、驚いています。

ヒラリー・クリントン陣営とFBI幹部が、トランプ追い落としの為に共謀して、違法なトランプ陣営の情報監視を行なっていたのは、昨年の暮あたりには明らかになっていました。これを実証した動かぬ証拠が「ヌーネス・メモ」なのです。

最近は、ロシア・ゲートについてはほとんどテレビで報道しなくなったので、この件については日本のマスコミもロジア・ゲート疑惑は虚構に過ぎないことを理解してのことかとも思っていたのですが、そうではないようです。

私自身は、ニュースの入手先は、テレビや新聞ではなく、ネットによるものがほとんどあり、米国に関することは、保守系も含む米国のサイトも直接見ているので、やはり日本国内の一般の人とは感覚が少し違うということに改めて思い知らされました。

まさに、藤井厳喜氏が語るように、「安倍首相のモリカケ問題と一緒で、反対勢力は騒いでいますが、全く実体は存在しなかったのです」であり、そのことがほとんど日本国内では報道されていないのです。これについては、つい最近もこのブログに掲載したばかりです。その記事のリンクを以下に掲載します。
米ロ会談が酷評でも支持率上昇のトランプ―【私の論評】日米マスコミの報道は鵜呑みにできない、特に総理と大統領関連の報道はそうだ(゚д゚)!
ベルギーの首都ブリュッセルで開かれた北大西洋条約機構(NATO)首脳会議で、
北大西洋理事会の会合の会場に到着したドナルド・トランプ米大統領(2018年7月11日)

 詳細は、この記事をご覧いただくものとして、この記事の結論部分のみ以下に引用します。
そもそも、このブログでも過去に何度か述べているように、米国のマスコミはリベラル派が牛耳っています。新聞はすべてが、リベラル派です。テレビ局では唯一フォックスTVだけが、保守派で他はリベラルです。 
報道する時の視点はすべてリベラル派の視点からによるものです。米国のマスコミの報道だけを見ていると、それは米国の半分だけみていることになり、もう半分の保守派についてはスルーすることになります。 
それは、日本の安倍総理の報道も、産経新聞などを見ることなく、朝日新聞やテレビ報道を真に受けていれば、とんでもないことになると同じことです。 
日米双方とも、マスコミの大部分は偏向しているとみなすべきです。そもそも、両方ともトランプ大統領の登場を予測できませんでした。そんなマスコミを単純に信じ込むことはできません。
ニューズウィーク日本版は、今年の3月5日以下のような記事を掲載していました。
トランプ、習近平を「終身国家主席」と賞賛 「米国でもいつか試したい」
トランプ米大統領は3日、中国共産党が国家主席の任期撤廃案を明らかにしたことに関し、無期限で任期を務められることになるとして習近平国家主席を称賛した。CNNが報じた。 
撤廃されれば、習氏は2023年以降も続投できることになる。 
CNNによると、フロリダ州での非公式な資金集めイベントでトランプ大統領は「習氏はいまや終身大統領、終身大統領だ。そして、習氏は偉大だ」と発言。「そして、習氏にはそれが可能だった。素晴らしいことだ。われわれもいつか試してみなくてはならないだろう」と述べ、支援者から拍手を浴びたもようだ。 
トランプ大統領が米大統領の任期延長について発言したものか、冗談だったのかは不明。ホワイトハウスからのコメントは得られていない。 
民主党下院議員のロー・カンナ氏はツイッターで「これが冗談だったのかどうかにかかわらず、習氏のように終身大統領(国家主席)となることに言及するのは、米国の大統領が明らかにした心情として最も米国的らしくないものだ」と述べた。 
米国の大統領は、ルーズベルト大統領が1932年以降4回選出された以外は、慣例的に2期(1期は4年)が最長となっていた。1951年の憲法改正後、任期は最長2期と定められた。
このCNNの報道は日本版ニューズウィークばかりではなく多くのメディアが引用していました。

トランプ大統領は、習の「終身国家主席」は、「すばらしい!」といっています。ところがその一方で、対中強硬派を政権につけ、貿易戦争を大々的に開始しました。トランプ大統領の行動を見れば『主席任期撤廃』を期に反中に旋回しています。トランプ氏の本心はどちらなのでしょうか。

