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2016年5月25日水曜日

京大出て専業主婦は「もったいない」のか? 女性のブログが話題「嫉妬されてるだけ」「大学は職業訓練校ではない」―【私の論評】京大卒女子は絶対働くべきと思い込むのは共産主義、全体主義を信奉するのと変わりなし(゚д゚)!


京大卒で主婦はもったいない?

偏差値の高い大学を卒業後、大企業に入社し、高収入を得る――成功や幸せのモデルとして多くの人が思い浮かべるケースだが、高学歴の人の中にはそういった考え方に辟易している卒業生もいるようだ。

京都大学出身の女性が、5月23日に「『京大出て専業主婦なんてもったいない』と言う人は、じゃあわたしが何をすれば許してくれるのか」というブログ記事を投稿し、話題を集めている。

専業主婦であることを「もったいない」と説教された

女性は今年の3月に入籍するとともに京都大学大学院の文学研究科を修了。このことについて、「京大出てそっこうで専業主婦、まあ少数派であることは重々承知している」と語る。周囲に「えっ、働かないの?」と聞かれることは予想していたが、「それに対する自分なりの答え」もあるのだという。

だが、ある人から専業主婦であることは「もったいない」という旨の内容で繰り返し説教をされ、気分が滅入ってしまったそうだ。女性は、
「いったい何がもったいないのだろう。もったいないってことは、わたしは何かを無駄にしているってことなんだろうけれど、何を無駄にしているのだろうか」
と疑問を呈している。女性は京大に行った理由を「勉強をしに行っただけ」「京大オケに入りたかった」と語っている。決して良い企業に就職するためではないのだ。そこで夫と出会い、夫婦での話し合いの末に「外で働かない道」を選んだ。それなのに干渉してくる人に対して、「なぜお前が口を出すのか」と心境を吐露している。
「嫉妬されてるだけ」「余所様の家庭に口を出す方がおかしい」

このブログには、はてなブックマークで多くの反応が寄せられた。中には、
「もっと日本の役に立つことをしろよ。専業主婦ならFランクでもなれるだろ。その枠を未来に活かせる奴に譲れば良かったと思えないの?」
と、女性に「もったいない」と言った人と同じような感想を抱く人もいたが、女性の主張に賛同する人も多かった。
「嫉妬されてるだけ。自分の人生だもの。気にしたら損」 
「余所様の家庭に口を出す方がおかしい。大学で修めた学問と関係無い分野で働いてる人も多い」 
「別に大学は職業訓練校じゃないし、生き方は人それぞれだし、主婦でいいでしょ」 
「なんで他人からの許しが必要なの?」という人も
また、「京大出て変なことしてる人は知人友人含め結構いますので、割とそんな大学です。開き直ってもいい気はします」と周りの卒業生の様子を語る人もいた。「なんで他人からの許しが必要なの?」「ただの社交辞令にいちいち本気にならんでも」といった意見もある。女性が自意識過剰、ということなのだろうか。

だが、24日に女性が更新した記事によれば、ブログに書いた内容は本当なものの、わざと炎上するような文体や煽り気味のタイトルで記事を書いたという。
「本を出そうかなと思っているので、宣伝対象=読者さまが増えたから、よかったんじゃない? て感じだし、そもそもこの燃料で炎上させられない程度の日本語力で本なんか出すべきじゃないやろっていう筆記 試験のつもりで書いたので、自信につながった」
これに対し、読者からは、「せっかく気を使ったコメしたのに『釣れましたーwwww』って性格悪すぎない?もう絶対読まない」と失望する反応が寄せられていた。

【私の論評】京大卒女子は絶対働くべきと思い込むのは共産主義、全体主義を信奉するのと変わりなし(゚д゚)!

何やら、上の記事を読んでいると、この京大卒の女性を「もったいない」と批判する人々は「保育園落ちた、日本死ね」というブログを書いた人や、それを国会でとりあげて、与党を批判した民主党政調会長山尾志桜里さんやこれを支持する人たちなどと似たようなメンタリティーなのではないかと思います。

なぜ、そのような感想を抱くに至ったかといえば、最近ある動画を見たからです。その動画を以下に掲載します。


この動画、50分以上にも及ぶものですが、私は結構面白くあっという間に見終わってしまいました。この動画では、河添恵子・赤尾由美さんらが、朝まで生テレビの鬱憤を晴らすのを倉山氏が聞き取るというような形でまとめらています。チャンネルくららとしては、久しぶりの「討論・暴論・強硬論!」です。タイトルは、「女性が輝く社会を目指す?」というタイトルで、保育園の義務教育化を推進することの問題点を指摘しています。

詳細は、この動画をご覧いただくものとして、とにかくすべからく、すべての女性は働きたいと思っている。いや、働かなければならない。働きたいのに、働けない女性は不幸である。働いている女性は、差別されている。この差別は何が何でもなくさなければならない。そうして、すべての女性が差別なく働けるように、保育園はすべからく義務教育化するのが、とにかく何が何でも正しく、そのことによってすべての女性は輝きを増すという考え方は、どこか間違っています。というより、どこか狂っています。

これは、上の動画をご覧いただくことで、実感していただけるものと思います。ブログ冒頭の記事にでてきた、京大卒の専業主婦の方のブログとおぼしきブログのリンクと、そのブログに掲載されていた本人と思われるかたの写真を以下に掲載します。

ブログのタイトルは以下です。
わたしのむしめがね
当該記事のリンクを以下に掲載します。
「京大出て専業主婦なんてもったいない」と言う人は、じゃあわたしが何をすれば許してくれるのか

さて、女性は全員働きたいと思っているし、働かなければならないとする現在の風潮はリベラルや左翼系の人々は、新しい風潮であるかのように思い込んでいるようですが、それは違います。これは、時代遅れです。アメリカで大失敗した古い考え方です。それに関しては、このブロクにも随分前に掲載したことがあります。

