2017年9月15日金曜日

山尾氏、男女関係ウソばれた!文春第2砲で「証拠」写真 「1人で宿泊」「政策の打ち合わせ」に反論―【私の論評】組織人は真摯さの欠如と、そのような人物を選ぶマネジメントだけは許さない(゚д゚)!

山尾氏、男女関係ウソばれた!文春第2砲で「証拠」写真 「1人で宿泊」「政策の打ち合わせ」に反論

山尾氏は「ホテルに1人で泊まった」と主張したが…
9歳下の妻子ある弁護士との「禁断愛」が週刊文春に報じられ、民進党を離党した山尾志桜里衆院議員(43)に新たな打撃となるのは確実だ。「ホテルには1人で宿泊」「男女関係はなく、政策立案などの打ち合わせや作業」という釈明に、14日発売の同誌で詳細な反論記事が掲載されたのだ。発言の信憑(しんぴょう)性に疑問が生じる事態で、法曹関係者は「政治家としても資質を問われることになる」と指摘する。

 同誌の先週号では、山尾氏と倉持麟太郎弁護士(34)が9月2日夜、東京都品川区のホテルに時間差で入る様子を写真付きで掲載。お互いに配偶者も子供もいる立場ながら、週に4回密会を重ねていたとも報じられた。

 「保育園落ちた日本死ね」というブログを国会で取り上げて注目され、自民党議員の不倫についても鋭く批判していた山尾氏だけに、「W不倫」を疑われる報道のショックは大きかった。ただ、山尾氏は離党した一方、「ホテルには私1人で宿泊した」と明言、「男女関係はなく、政策立案などの打ち合わせと作業だった」と釈明した。

 報道を否定された形の文春は今週号で第2弾を投じた。品川のホテル36階のエレベーターホールに姿を見せた倉持氏が、ある部屋の前に立ち、《内側から静かにドアが開かれると、倉持氏は中へと静かに足を踏み入れた》として、その瞬間の写真も掲載。そして、《この20分前には山尾志桜里衆院議員がチェックインを済ませ、一足早く入室していた》としたのだ。

9月2日夜山尾氏が宿泊したとされるダブルルーム
 部屋はダブルルームで、スペースの大半をダブルベッドが占め、背もたれのある椅子は一脚しかなく、《とても「政策立案や質問作成などの打ち合わせ」ができるとは思えない》と皮肉たっぷりに記している。そして《2人が翌朝5時までホテルに滞在していたことを確認している》とダメ押しした。

 男女問題に詳しい弁護士の高橋裕樹氏は、「倉持氏は自分のスーツケースを持って山尾氏のもとへ向かっているようだ。部屋を別にとってあるなら一度、荷物を置いてくるはずだ。性行為があったかどうかは当人同士にしか分からないが、部屋は事実上ラブホテルと同じような構造であり、ここで『政策立案』していたという説明はかなり苦しくなった」と指摘する。

 高橋氏は「証拠を小出しにされたことで、山尾氏はほころびをみせた。裁判に限ったことではないが、一度言ったことは簡単には撤回できない。政治家としても資質を問われることになるのではないか」と話している。

 山尾氏は7日の記者会見以降、14日朝の時点で公の場に姿を見せず、ブログやツイッターも更新していない。「説明責任」はどこへ行ったのか。

【私の論評】組織人は真摯さの欠如と、そのような人物を選ぶマネジメントだけは許さない(゚д゚)!

ブログ冒頭の記事で、弁護士の高橋氏は、山尾氏のことを政治家としても資質を問われるのではないかということを主張しています。政治の世界は複雑で、さらには外からはうかがい知れないことも多数あります。しかし、そのようなことに惑わされずに、今回はこの問題をマネジメントの観点から分析してみます。では、政治家としての資質とは一体何なのでしょう。嘘をつかないということでしょうか。


そのような単純なものではないと思います。以下にいわゆる組織人としての資質について以下に経営学の大家である、ドラッカー氏の考えを掲載します。
日頃言っていることを昇格人事に反映させなければ、 優れた組織をつくることはできない。 本気なことを示す決定打は、人事において、 断固、人格的な真摯さを評価することである。 なぜなら、リーダシップが発揮されるのは、 人格においてだからである。(『現代の経営』[上])
ドラッカーによれば、人間のすばらしさは、 強みと弱みを含め、多様性にあります。 同時に、組織のすばらしさは、その多様な人間一人ひとりの強みを フルに発揮させ、弱みを意味のないものにすることにあるといいます。