その本心に近づくには、10年前のトランプ氏の著書が役立つかもしれません。

トランプ大統領は、ビジネス本の分野でのベストセラー作家でした。10年前に出版されたロバート・キヨサキとの共著『あなたに金持ちになってほしい』を読むとトランプ氏がビジネスの世界で「自分を表現する」ことに特別の価値観を認めている人物であることがわかります。


私も耳にしたことがあるが、従業員なのに「まるで会社が自分のものであるかのような働きぶりだ」と評判の立つ人がいる。自分が会社のオーナーであるかのように、その成功を唯一の目的に一途に働く人たちだ。自分のビジネスを持ちたいと思ったら、一つの目的に向かって献身することが必要だ。例えば、ビジネスオーナーには労働時間に制限はない。何日も休まずに働くことさえある。それに、最終的な責任はすべてオーナーにかかってくる。 
私はそういう責任を負うのが好きだ。自信が湧いてくるからだ。疲れるどころか、エネルギーを与えてくれる。そういうプレッシャーを楽しめないという人もいるが、そういう人は従業員のままでいた方がいい。 
もちろん、自分のビジネスを持つことには、誰の目にも明らかなご褒美がついてくる。それは説明するまでもないだろう。一度自分のビジネスを持つと、他人のために働く生活に戻るのはむずかしくなる。どう考えてみても、この二つの世界は違う。 
だからこそ、自分の船の船長であり続けるために、あれほど一生懸命に働こうという気にもなるのだ。自分のビジネスを持てば、あなたは毎日自分に向かってこんなふうに言うことができる。「すべては私から始まる―今、ここで、今日!」これは実にすばらしい気分だ。 
自分のビジネスを持つのは木を育てるようなものだ。ビジネスも季節の変化や嵐を乗り越え、美しい夏の日や冬の猛吹雪を経験して生きる生命体だ。それは成長を続けるものであり、文字通り自分自身を表現するものでもある。私が、自分のやることの品質管理に細心の注意を払っている理由の一つがここにある。 
自分を表現するものが何かあったら、自分の知るかぎり、あるいは達成できるかぎりそれを最良のものにしておきたい。そうすれば、自分に対するハードルをどんどん高くすることができるし、決して退屈しなくてすむ。そのことは保証してもいい。
トランプ氏にとって勤勉はとても重要な価値なのです。ビジネスの目的は、金を稼ぐことではなく、「木を育てる」ようなものなのです。金はその結果としてついてくるのです。これは典型的なピューリタニズムの原理です。3度の結婚、派手な女性関係、贅沢な生活などは、トランプの上っ面で、本質はとても真面目で仕事を通じて社会に貢献したいという信念を持っている人物なのです。

さらにトランプ氏は、自由という価値を重視しています。
会社勤めをしていて退屈な仕事があったとしても、会社をやめる以外にできることはほとんどない。でも、自分のビジネスならば自分でコントロールすることができるし、それはより多くの自由があることを意味する。「自由」というのはなかなか興味深い言葉だ。 
なぜなら、自由にはふつう代価が伴うからだ。ビジネスオーナーのほとんどは従業員よりも何時間も多く働いているが、他人のために働く方がましだと言う起業家に私はお目にかかったことがない! ただの一度も……。 
「自分を表現する」という話は、特に芸術や文学に関して、みんなどこかで聞いたことがあるだろう。ビジネスでも自己表現が可能だ。私はビジネスも一つの芸術だと思っている。鍛錬、技術、忍耐力など、ビジネスと芸術には多くの共通点がある。表現の自由もその一つで、それこそが、ビジネスオーナーであることが特にすばらしい理由だ。 
自分がやりたいことについてビジョンが湧けば、私はそれに取り組み、実現させる。もちろん、土地の用途規制などその地域の規則には従わなければいけないが、アイディアやそれを実現するためのパワーは私の中にあって、誰にも邪魔されることはない。こういうのはすごく気分がいい! 
人がインスピレーションを受けるのには、何らかの理由がある。インスピレーションはやる気を起こす源だ。インスピレーションが湧き上がっても、それに注意を向けないでいると、人は欲求不満に陥る。インスピレーションを持っていて、それをもとに勤勉に、集中してやり続けることができる人には、自分のビジネスを持つことを考えてみるように勧める。 
ほかのことをやるより大きな見返りがあるし、「自分でまいた種を自分で刈り取る」という古いことわざはここにも当てはまり、きっと大きな収穫を得ることになるだろう。これは考えてみるだけの価値がある。
インスピレーションに基づいて、「自分に対するハードルをどんどん高く」しているうちに、トランプ氏は、アメリカ合衆国大統領になってしまったのです。