その記事を以下のリンク掲載します。

まずは、夫婦別姓の記事のリンクを掲載します。
選択的夫婦別姓を明記 第3次男女共同参画基本計画策定に向け答申―日本解体始動!!ゆとり教育の二番煎じになるか?
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、この記事は2010年7月23日のものです。この記事から、一足早くビジネス現場などで、夫婦別姓が一時かなりすすめられた結果、米国では過去に何が起こっていたかを示す部分を以下に引用します。
さて、この選択的夫婦別姓に関しては、米国では、現在の日本と同様、結婚によって夫婦は同じ姓になりますが、婚前の姓をミドルネームと言う形で残すのは、普通のことのようです。「私のパパの名前をミドルネームにして使っているの」という女性も多いです。米国では、法律では夫婦別姓に関して決まりはありません。 
ところが、米国では1960年代からいわゆるリベラリスト(自由主義者)らによるフェミニズムの影響で、男性からの経済的自立で女性は自由を得るという生き方が吹聴され、夫婦別姓や事実婚を推奨する運動が盛んでした。 
だから、アメリカでは働く女性が自分の旧姓を名乗り続けるなどのことが、珍しくないことになっていました。あるいは、実質的には夫婦関係にあるにもかかわらず、結婚せずに、夫婦別姓で、いわゆる事実婚という形をとるカップルも増えました。ところが、この法律にもとづかない実質的な夫婦別姓制度が大きな不幸をもたらしました。 
夫婦別姓、女性の社会進出、子育ての外注化という流れの中で米国では多くの男性が妻と子供を扶養する責任を感じなくなっていきました。離婚や未婚の母が増加し、家族という生活の基礎的な基盤を失って苦しむ子供たちが急増しました。皆さんご存知でしょうが、現在アメリカで結婚したカップルのうち、半数以上が離婚します。半数以上ですよ!米国では、離婚は当たり前のことになってしまいました。近いところでは、あのおしどり夫婦で有名だったアル・ゴア氏の離婚が有名ですね。
ペンシルベニア州立大学ポール・アマト教授は「安定的な結婚を1980年の水準まで上昇させれば、停学になる子供を50万人、非行、暴力行為に走る子供を20万人、心理療法を受ける子供を25万人、喫煙する子供を25万人、自殺志向の子供を8万人、自殺未遂の子供を2万8千人、それぞれ減らせる」と警鐘を鳴らしました。 
「家族の絆(きずな)」よりも「個人の意向」を優先する社会-。これが何をもたらしたか。米国の女性たちは既に教訓を得ました。「(米国女性は)過去25年間で初めて女性の就労率が下降し、女性の86%が『仕事よりも家庭が大事だ』と思っている」(2002年3月12日付『USAトゥデー』)
過去に一時、「家庭の絆」よりも「個人の意向」を尊重したアメリカ社会では、今日の日本の「保育園義務化」のように、子育ての外注化がすすめられ、そのために上記にあるような社会の停滞と破壊を招いたです。

こんなことを、リベラルや左翼の人たちは日本でも繰り返したいというのでしょうか。数十年も前にアメリカで大失敗したことを、日本でも繰り返そうというのでしょうか。アメリカ社会は1990年代がこのような破壊と停滞の時代だったのです。2000年に入ってからは、その反省の上にたって、女性の考えが随分変わったのです。

そもそも、女性にも様々なタイプの人がいて、上昇志向が強くて、企業に入って、なるべく上を目指したいという人もいると思います。しかし、そうではない人も多数存在するのです。ブログ冒頭の記事の京大を卒業した女性はそのような女性だと思います。

主婦業 男性1割が"0円"評価とのアンケート結果があつた。主婦業を侮るべきではない!
とにかく、有名大学を卒業した女性はすべからく社会進出しなければならないという考えはあまりに偏狭すぎます。それに、「専業主婦ならFランクでもなれる」という言い方は、とんでもないです。これでは、完璧に専業主婦を愚弄しています。とんでもないことです。

これこそ、差別というものです。専業主婦も、良い大学を出ていようが、出ていまいが、優秀な人は優秀です。優秀でなければ、まともな家庭を築くことはできません。企業も家庭があって、まともな子育てができる家庭で、まともな成人が入社してくれなければ成り立ちません。

それと、ノルウェーなどクオーター制によって、役員や、管理職の一定数を女性にするという、リベラルや左翼系の人々が先進的だとするシステムに関しても、その齟齬が随分前からみられていました。それに関する記事のリンクを以下に掲載します。
実は不寛容だった!? 女性登用先進国の「不都合な真実」 フィナンシャル・タイムズ(UK)より―【私の論評】古今東西の事例をみないか、みても中途半端で失敗するというのは、日本の政治家・官僚・マスコミが何度となく繰り返したきた習性!これからも繰り返し続けるのだろうか(゚д゚)!
この記事は、2014年10月26日のものです。詳細は、この記事をご覧いただくものとして、女性登用のノルウェーでの実態を示す部分を以下に引用します。
首相、財務相、さらには経済界の要職である雇用主組合と労働組合連合のトップに、女性が君臨する。ノルウェーが女性登用先進国と言われる所以である。
2003年、会社法改正により、同国の男女平等政策は民間企業にも広がった。上場企業の取締役会における女性の割合を40%以上とすることを義務づける「クォータ制(割当制)」が導入されたのだ。 
国際的には、クォータ制は女性登用に一定の成果を挙げたと評価されている。だがノルウェー国内では、その効果を疑問視する声もあがっている。 
ノルウェーではいまや、上場企業の取締役会における女性役員が40・7%を占めるまでになった。だが、実際に経営に携わる女性役員は6・4%にとどまる。さらに言えば、ノルウェーの大手上場企業で社長の座に就いている女性は一人もいない。 
結局のところクォータ制は、企業社会の男女平等を後押ししたというより、経営の決定権を持たない女性役員の数を増やしただけだったというのだ。 
この制度が非上場企業には適用されないことも、大企業にとっては抜け道となっている。03年に563社あったノルウェーの上場企業は、クォータ制が法的強制力を持つ08年までに、179社に激減した。女性役員の比率を上げたくないがために、7割の上場企業が非上場に転じたのだ。その結果、役員ポストは上場企業全体で1400となり、現在570人の女性役員がいるにすぎない。他方、非上場企業の役員の50万のうち、女性が就いているポストは9万余り。女性の割合は2割にも満たない。
ノルウエーは左翼やリベラルの人たちにいわせると、素晴らしい国であり、女性がいきいきと働き、輝いていると映っているようですが、実際はこの状況です。

この状況は、現在ではさらに悪くなっているようです。上の動画でも河添恵子先生が、ノルウエーの企業で、本社を外国に移す企業が増えていると語っていました。

日本では、女性の社会進出を促すとリベラルや左翼の方々が、固く考えられているクオーター制といい、女性が働き易すくなると固く信じられている「子育ての外注化」など、これは何かを連想させます。

とにかく、優秀な人が何か制度をつくりそれを施行さえすれば、何でもうまくいくという、考え方です。


これはいわゆる制度設計というものです。これは、新しい制度を作る、または現行制度を改善する場合に、その目的、対象、事業内容、必要な組織、運営の仕方などをまとめた計画のことです。優秀な人が、この計画を立案して、実行すれば必ずうまくいという安易な考え方です。

そうです。これって、共産主義ですね。共産主義はどうなりましたか?結局大失敗しました。今では、共産主義など誰も信じなくなりました。

結局女性の社会進出や、子育てなどに関しては、制度設計で誰かが「これが最善」として考えて実行したとしてもうまくはいかないということです。

制度設計で何もかもうまくいくなら、共産主義の計画経済もうまくいって、共産主義国家も栄えていたはずです。そうして、今でも共産主義国家が存在しているはです。しかし、現在では、共産主義国家はこの地球上には存在しません。

中国は共産主義体制をとっているようにみせかけていますが、その実もうとうに共産主義は捨てていて、現在は破綻しかけた国家資本主義と呼ぶにふさわしい体制となっています。

京大を出た女性は専業主婦ではなく社会に出て働くべきという考えは、女性は社会進出すべきであり、それが絶対善であるという考え方と根本的に同じです。

しかし、実際の世の中には、そうではない女性も大勢います。そうして、上でも示したように、家庭の主婦の仕事も大事な仕事です。そんなことを無視して、社会全体の価値観を一部の人が定めて、その方向性で計画して、その計画を実行することにより、人々は幸せになるという考え方は、共産主義です。

共産主義は、結局全体主義であり、組織や個人の自由な活動をかなり制限して、制度設計で社会はうまくいくという前提のもとで運営され、そうして、大失敗しました。

共産主義国家においては、女性の社会進出が徹底されました。旧社会主義国では、これが社会を荒廃させる一因にもなりました。

過去の共産主義諸国の女性たちのほとんどが社会進出した
結局何が失敗だったかというと、個人や組織の自由を認めなかったことです。社会には、多様な考えや価値観を持った個人や、組織が存在しており、実体経済という縛りはあるものの、現実にそれらが自由に活動して、個人の幸せが得られたり、組織間が競争をしたり、他の組織とは全く異なることを実行したりして、成功したり失敗したりします。

そうして、一定の秩序ができあがり、社会が発展します。しかし、それを認めないというのなら、社会は発展しません。

女性は、社会進出して、高い給料や地位を得ることが幸せで、他は不幸であると決めつけることや、女性の社会進出のためには、価値の低い専業主婦の仕事は全部外注にして、女性が心置きなく社会進出して、少しでも高い給料と高い地位を得ることによってのみ、女性は輝くことができると思い込むのは、結局のところ共産主義、全体主義を信奉するのと変わりありません。

結局、一昔前のアメリカの不幸もこうした硬直した考えに支配されたためです。私たちは、多様な個人や組織の価値観や考えを尊重すべきです。だから、社会進出したいという女性の価値観も認めると同時に、家庭を大事にしたいという女性の価値観も認めるべきなのです。

そうして、明らかに間違いであるとか、社会に害悪をもたらすとか、犯罪につながるとか、他者にも無理に強要するような価値観や考えは、認めるわけにはいきませんが、それ以外の個人や組織のそれは、認めるべきです。本当はリベラルの人たちがこのような考えをすべきです。

【関連記事】

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2015年2月20日金曜日

天皇関する記述 市教委「断定的」 一宮・校長のブログ注意―【私の論評】教育にとって、百害あって一利なしの教育委員会という無責任、無駄組織は日本の教育行政から消滅させるべき(゚д゚)!

天皇関する記述 市教委「断定的」 一宮・校長のブログ注意
【私の論評】教育にとって、百害あって一利なしの教育委員会という無責任、無駄組織は日本の教育行政から消滅させるべき(゚д゚)!