第三者的に冷静に観察すると、トランプ氏の主張は、国内的には米国人に勤勉さを取り戻すことを訴えています。そして、勤勉さに相当する報酬が得られるシステムを構築しようとしています。外交面では、米国にとって、直接的な利害関係のない問題には関与しないという非介入主義です。

しかし、直接的な利害関係のある問題には関与するということです。勤勉であり、自由を愛するトランプ氏は、中国の価値観とは真っ向から対立することになります。

そもそも、中国は民主化されておらず、政治と経済も分離されておらず、法治国家化すらされていません。典型的なピューリタニズムの原理に基づき行動する典型的な米国の保守層に属するトランプ氏はもともと、中国とは価値観を共有することはできません。

トランプ氏にとっては、ピューリタニズム的な勤勉が報われるような社会にしたいとこですが、それを邪魔するのが、中国なのです。中国による、知的財産権の侵害はもとより、中国にの現体制化における米国との貿易は、そもそも米国の勤労者にとって不利益をもたらすものであるというのが、トランプ大統領の考えです。

 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(マックス・ヴェーバー著、
大塚 久雄訳、岩波文庫)の中の挿入画 ピューリタニズム的な勤勉の原点が掲載されている

そうして、トランプ氏の典型的なピューリタニズムの原理に基づく行動こそが本来米国の富を築いてきたのですが、この原理にもとづく行動は、現代の米国のリベラル派からすれば、過去に戻るというだけであって、せっかく長年かけてリベラルが気づいてきた社会に逆行するものでしかないわけです。

ただし、米国ではリベラル派がマスコミはもとより、政治や学問の世界、ありとあらゆるところで、主流派となったので、本来米国の人口の半分近くを占めるはずのビューリタニズム的な勤勉をバックボーンとする保守層の考えはごく最近まですっかりかき消されてきたといのが現実でした。

半分の人々の考えを無視するというのは、とても民主的なやり方ではありません。かといつて、保守が主流となってしまうというのも、民主的ではないです。保守とリベラルがどこまで、価値観を共有できるかが鍵です。

トランプ政権下では、米国が外交面で内政面でも本格的にチェンジ(変化)する可能性が大です。

以上のようなことを日本のマスコミは全く無視しています。日本のメディアによるトランプ大統領報道、安倍総理報道は最初から色眼鏡でみて疑うくらいが丁度良いです。

2017年10月25日水曜日

絶望的な立憲民主党の政策 経済でリベラルのお株奪われ「反安倍」しかない情けなさ―【私の論評】国会対策は「モリカケ」だけ!次の選挙では姿を消す(゚д゚)!



衆院選で公示前から大きく議席を伸ばした立憲民主党だが、今後、政権交代にも耐えうる提言型の新しい野党になれるのか。それとも旧態依然とした左派政党に過ぎないのだろうか。

 最近、左派系の新聞では立憲民主党と共産党を含めて「左派・リベラル」と称している。

 だが、「リベラル」は、もともと「自由主義」からきている言葉であり、右の保守、左の共産主義・社会主義の中間・中道の政治スタンスを指す。経済政策でみると、雇用重視、市場重視、社会福祉に力点を置いている。人権重視で非宗教でもある。

 ソ連の崩壊後、左の共産主義・社会主義は中国を残して世界中でほぼ消えかかっている。そこで、そうした勢力の逃げ場として「リベラル」が台頭してきた。これは日本も同じで、いまや世界的にも珍しい名称である「共産党」は、政権批判で何とか生き延びているが、「社会党」の名称は消えた。左派系新聞も居場所がなくなりつつあるなか、「左派・リベラル」という言葉で、なんとか「左」を残したいのだろう。

 立憲民主党は「リベラル」を標榜(ひょうぼう)しており、絶滅種である左の共産主義・社会主義を目指しているわけではないだろう。ただし、問題は立憲民主党の主張する政策が、世界基準の「リベラル」に値するかどうかだ。