上のツイート、全国的にいろいろいと物議を醸しているようです。私も、上の記事の市教委の対応は、酷いものだと思います。

では、当のブログがどのような内容であったかといえば、以下のようなものです。
2.9 朝礼講話(校長室)
仁徳天皇 民のかまどの話 ブログ管理人挿入
  2月11日は建国記念日です。 
 そこで、今日は日本のルーツ、日本の起源について、お話をしたいと思います。
日本の建国は、今から2675年前の紀元前660年2月11日、初代、神武天皇が即位した日が始まりです。 
 世界一広いお墓、大仙古墳で有名な、16代仁徳天皇が、ある日高台に登って遠くをご覧になられました。すると人々の家からは、食事の準備のために煮炊きする煙が少しも上がっていないことに気付いたのです。 
 仁徳天皇は「民のかまどより煙がたちのぼらないのは、貧しくて炊くものがないのではないか。都がこうだから、地方はなおひどいことであろう」と仰せられ、三年間、税を免除されました。 
 税を免除したために朝廷の収入はなくなり、宮殿は大いに荒れました。天皇は衣を新調されず、茅(かや)葦(ぶき)屋根が破れ、雨漏りがして、星の光が屋根の隙間から見えるという有様でした。 
 三年がたって、仁徳天皇が同じ高台に出られて、遠くをご覧になると今度は、人々の家々から煮炊きする煙が盛んに立つのをご覧になり、その時、仁徳天皇がこのように言われたということです。 
「高き屋に のぼりて見れば煙立つ 民のかまどは賑わいにけり」 
そして、一緒におられた皇后に「私は豊かになった。喜ばしいことだ」とおっしゃったということです。 
 皇后はそれを聞いて「陛下は変なことをおっしゃいますね。衣服には穴があき、屋根が破れているのに、どうして豊かになったといえるのですか」 
 すると「国とは民が根本である。その民が豊かでいるのだから、私も豊かということだ」と言われ、天皇は引き続き、さらに三年間、税をとることをお許しにならず、六年が経過して、やっと税を課して、宮殿の修理をお許しになりました。 
すると人々は命令もされていないのに、進んで宮殿の修理をはじめ、またたくまに立派な宮殿ができあがったといいます。 
 この話は神話であり、作り話であるという説もあります。しかし、こうした神話こそが、その国の国柄を示しているとも言えるのです。 
 こうした天皇と国民の関係性は、何も仁徳天皇に限ったことではありません。 
 敗戦直後の1945年9月27日、124代昭和天皇はマッカーサーと会見をしました。そして、その会見で昭和天皇はこのようにマッカーサーに話したのです。 
  「今回の戦争の責任はすべて自分にあるのであるから、東郷や重光らを罰せず、私を罰してほしい。ただし、このままでは罪のない国民に多数の餓死者が出る恐 れがあるから、是非食糧援助をお願いしたい。ここに皇室財産の有価証券類をまとめて持参したので、その費用の一部に充ててほしい」と述べたのでした。 
  それまで、天皇陛下が、多くの国王のように、命乞いに来たのだろうと考えていたマッカーサー元帥は、この言葉を聞いて、やおら立ち上がり、陛下の前に進 み、抱きつかんばかりにして陛下の手を握り、『私は初めて神のごとき帝王を見た』と述べて、陛下のお帰りの際は、マッカーサー自らが出口まで見送りの礼を 取ったのです。 
 このように、初代、神武天皇以来2675年に渡り、我が国は日本型の民主主義が穏やかに定着した世界で類を見ない国家です。 
 日本は先の太平洋戦争で、建国以来初めて負けました。しかし、だからといってアメリカから初めて民主主義を与えられたわけではありません。 
  また、革命で日本人同士が殺しあって民主主義をつくったわけでもありません。 
 古代の昔から、日本という国は、天皇陛下と民が心を一つにして暮らしてきた穏やかな民主主義精神に富んだ国家であったのです。 
 私たちは日本や日本人のことを決して卑下する必要はありません。皆さんは、世界一長い歴史とすばらしい伝統を持つこの国に誇りを持ち、世界や世界の人々に貢献できるよう、一生懸命勉強に励んで欲しいと思います。

この記事のどこに問題があるというのでしょうか。この市教委のボンクラどもは、マッカーサーが、日本からアメリカに帰って、公聴会で日本の戦争のことを「彼らの戦争は、侵略戦争ではなく、防衛戦そうだった」と証言していたことも知らないのではないでしょうか。

この酷い仕打ちに対するツイートに対して、様々な返信が多数ありました。その代表的なものを以下に掲載しておきます。
このツイートに見られるように、一宮市教委に対して非難轟々です。しかし、この教育委員会という組織、もともと胡散臭いものなのです。本日は、それを知っておいていただきたいと思います。

まずは、教育委員会なる組織の歴史に触れたいと思います。教育委員会が設置されたのは先の大戦後のことで、連合国軍総司令部(GHQ)の要請で、米国の教育使節団が昭和21年に来日し、教育委員会の設置を勧告したのがきっかけです。これを受けて、文部省は23年に教育委員会を設置しました。

米国が教育委員会を設置する大義名分としたのは、教育行政の地方分権化、民主化、自主化、中立性の確保でした。しかし、本音は戦前の日本の教育を否定し、日本を弱体化するということが真の目的でした。

日本弱体化のための組織である教育委員会は各地方公共団体、つまり都道府県、市町村ごとに設置されている行政委員会です。ちなみに行政委員会とは、行政機構からある程度独立して、行政に関する職務を行う合議制の機関のことで、国でいうと公正取引委員会や国家公安委員会などが、これにあたります。

《教育委員会の組織のイメージ》

教育委員会の委員の数は地方公共団体によって多少異なりますが、標準的には5人程度で、議会の承認を受けて首長が任命します。教育委員会のトップである委員長は委員の互選によって選出されます。そして、その教育委員会には学校の存廃や教職員の人事、教育方針、教科書の採択など多岐にわたる教育行政案件を決定する権限が与えられています。

しかし、その絶大な権限を持つ教育委員会には、それにに見合った責任はありません。仮に都道府県、市町村内で教育に関する重大な問題が生じれば、本来なら教育委員会が責任をとるべきでしょうが、そういうことありません。強力な権限を持ちながら、責任はとらないというのであれば、そういう組織は教育委員会にかぎらず、堕落するのが当たり前です。

いじめ問題に関する大津市教育委員会の会見はあまりに無責任だった
さらに、悪いことに、仮に責任をとるといっても、その職を辞する、あるいは解かれるだけの話ですから、別に職業を持っている委員本人にとっては痛くもかゆくもないでしょう。そうした教育委員会に形式上、教育行政の決定権限が与えられているため、首長はそれを「隠れみの」にして責任をとらなくていい、つまり、だれも責任をとらなくてすむシステムになっているのが、日本の教育の現状なのです。


教育委員会の現状をみてみると、教育委員会は形骸化していて、行政の事務局が作成した案を追認しているにすぎません。実質仕事など何もしていないのです。

教育に関する、「公平性」や「中立性」という重要な観点もありますが、何も教育委員会組織など必要性が全くなく、他にに「監査組織」のようなチェック機関を作れば問題ないと思います。そもそも地方公共団体には議会があるのですから、議会がしっかりチェックすればいいだけの話です。

こう説明してくると、こんな教育委員会制度はなくして、有権者から選挙で選ばれている首長が、教育行政についても権限を持ち、責任をとるようにすべきだというのが、本筋であることがおわかりなると思います。

このようなあってもなくても良いような組織など、必要ありません。このようないい加減な組織は、はやく消してしまうべぎてす。

素晴らしい校長先生の談話の価値も理解できず、このような反応を示す教育委員などこの日本に必要ありません。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?