 まず、外交・安全保障で集団的自衛権を否定するのでは絶望的だ。そもそも世界的には集団的自衛権は当たり前のことなので、左でも右でも主張する。これを否定すると、どこか別世界の人とみられてしまう。

内政では、人権擁護、身分差別反対、環境重視ではそれなりの特色を出せるだろう。しかし、経済政策において、社会福祉はまだいいとしても、雇用重視、市場重視になると心許ない。さらに憲法改正では対案が出せないのは情けない。

 日本では、安倍晋三政権が、経済政策や憲法改正で「リベラル」のお株を完全に奪っている。本コラムで繰り返して述べてきたが、金融緩和政策を使って雇用を伸ばすのは、世界的にはリベラルの政策である。安倍政権は、日本の政治では初めてそれを使って目覚ましい成果を出してしまった。その勢いで、市場重視、社会福祉でも矢継ぎ早に政策を出しており、立憲民主党(や民進党)は後れをとってしまった。

 アベノミクスを超える金融緩和を訴えるなどして対抗すればいいものを、「反アベノミクス」と言ってしまったので、立憲民主党は経済政策でリベラル色を出せなくなっている。

 憲法改正でも、今回の第9条に第3項を加えて自衛隊を合憲化するというのは、本来のリベラル、立憲主義の立場から出るべき意見だ。実際、枝野幸男代表や民進党の前原誠司代表はそうした主張をしたこともある。それも、安倍政権に先んじられてしまった。今では、「安倍政権での憲法改正に反対」と、ここでも「反安倍」しか言えない情けなさだ。

 経済政策論争ができないので、「モリカケ」に走らざるをえないのが、立憲民主党だろう。(元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)

【私の論評】国会対策は「モリカケ」だけ!次の選挙では姿を消す(゚д゚)!

上記の高橋洋一の主張は概ね賛成です。今回、希望の党、無所属、立憲民主党と3つの形で、立候補した旧民進党議員のうち、希望の党から奈良一区から立候補した馬渕澄夫氏は今回落選しました。

ブログ冒頭の高橋洋一氏が「アベノミクスを超える金融緩和を訴えるなどして対抗すればいいものを」としているのですが、旧民主党の衆議院議員の中で、これができるのはおそらく馬淵澄夫議員だけだったと考えられます。

敗戦の弁を述べる希望の党の馬淵澄夫氏 =23日午前
他にも、金融政策を理解している衆議院議員もいるようではありますが、アベノミクスを超える金融緩和を訴えることができるのは、馬淵氏以外には存在しないでしょう。

実は、旧民進党には参議院にも馬渕氏に匹敵するような議員が存在していました。金子洋一氏です。しかし、彼も昨年の参院選で落選しています。

金子洋一氏
金子洋一氏は、今回の衆院選の直前に自身のブロクで「私が野党の党首ならこんな経済政策を掲げます」という記事を掲載していました。

この内容は、ここでは詳細は説明しませんが、かなりまともな内容であり、確かにこの政策を掲げれば、経済対策としては十分に与党に対抗できるものですし、実際このような政策が運用されれば、日本経済もかなり良くなるであろうと思える内容です。

このブログで、金子氏は、「マクロ経済政策に関心がある政党がありましたら、いくらでも政策作りのお手伝いをいたします。どうぞご連絡ください。公認をよこせなどとは絶対に申しません(笑)」と述べています。

馬淵氏と金子氏に共通するのは、マクロ経済の理解です。政府・日銀が行う経済対策は、マクロ経済的な政策です。政府・日銀の行う経済対策は、家計や企業の実施するような経済対策とは当然違います。これをしっかり、理解して政策提言にまでまとめられるのは、旧民進党の中ではこの二人しか存在しないです。

昨年から、今年にかけて旧民進党勢は、この二人の貴重な人材を活用しなかったばかりか、結局議員ですらなくしてしまっているわけですから、この二人のことを人材としても認識していなかったのでしょう。