「はだしのゲン」閲覧制限は事務局決定―【私の論評】はだしのゲンは、有害図書!!その本質は、残虐描写ではなく、自虐的歴史観の植え付け!!アメリカには、日本に原発を8個落とされても文句のつけようがない借りがある(゚д゚)!

[歴史問題・昭和史]「日本兵は1000人強姦」「脇腹蹴って生死判別」 南京事件で不適切授業 仙台の中学、保護者に謝罪―【私の論評】フォトショップのなかった時代の写真の捏造が明るみにでた今、この事件でも朝日新聞の十八番である「狭義の強制性」と「広義の強制性」を明らかにせよ(゚д゚)!

問題教科書 国旗国歌指導を妨げるな―【私の論評】子供たちにまともな教科書で勉強させる環境を整えることは親の責任でもあり、社会の責任でもある!!

蛙食べさせられた大津自殺少年 親戚宅でひどい下痢していた―【私の論評】マスコミで報道されない大津市で実践された道徳を破壊する人権擁護教育の恐怖!!

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2014年11月8日土曜日

ただいま「Blogger」ブログは日本限定で大規模な障害が発生している模様―【私の論評】このブロガーの不調が続いている限りtwなどのドメインでアクセスを!!

ブロガーが障害、いつになったら治るのか?


43 名前:Trackback(774)
投稿日:2014/11/07(金) 20:18:13.76 ID:wnPHc1Ke 
ブログが表示されなくなった
なんか障害発生してる?


47 名前:Trackback(774)
投稿日:2014/11/07(金) 22:01:59.16 ID:PVq3mNyR 
一応blogspot.jpblogspot.twとかにすると問題なく見れるね
なにがなんだか…

50 名前:Trackback(774)
投稿日:2014/11/07(金) 22:54:25.30 ID:pWi+U+aA
どういうことなんだ・・・
.twもグーグルの所有ドメインなのか?


51 名前:Trackback(774)
投稿日:2014/11/07(金) 23:38:04.50 ID:3CTd7S8W
.tw は台湾ドメインだから、そりゃあね。
ほかにも .kr(韓国) とか .de(ドイツ) とかいくらでもあります。
でも他国ドメインだと見られるのに.jpだと見られるのは、
日本限定でなんか問題が起きてるっぽいなぁ。
twitterでblogspotで検索すると、みんな話題にしている模様。



52 名前:Trackback(774)
投稿日:2014/11/08(土) 01:13:00.01 ID:OL4h0zYX
プロバイダの問題じゃなく、blogspot.jpドメインの問題
おそらくgoogleがblogspot.jpドメインの更新を忘れたか、
それともレジストラがblogspot.jpドメインの設定を間違えたか
どっちかだろうね

【私の論評】このブロガーの不調が続いている限りtwなどのドメインでアクセスを!!


Paris Manga 8, September 2009, Parc des expositions de la porte de Versailles

ブログ冒頭の記事は、Google+からの引用ですが、twitteにもいろいろと掲載されているようです。

twitterの内容を以下に掲載します。




いろいろ、アクセスする方法はあるようですが、とにかく、このブログのどのURLも、blogspot.comblogspot.TWにするとすべて問題なくアクセスできるようです。

面倒ですが、障害が解消するまで、ドメインをjpではなくtwなどに変更してご覧いただくようお願い申し上げます。

数年前にも、ブロガーの障害が何度かありましたが、一度はブログを更新をやめましたが、二度目は、何とか方法を発見して更新しました。

今回は更新自体は問題がないようなので、更新させていただきます。

とにかく、このブログは、日々休まないことを売りにしてきましたので、本日も掲載させていただきます。

とにかく、原因が障害だということがわかったので、明日からは、障害があっても元通りに戻しますのでよろしくお願いします。

はやく障害がなおって元にもどって欲しいです。





2012年6月29日金曜日

アップルへ3つの提言:「修理困難な機器は、人類を危険な道へ導いている」―【私の論評】はじめてタワー型のパソコンを購入してみて理解できたこれらの提言!

アップルへ3つの提言:「修理困難な機器は、人類を危険な道へ導いている」:



iFixit社は電子機器の修理に関するオンラインコミュニティを運営するほか、世界中に修理用パーツを販売。オープンソース形式でつくられる修理マニュアルと、製品分解レポートで定評がある。同社のカイル・ウィーンズCEOから、アップルへの3つの提言。
1.地球上のすべての人々が、さまざまな革新的技術を使えるようにすること(世界人口の12%を占めるに過ぎない先進国だけでなく)。

2.環境や社会へ壊滅的な影響を及ぼすようなハードウェアの製造方法をなくすこと。
3.さまざまな資源の採掘量をいまよりも大幅に減らすこと。たとえばコンゴ共和国でのコルタンをめぐる争いから発展した内戦から、米モンタナ州バークレイピットでの大災害まで、資源採掘が原因で様々な惨事が起こっており、いまでも中国やアフリカでは同じような悲劇が繰り返されている。
コンゴ共和国の位置

電子機器のメーカーにとっては、保証期間が過ぎた製品は姿を消してくれたほうがありがたい。消費者に新しい製品を売り込めるからだ。しかし、現実の世界はそれほどすっきりとしたものではない。リサイクルされる電子機器は全体のごく一部にすぎない。また、リサイクルされるものにしても、切り刻まれ、部品の原料ごとに仕分けられるにすぎない。電子機器を粉々にするのは資源の浪費であり、その製造に費やされたエネルギーの無駄遣いでもある。さらに悪いことに、レアアースやコルタンなど多くの鉱物資源はまったく回収されていない。



われわれが、さらに多くの電子機器を作り続ける理由はなんだろうか。われわれは、必要とするほぼすべての電子機器をすでに製造しているといっても過言ではない。携帯電話にしても、今年以上に多くの台数を来年つくる必要はなくなっている。また、テクノロジーが進歩したおかげで電子機器の生産台数が増えたわけでもない──手元にあるものをうまく活かすことが下手なだけだ。使われなくなった携帯電話が抽出の奥で眠っている、といったことはおそらくどの家庭でもあることだろう。その携帯電話で、ほかの誰かが助かる可能性もあるのに、である。

捨てられた携帯電話の山
理想的な世界では、誰かが使わなくなった電子機器は、専門家が修理して使える状態に戻し、別のユーザーのもとに渡っていくことになる──iFixitはそうしたエコシステムの一部である。修理の方法に加えて、コンピュータの買い取りや部品の再販も手がけている。私はかつて、手書きのメモが付されたコンピュータを受け取ったことがある。そのメモには次のような言葉が書かれていた。



「さよならiBook。たくさんのコンピュータとなって生まれ変われますように(”Goodbye, iBook. In your death, may you give life to a dozen more computers.”)」

この記事の詳細は、こちらから Wired


【私の論評】はじめてタワー型のパソコンを購入してみて理解できたこれらの提言!

私が、生まれてはじめていじったパソコン、シャープMZ-2000、記憶装置はカセットだった
私が、パソコンというものはじめて、いじったのは、いわゆるディスプレイ一体型といわれるもので、ディスプレイとパソコン本体とキーボードが一体となったものを購入しました。その次に自分ではじめて購入したのが、やはり、ディスプレイとパソコン本体が一体になったものでした。キーボードだけは、分離されていました。

左私が昔購入したパソコンPC98CV21,右は、マッキントッシュ

その後購入したものは、数台になりますが、すべてノートパソコンでした。そうして、一昨年iPadを購入しました。そうして、昨年暮れ近くに、ノートパソコンがハードディスクが、クラッシュしてしまいました。このノートパソコンは、良く、使わなくなったテレビにつなぎ、USBキーボードをつないで、使うこともありました。こうすることにより、デスクトップのようにして自宅で使っていました。

私が最後に購入したノートパソコン、購入してから、2年と数カ月でハードディスクがクラッシュした
外出するときは、iPadを持って出かけるという感じでした。iPadを購入する前は、ノートパソコンを持って外出していましたが、iPadを購入してからは、もっぱらiPadを持って外出するようになりました。無論そのときには、wifiルーターも携行していました。

購入した初代iPad

さて、上にも書いたように、昨年暮近くに、ノートパソコンのハードディスクがクラッシュしてしまったのですが、その当時から、あまりハードディクスにデータを溜め込まないようにしていたので、あまり実害はなかったのですが、ITunesで購入した、音楽は、あきらめざるを得ませんでした。これは、200曲以上もあったので、ショックが大きかったですが、半分近くは、DVDにとってあったので、それだは、何とかなりました。
現在使用しているwifiルーター、Uread-8000
そんなことがあったのですが、普通なら、ここで、ノートパソコンを買い換えるのですが、とりあえず、iPadがあったので、それを使っていました。しかし、ブログの更新などには、ソフトキーボードだけでは、さすがに入力が遅くなるので、結局お正月に、アップルの純正キーボードがアップルストアで普段よりも、安く売っていたので、これを購入し、しばらく、iPadをノートパソコンのようにして使っていました。

しかし、やはり、パソコンがないと、不便なこともあるので、いずれ購入しようと、いろいろと見てはいましたが、 IPadでほとんど用が足りていたので、安いものがあれば、という感覚で、じっくり探していました。そうして、ある日、価格コムをみていたら、何とeマシンというメーカー(実体は、Asus)が、タワー型の小さめのものを2万4900円で販売しているではありませんか。
最近購入した、emachainesのタワー型パソコン
内容としては、AMDのCPUで、デュアルプロセッサーであり、3.2GHzであり、ハードディスクは、500G、そのかわり、ディスプレイも、キーボードもついておらずというもので、外部スピーカーは、ついているというものでした。OSは、Windows7で32ビット版で、メモリは、2Gという代物でした。そうして、なぜか、ゲーム用の、グラフィク・アクセサレーターはついているというものでした。

価格コムでみていたら、8ギガにメモリを換装して、OSもwindows7の64ビット版に入れ替えて使っている人の記事も掲載されていたので、これは、テレビをディスプレイに使えるし、それに、USBキーボードもあることから、これを購入すれば、すぐに使えると思い、いずれ、このように換装しても良いだろうと考え、購入してしまいました。それから、このパソコン無線LANには、対応していなかったので、無線LAN用のUSB端子(amazonで数百円)もついでに購入しました。

購入した無線LANの端子(右)。左は1円玉。すぐにインターネットにつながった
そうして、実は、購入直後は、もっと考えてから購入すれば、良かったとも考え後悔していたのですが、いざ、パソコンが届けられ実際今自宅で使用していますが、使いはじめてから、全く後悔していません。32ピット版で、メモリが2Gしかないのですが、アクセラレータがついているせいでしょうか、何と、かなり高性能なパソコンでないとできないような、バトル系のオンラインゲームもできるではありませんか。そんなところから、購入直後の後悔はふっとんでしまいました。

現在使用しているiPhone3GS。iPhoneは、OSが新しいのになったら、買い換え
ようと思っていましたが、iOS6も使えるようなので、しばらく使うことになりそうです。

そうして、いずれ、windows8が登場してきたら、メモリを8ギガに増やし、64ビット版のものにしようと考えています。このようなことをしても、メモリは、今なら数千円にすぎません。

さて、ここまで、いろいろと書いてきましたが、一見上の記事と関連がないようにも見えるでしょうが、私は、多いに関係があるとおもいます。従来は、ノートパソコンばかり使ってきましたが、これは、メモリは入れ替えることができ、実際に入れ替えて使っていたこともあります。しかし、ハードディスクは入れ替えができるようですが、私自身は、取り替えたことはありません。


しかし、iPadを購入して以来、ノートパソコンの必要性がなくなったため、はじめて、タワー型のパソコンなるものを購入してから、考えが変わりました。今後、私は、ノートパソコンは購入しないことでしょう。もう、タブレットがあれば、特にノートパソコンは不要ですし、それに、今回タワー型を初めて購入して、いろいろいじってみて、タワー型の良さが良く理解できました。