民進党の議員のほとんどは、幹部を含めて本当にマクロ経済音痴です。枝野氏など金利をあげると経済が良くなるなどという奇妙奇天烈、摩訶不思議な理論を信奉しています。

2008年の朝まで生テレビで、高橋洋一氏が当時のデフレ対策に関連して「財政政策による景気刺激は1回限りで借金が残るだけであり金融政策を優先した方が良い」という趣旨の発言をしたところ、枝野氏は「財政政策に効果がないのは同意だが、金融緩和はバブルを生むだけだ。それより、銀行の預金金利を上げるべき」と発言しました。

高橋洋一氏も呆れて「今、テレビで流れちゃったけど、見た人はかなりびっくりしてると思う。預金金利を上げて景気回復するなんてことはありえない。こういう発言が出るようじゃ民主党はまだまだだ」と語っていました。

朝まで生テレビで「量的緩和」効果を理解せず、「利上げで景気回復」という珍説を披露する枝野氏
この枝野氏の奇妙奇天烈な理論の源流を正すと、仙谷由人氏のようです。そうして、千谷氏の経済ブレーンは、エコノミストの中前忠氏とコンサルタントの篠原令氏の2人でした。誰が、枝野氏に利上げが景気回復につながると教えたのか知りませんが、いずにせよ、教えた人はかなりのマクロ経済音痴です。

前原氏も枝野氏に負けず劣らず、マクロ経済音痴です。2013年1月13日の報道2001で「デフレ原因は人口減、円高原因は震災によるサプライチェーンの寸断」だと発言していました。

デフレ人口減説は、一時かなり流行りましたが、その後まともな識者が、それを完全否定したたため、最近では影を潜めました。震災直後の円高の要因は、震災により復興などで、円の需要が高まっているにもかかわらず、当時の日銀が金融緩和をしなかったためです。

枝野、前原氏に限らず、旧民進党の議員はほとんどがマクロ経済音痴で、まともな経済対策を提言することはできません。

となると、これから野党の再編がおこり、希望の党に合流して当選した議員が立憲民進党に合流したり、旧民進党の無所属で出馬し当選した議員が、立憲民主党に合流したりしても、誰もまともな経済政策を提言できませんから、立憲民主党がまともな経済対策を提言することは不可能ということです。

それでも、本来ならば、馬淵氏と金子氏を経済ブレーンとみて、その提言を聴くなり、参考にするなどということはできるはずですが、枝野氏はそれもしないでしょう。

それどころか、枝野氏は純化路線に走り、立憲民主党以外の旧民主党の議員を全く受け入れないか、受け入れるにしても自分の考えに近い人たちしか受け入れないと考えられます。

日本維新の会の遠藤敬国対委員長は25日、立憲民主党が同日に開催を呼びかけた野党国対委員長会談に招かれなかったとして「『排除の論理』だ。野党筆頭としてどうなのか」と述べ、立憲民主党の対応に強い不快感を示しています。希望の党も呼ばれていません。


希望の党の小池百合子代表(東京都知事)の「排除の論理」に反発して結成された立憲民主党は、衆院選でも「分断と排除の政治が行われ、立憲主義が壊されている」(枝野幸男代表)と訴えていました。

遠藤氏は「(小池氏と)同じことをしているのではないか。『自分たちと同じ考え方でなければだめだ』というのは、ちょっと違う」と語りました。

京都のお蕎麦屋さんのメニューから
いずれにしても、まともな経済対策も語れず、安全保障も外交も与党に及ばず、結局高橋洋一氏がブログ冒頭の記事で語ったように、「モリカケ」に走らざるを得なくなるでしょう。そればかりでは、飽きられるのでまたスキャンダルを追いかけることになります。しかし、そのような話と、何でも反対という姿勢を続ければ、立憲民主党は弱体化します。そうなると、立憲民主党も旧民進党のように崩壊するしかなくなります。

次の選挙の頃には、姿を消しているか、有名無実になるしかないです。

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2017年10月14日土曜日

【日本の選択】今の日本に必要な「ガラパゴス左翼」との決別 本来の「リベラル」とかけ離れた思想は国民にとって不幸―【私の論評】意味が理解出来ない言葉を平気つかう人はまともな社会人にさえなれない(゚д゚)!