メモリも、CPUも、ハードディスクも、アクセラレーターも自分で交換できます。であれば、故障したときなど、上記の記事にもあるように自分で直すことができるわけです。それに、古くなれば、新たに、部品を購入してきて、新たなものにすることができるわけです。



いまさらながら、自分が、ノートパソコンにこだわっていたのか、不思議に思えてきます。それにしても、Apple製品は、iPadも、iPhoneも、電池すら自分で交換できません。これは、やはり、かなり不便だし、不経済です。

こういうことを考えると、やはり、上の記事のアップルへの3つの提言、社会のことを考えれば正しいような気がします。そうして、この社会という言葉は、あのスティーブ・ジョブズの言葉である、「社会にone more thingを付け加えよ!!}という言葉を思い出します。ジョブズ氏が、生きておられたら、この3つの提言をどう受け止めることでしょうか?興味のつきないところです。

そうして、この3つの提言。考えてみると、このブログにも掲載した、アメリカでは随分前から顕著になっており、日本でも顕著になってきた、あのスペンド・シフトという消費動向にかなりフイットしていると思います。

スペンド・シフトとは、以下のような消費の動向です。

1.自分を飾るより ⇒ 自分を賢くするためにお金を使う。 
2.ただ安く買うより ⇒ 地域が潤うようにお金を使う。 
3.モノを手に入れるより ⇒ 絆を強めるためにお金を使う。 
4.有名企業でなくても ⇒ 信頼できる企業から買う。 
5.消費するだけでなく ⇒ 自ら創造する人になる。

JOHN GERZEMA: LIQUID LIVING AND MODULAR
 HOMES 住まいで、スペンド・シフトを牽引する女性
さて、上のスペンド・シフトに関して、上の提言と、私が購入したタワー型パソコン等との対比など試みたいと思います。

まずは、Appleの製品は、ステータス・シンボルであり、これを持っているだけで、カッコいいと思えます。確かに、格好が良いです。しかし、今回タワー型のパソコンを購入して、その価格がとてつもなく安いことと、さらに、自分で部品を購入してきて、いろいろと、作り変えることができることを知り。より、自分が賢くなったように思います。

そうして、2番目は、残念ながら、地域が潤うようにお金をつかうということには、なっていません。今回の場合、地域ではなく、Asusという台湾の企業が潤うことになります。

3番目の、絆を深めるということにも繋がってはいません。

4番目の、有名企業でなくても、信頼できる企業から買うというのは、あたっているかもしれません。Asusは最近、結構有名になりましたが、このタワー型パソコンは、emachinesというブランドで販売されていて、有名ではありません。今回使ってみて、信頼できるものであれば、これはあたりということになります。


消費するだけではなく、自ら創造する人になるというのは、私自身は、パソコンや、iPadを用いて、ブログを創作するなどの行動を起こしていますから、創造する人の部類になっていると思います。そうして、タワー型のパソコンを使ってみて、これから、いろいろいろ、部品を購入してきて、パソコンの構成を変えるようになれば、こちらの面でも、創造する人になれるのではないかと思います。


YouTubeでも、有名な英語教師のセクシーブロガー
さて、こうした消費動向が興隆している最中であれば、確かに、上の3つの提言も、かなりフイットすると思います。いまのところ、確かに、アップルは、イノベーションで、独走状態ですが、将来的には、そうとばかりは言っておられなくなるかもしれません。


他社が比較的安いタブレットで、修理しやすいとか、さらに、いろいろ部品を買い換えれば、発展させていくようなものを開発し、しかも、それが、地域の親しい人によって、販売されていて、個々人のニーズを良く知り抜いており、いろいろ、部品に対してアドバイスしてくれるような店ができたとしたら、上の消費トレンドにピッタリであり、今後かなり伸びていくかもしれません。

皆さんは、どうお考えになりますか?

2012年3月21日水曜日

自分の死後にメッセージを投稿! もしもの時に備える無料Facebookアプリ『if i die』 #myspi: −【私の論評】ジョブズも提唱していたようにSNSでも死を意識する生き方を?

自分の死後にメッセージを投稿! もしもの時に備える無料Facebookアプリ『if i die』 #myspi:



マイスピより:SNSを使って自分の生活を記録したり、友人と交流したりすることがすっかり定着しつつある今日このごろ。 特にFacebookでは、去年から自分年表として投稿や写真を記録できる「タイムライン」機能がスタートし、毎日の行動や思考の記録として活用している人も多いようです。こうした中で最近話題となっているのが、自分が他界した時のウェブページの「終え方」。

例えば『if i die』という生前に登録しておいたメッセージを自分の死後にアップすることができるFacebookの無料アプリ。

Facebookを利用している家族や友人3人を管理者としてあらかじめアプリに設定しておき、その3人全員が自分の死に同意すると、生前に作成しておいたメッセージを自分のウォールに自動投稿できるという仕組みになっています。

メッセージの種類はテキストと動画の2種類。現在は、テキストと動画のどちらか1種類に1メッセージを登録できます。

登録したメッセージの種類や内容はいつでも修正が可能。今後は複数のメッセージを登録・投稿できるサービスも検討しているとのことです。

健康に生きている時は自分の命がいつか果てるということをイメージしにくいものです。それでも、人はいつかこの世を去ります。その時あなたはこれまで関わってきた人たちにどんなメッセージを伝えたいですか?

自分のエンディングメッセージを準備してみることで、毎日どんな生き方がしたいか考えるためのきっかけを得られるかもしれませんね。

【私の論評】ジョブズも提唱していたようにSNSでも死を意識する生き方を?