【日本の選択】今の日本に必要な「ガラパゴス左翼」との決別 本来の「リベラル」とかけ離れた思想は国民にとって不幸

ガラパゴス諸島に生育するイグアナ
政治思想の観点から今回の衆院選を分析すると、実に興味深い点がある。自民党、希望の党、立憲民主党のそれぞれが「保守」を掲げている点である。

 自民党が、保守政党であることは周知の通りだ。希望の党は、自らの政党の理念を「社会の分断を包摂する、寛容な改革保守政党を目指す」としている。安全保障政策において非現実的な主張を繰り返した民進党左派を「排除」し、保守政党の覚悟を示してもいる。

 問題は、立憲民主党である。

 驚く方も多かろうが、立憲民主党の枝野幸男代表は自らを「保守」と位置付けている。枝野氏は自分自身が「保守」「リベラル保守」であるとの主張をかねてより繰り返しているのだ。

 私自身も、リベラルな保守主義者を自任しているので、「リベラル」と「保守」が必ずしも対立する概念ではない-という枝野氏の論理を歓迎している。「多数者の専制」に陥りがちな民主主義社会の中で、少数者、弱者の声に耳を傾けるというリベラルな姿勢、社会の中の多様性を擁護するリベラルな姿勢は、政治家にとって重要だ。

 こうしたリベラルな姿勢と、わが国の伝統や文化に対して敬意を抱くという保守的な姿勢とは、必然的に対立するものではない。枝野氏が抽象的に「リベラルな保守」について語るとき、私はそれほど違和感を覚えない。

 だが、日本では「リベラル」とは、特別な意味で語られることが多い。これが厄介だ。「憲法9条を守っていれば平和が維持できる」「集団的自衛権の行使容認で徴兵制がやってくる」といった、非現実主義的な「平和主義」を信奉する人々を「リベラル」と呼ぶことが多い。

 こういう人々は本来「保守」でも「リベラル」でもない。愚かなだけである。日本列島に生き残る「ガラパゴス左翼」と呼ぶべき勢力なのだ。彼らの特徴は極端に非現実的な主張であり、盲目的に憲法9条に拝跪(はいき=ひざまずいておがむこと)する様は、一種の宗教儀式を連想させるものだ。

 残念ながら、集団的自衛権の行使容認に関する枝野氏の主張は、本来の「リベラル」とはまったく無関係な「ガラパゴス左翼」の論理そのものだった。

 政党が「保守」「保守」と唱えるのは結構だが、今の日本に本当に必要なのは、「ガラパゴス左翼」と決別した真っ当な意味でのリベラルだ。安全保障政策において現実主義の立場に立ち、共産党とは一線を画したうえで、国内政策においては弱者の立場に立つ。

 「リベラル」との言葉が、ほとんど「愚かしさ」と同義語になってしまっているのは、日本国民にとって極めて不幸なことだと思わざるを得ない。

 ■岩田温(いわた・あつし) 1983年、静岡県生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業、同大学院修士課程修了。拓殖大学客員研究員などを経て、現在、大和大学政治経済学部政治行政学科専任講師。専攻は政治哲学。著書に『逆説の政治哲学』(ベスト新書)、『平和の敵 偽りの立憲主義』(並木書房)、『人種差別から読み解く大東亜戦争』(彩図社)など。

【私の論評】意味が理解出来ない言葉を平気つかう人はまともな社会人にさえなれない(゚д゚)!

リベラル(liberal)という言葉を大辞林で調べると以下のように記されています。
1 政治的に穏健な革新をめざす立場をとるさま。本来は個人の自由を重んじる思想全般の意だが、主に1980年代の米国レーガン政権以降は、保守主義の立場から、逆に個人の財産権などを軽視して福祉を過度に重視する考えとして、革新派を批判的にいう場合が多い。自由主義的。「リベラルな思想」 
2 因習などにとらわれないさま。「リベラルな校風」
1.の意味に関しては、このブログでも以前掲載したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
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フーヴァー大統領(左)とルーズベルト大統領
詳細はこの記事をご覧いただくものとして、この記事の論評元の記事で、山口真由氏は、リベラルと、保守について以下のように述べています。
リベラルは「人間の理性」を絶対的に信じる。経済不況や格差は政府の積極的な介入によって解決し、野蛮な帝国は軍事介入によって折伏する。そうやって理性的な人間がコントロールできる領域を広げれば、多様な人間が共存できる理想的な社会ができ上がる。こうした一種の理想主義は、自然を耕し、従えるという発想につながる。 
対する保守は、人間に対する深い懐疑がその源にある。荒野の開拓者を原風景とする彼らにとって、大いなる自然の前に人間はあまりにちっぽけだった。だから、彼らは自然を支配するなどというおこがましい発想を捨て、政府の介入は最小限にし、市場は自由競争に委ねようと考える。 
そんなわけで、アメリカのリベラルは、憲法改正反対や原発再稼働反対を主張する日本のリベラルとは、真逆の立場をとる。
日本のリベラルは、米国のリベラルとも全く異なるどころか、真逆の立場であることになります。