インターネットや、サイト、ブログましてや、SNSなどまだまだ、新しいです。そのためでしょうか、サイトをみていても、あまり、そこに亡くなった方のメッセージなどみることは少ないです。とは、いいながら、少数ながらはあります。

たとえば、最近ではハンドルネーム「花うさぎ」さんという方が昨年お亡くなりになりました。このかたは、長年「花うさぎ 世界は腹黒い」というブログを運営されていましたが昨年の暮れにお亡くなりになりました。そのブログの画像が下の写真です。



花うさぎさんの、晩年に書かれたブログの一番左のコラムには、下記のような文章が掲載されていました。(下の写真は、在りし日の花うさぎさん)

日本よ 
陽はまた昇る 

祖国日本を防衛するために
陸 海 空に散華された方々に
私たちは誇りと 叡知を此の胸に抱き 
凛として愛を 捧げる
それがあって 初めて
日本の 新しい時代が始まる


私自身も、このブログはいく度となく、読ませていただき、確かいかくか、コメントさせていただいたこともあると記憶しています。このブログは、花うさぎさんが亡くなっても、まだ、ネット上に存在しています。ご本人が他界してしまってからは、さすがに、日々更新されることないですが、それでも、ご遺族の方により、葬儀の模様が掲載さたり、ごく最近も更新され、新しい写真が掲載されていたりします。そうして、この記事には、159ものコメントが寄せられていました。


ご本人が亡くなってからも、参照されている方もまだまだ、たくさんいらっしゃるようです。ご本人が亡くなったあとでも、そのまま残り、いまでもこのように参照する人が跡を絶たないとのは、すごいことだと思います。

私は、Blogなど、管理人が亡くなったあとでも、誰かそのアカウントを引き継げばそのまま存続できるのかどうかは、知りません。しかし、花うさぎさんのブログが存続されているところをみると、できるのではあるは、思います。



ただし、先に述べたように、またブログやSNSなど、新しいですから、はっきりした決まりなどまだないのかもしれません。しかし、できれば、これらは、本人が亡くなったあとでも、一定の条件を満たせば、残して欲しいものだと思います。そうなれば、亡くなった方のブログやSNSを訪れることが、故人に対しての供養になるばかりではなく、このようなものが、多く残されれば、後年には、歴史的にも貴重な資料となるのではないかと思います。(上は、facebookの画像、下は、ブログの画像、こうした若い時分の姿を、SNSやブログに掲載しておけば、自分の思い出になるし、また、ファッションなどの歴史的資料にもなるだろう)



そうして、上のような"If I die"のようなサービスがあれば、さらに良いと思います。これから、ブログやSNSを利用する方も、時が流れるにつれて、亡くなっていく方がかなり増えていくことが予測されます。 生前のブログだけではなく、ご当人が、亡くなった後のことを考えで残すメッセージなど残せたら素晴らしいことと思います。

花うさぎさんは、セレブではなく、ごく一般的な人でした。その彼か丹念に情報集め、日々ブログにそれを掲載してきたことにより、多くの人に知られるようになりました。そうして、亡くなった後でも、彼のブログは今でも多くの人に閲覧され、新たなコメントも多数寄せられています。もし、ブログというものがこの世に存在しなかったら、このようなことはなかったでしょう。花うさぎさんが、集めた情報や、それをまとめな内容など誰の目にも触れず、永遠に埋れてしまったかもしれません。

そうして、亡くなった方のブログやSNSなどが、当人が亡くなった後でも残しておくということは、価値あることだと思います。それによって、多くの人が、限りある生命ということに気づくことのきっかけを提供することになると思います。


上の記事にでは、「 自分のエンディングメッセージを準備してみることで、毎日どんな生き方がしたいか考えるためのきっかけを得られるかもしれませんね」と掲載されていました。しかし、「死を意識した生き方」には、それ以上の大きな意味と、意義があります。それは、このブログにも以前紹介した、スティーブ・ジョブズの伝説のスピーチといわれる、スタンフォード大でのスピーチにも盛り込まれています。詳細は、以下の動画をご覧になってください。


この中で、彼は、「死を意識する行き方」について、語っています。それは、決してネガティブな行き方ではなく、死を意識するからこそ、日々を積極的に生きて行こうというものです。これは、以前このブログでも紹介しましたが、日本に古くから伝わる武士道精神にも相通じるところがあります。まさしく、「武士道とは死ぬことと見つけたり」というのと同じことです。

SNSやブログで、亡くなった方のものも残しておくということは、多くの人々にこうした、「死を意識した行き方」を意識させるきっかけになるかもしれません。

このブログでも以前紹介したように、facebookには、Timelineという機能がつくようになりました。これは、いずれすべてのものが、このような表示になるようです。であれば、私は、亡くなった方のストリームなどそのまま残し、さらに、Timelineには、誕生日はもとより、命日を入れるようにすると良いと思います。(下はTimeline表示になったfacebookの画面、画面右上はタイムスケール)


このように、亡くなった方のSNSのストリームや、 blogの記事が、timelineつきで、しかも、本人の生前に残したメッセージもそのまま掲載されるようになれば、すごいことになると思います。たとえば、戦前戦後にかけてのこのような多くの記録が残されており、しかも、誰でも閲覧できるようになっていたとしたら、いわゆる、自虐的歴史観など、はびこる余地がなくなっていたと思います。

河村市長が語っていたように、南京虐殺など、なかったことも明らかになります。それに、日本が決して侵略戦争をしたわけではないこと、また、戦争に突入したのも、やむにやまれずにそうしたことなどが、誰にはっきりと理解できるようになると思います。マッカーサーが公聴会で証言したように、「日本の戦争は、防衛戦争だった」ということが誰にでも実感できていたかもしれません。

そんなことから、皆さんもfacebookやブログなど、自分自身が亡くなった後にも残せるという前提で考えてみると、また違った観点から、読んだり、書き込んだりできるようになるかもしれません。今までは、一般人ではなかなかできなかった、日々歴史的を紡いでいっているという感覚になるかもしれません。それから、自分は過去の歴史から続いており、これからも、悠久の歴史の中に連綿として続いていけるのだという実感を味わえるかもしれません。SNSやブログを提供している企業も、その使命の一つとして、歴史を紡いでいくということも含めていただきたいと思います。先の、「花うさぎ」さんのブログは、このような背景から、これからも貴重な歴史的資料として悠久の歴史の中で燦然と輝き続けることでしょう。

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