この1の意味でいうと、リベラルと保守とは相対するものであり、リベラルな保守など存在し得ないことになります。

しかし、 "2 因習などにとらわれないさま。"という、より根源的な意味のリベラルであれば、確かにリベラルな保守とは、「因習にとらわれないリベラル」ということになり、これは十分に存在し得る概念です。

さて、この意味でのリベラルで身近なものでは、リベラル・アーツという言葉があります。



リベラルアーツという言葉は元々ギリシャ・ローマ時代の「自由7科」(文法、修辞、弁証、算術、幾何、天文、音楽)に起源を持っています。その時代に自由人として生きるための学問がリベラルアーツの起源でした。「リベラル・アーツ」、つまり人間を自由にする技ということです。

リベラルアーツとは「因習にとらわれないための学問」ということのようです。

「リベラルアーツ」という言葉が大学教育の中でよく聞かれるようになってきました。日本語に直すと「教養課程」等がいちばん近いのですが、内容はちょっと違います。教養という言葉には悪い意味はありませんが、これまで大学における「教養課程」という言葉には「専門教育」の前に学習する一段低い教育といった意味がつきまとっていました。ですからリベラルアーツ教育と言うときには、昔の「教養教育」とは違うんだぞという意味合いが含まれています。

最近まで多くの大学は「役に立つ人材」を育てようということで、なるべく早く専門教育を行い、その専門のスペシャリストを育てようという傾向がありました。しかしそうなると自分の専門のことは詳しいけれど、それ以外のことはあまり知らないという人たちが生みだされてしまいます。これでは、教養ある人間とはいえないです。

やはり、本来のリベラルアーツとは「因習にとらわれないようにするための教養」というあたりが本来の意味であると考えられます。

リベラルを自称する人たちは、言葉の本来の意味からすれば、「因習にとらわれて」はいけないのです。過去にとらわれ極端に非現実的な主張をしてみたり、ましてや盲目的に憲法9条に拝跪するようでは、とてもリベラルとはいえないのです。

さて、経営学の大家である、ドラッカー氏はマネジメントとリベラルアーツに関して次のように述べています。
マネジメントとは、仕事である。その成否は、結果で判定される。すなわち、それは技能である。しかし同時に、マネジメントとは、人に関わるものであり、価値観と成長に関わるものである。したがってそれは、まさに伝統的な意味における教養(英語ではリベラルアーツ)である。(『チェンジ・リーダーの条件』)
そうして、ドラッカー氏はリベラルアーツであるマネジメントについて次のように語っています。
マネジメントとは何か。諸々の手法と手品の詰め合わせか。それとも、ビジネススクールで教えるように、分析道具のセットか。もちろん、道具としてのマネジメントも重要である。体温計や解剖学が、医者にとって大切であるのと同じである。だが、マネジメントの歴史、すなわちその成功と失敗の数々は、マネジメントとは、何にもまして、ものの考え方であることを教えている。(『チェンジ・リーダーの条件』)

それでは、マネジメントとは、いかなるものの考え方なのでしょうか。以下にそれについてドラッカー氏が語っていることを簡単にまとめます。
第1に、マネジメントとは、人の強みを発揮させ、弱みを無意味にすることである。つまりそれは、人にかかわることである。 
第2に、マネジメントとは、それぞれの国や土地の伝統、歴史、文化を仕事に組み込むことである。つまりそれは、人の関係にかかわることである。 
第3に、マネジメントとは、組織の目的、価値観、目標を明確にしてから、周知徹底し、常時確認することである。つまりそれは、組織の目的にかかわることである。 
第4に、マネジメントとは、組織の人間を成長させることである。つまりそれは、組織の人間の訓練と啓発にかかわることである。 
第5に、マネジメントとは、意思の疎通と個人の責任を確立することである。 
第6に、マネジメントとは、マーケティング、イノベーション、生産性、人材育成、人、もの、カネ、社会的責任など、成果の尺度を明らかにして、測定し、向上させることである。 
第7に、マネジメントとは、組織の外に成果をもたらすことである。優れた財・サービスの提供によって、世の中に貢献することである。
ドラッカーは、マネジメントを志す者は、心理学、哲学、倫理学、経済学、歴史などを身につけよといっています。要するに、リベラルアートを学べと言うのです。それらの知識によって、成果を出せといいます。病人の治療、学生の教育、橋の建設、ソフトの設計に使えといっているのです。

リベラルアートを身につけた上で、医学・教育・工学・ITの分野にもそれを適用せよといっているのです。

平たくいうと、マネジメントを実行するには、真の意味での教養がなければならないということです。

そうして、この考えの前提には、やはり「因習からとらわれることがないこと」すなわち「自由」があるのです。

一方、保守主義についても誤解があります。本来の保守主義は政治的にどのような立場をとっているなどということは全く関係ありません。これもドラッカー氏の言葉を引用して説明させていただきます。
保守主義とは、明日のために、すでに存在するものを基盤とし、すでに知られている方法を使い、自由で機能する社会をもつための必要条件に反しないかたちで具体的な問題を解決していくという原理である。これ以外の原理では、すべて目を覆う結果をもたらすこと必定である。(ドラッカー名著集(10)『産業人の未来』)
つまり、改革をするときにそれまでに見たことも聴いたこともないような新しいやり方はせず、すでに存在するものを基盤とし、すでに知られている方法を使い、自由で機能する社会をもつための必要条件に反しないかたちで具体的な問題を解決していくという立場をいうのです。改憲論者だから保守というわけではないのです。

これでは、何も新しいことができないではないかと言う人もいるかもしれませんが、これは無論政治的改革をするときの話であって、政治以外にもマネジメントをはじめ、心理学、哲学、倫理学、経済学、歴史など世の中には様々な分野があり、その分野で新しく確立された手法を政治的改革に用いることを前提としています。

しかし、政治的改革の中で、見たことも聴いたこともないような、新手法をいきなり取り入れると、ドラッカー氏の言うように目を覆うような結果をもたらすことになります。共産主義などその最たる例です。

『共産主義黒書』に掲載されている、共産主義による死者数
過去の金融政策・財政政策もその典型例かもしれません。デフレの最中に、過去に見たことも聴いたこともない、金融引締め、緊縮財政をしたため、日本経済は目を覆うような結果を招いてしまいました。

一方、安倍政権はデフレの時には金融緩和をすべきという、すでに存在するものを基盤とし、すでに知られている方法を使い雇用状況を劇的に変化させることに成功しました。

保守派を自称する人たちも、保守の意味を取り違えている人も多いのではないでしょうか。

言葉の本来の意味を取り違えていては、まともな政策論争もできないのではないかと思います。

政治家がよく「政治家の言葉は重い」といいますが、これは言葉と政治とは切っても切り離せないからです。

政治とは合意を得るための過程であり、国家を存続させるための行動であり、国民(特に弱者)を救うための行為です。本来はそこで用いられる言葉は、極めて厳密なものであり、多くの経験値と実践知の集合体でもあるはずです。

学問の世界で言葉の定義が非常に大事にされるのは、そこに嘘や”誤解”がはいるとそれは学問ではなく単なる虚構になってしまうからです。政治における言葉も本来は学問のように厳密でなければならないのです。

従って政治家は言葉を重んじなければならないはずなのです。もっともメディアや言論界なども、言葉を重んじなければならないはずなのですが、特に政治家はそうでなければならないのです。

保守派も、リベラルもまずは言葉の本来の意味を知ってから政策論争をすべきです。特に基本的な保守とか、リベラルなどの基本的な言葉の本当の意味がわからないでつかうような人は、本来政治家になるべきではないです。

本来、意味を理解出来ない言葉を平気つかう人はまともな社会人にさえなれないはずです。

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