だから、ドラッカー氏は、弱みは気にしません。 山あれば谷あり。むしろ、まん丸の人間には魅力を感じないようです。 ところが、ひとつだけ気にせざるをえない弱みというものがあるようです。 それが真摯さの欠如です。 真摯さが欠如した者だけは高い地位につけてはならないといいくます。 ドラッカーは、この点に関しては恐ろしく具体的です。
人の強みでなく、弱みに焦点を合わせる者をマネジメントの地位につけてはならない。 人のできることはなにも見ず、できないことはすべて知っているという者は 組織の文化を損なう。 何が正しいかよりも、誰が正しいかに関心を持つ者も昇格させてはならない。 仕事よりも人を問題にすることは堕落である。
真摯さよりも、頭脳を重視する者を昇進させてはならない。そのような者は未熟である。 有能な部下を恐れる者を昇進させてもならない。そのような者は弱い。 
仕事に高い基準を設けない者も昇進させてはならない。 仕事や能力に対する侮りの風潮を招く。 
判断力が不足していても、害をもたらさないことはある。しかし、真摯さに欠けていたのでは、いかに知識があり、 才気があり、仕事ができようとも、組織を腐敗させ、業績を低下させる。 真摯さは習得できない。仕事についたときにもっていなければ、 あとで身につけることはできない。 真摯さはごまかしがきかない。 一緒に働けば、その者が真摯であるかどうかは数週間でわかる。 部下たちは、無能、無知、頼りなさ、無作法など、 ほとんどのことは許す。しかし、真摯さの欠如だけは許さない。 そして、そのような者を選ぶマネジメントを許さない。(『現代の経営』[上])
この"真摯さ"というキーワドに関しては、ドラッカーの書籍を読み始めた頃から疑問に感じていました。

真摯という言葉をヤフーの辞書検索(大辞林)で調べると、「まじめで熱心なこと」と出てきました。よく「皆様のお言葉を真摯に受け止め……」という言い方をしますので、「まじめ」とか「純粋」とか、そういう意味かなと前々から思っていました。 ドラッカーの言う「真摯さ」とは、どういうものなのでしょう。

この真摯さとは英語のどの言葉を訳しているかが気になって、ドラッカーの英語の原書をみてみました。その結果、「integrity」という単語が「真摯さ」と訳されていることが分かりました。 
"They may forgive a person for a great deal: incompetence, ignorance, insecurity, or bad manners. But they will not forgive a lack of integrity in that person.(無知や無能、態度の悪さや頼りなさには、寛大たりうる。だが、真摯さの欠如は許さない)"
integrityをヤフーの辞書(プログレッシブ英和中辞典)で調べると、「正直、誠実、高潔、廉直」という、やはりそうかといった訳が出てきました。英和ではなく、英英辞書(Longman)で調べたところ、以下のような説明が出てきました。
"the quality of being honest and strong about what you believe to be right"(あなたが「正しい」と信じていることに関する正直さと強さの質)
つまり、integrityとは、「正直さ」や「誠実さ」が一貫している、という意味なのではないかと思います。

これだけ重要なintegrityとは何なのでしょうか。ドラッカー氏でさえ「定義が難しい」と自身の書籍で書いています。ただしドラッカー氏は「真摯さの欠如は、定義が難しいということはない」とも書いています。ドラッカーが『現代の経営』で挙げている、integrityが欠如した人の例は以下の通りです。
・人の強みではなく、弱みに焦点を合わせる者
・冷笑家
・「何が正しいか」よりも、「だれが正しいか」に関心をもつ者
・人格よりも頭脳を重視する者
・有能な部下を恐れる者
・自らの仕事に高い基準を定めない者
米国企業の経営方針や社員が持つべき価値観を示した文書を読んでいると、integrityが実に頻繁に出て来ます。ある経営者を“He was known particularly for his integrity”と称したら、これは最高の誉めことばになるようです。

経営手腕があり、しかも清廉潔白な経営トップがいれば素晴らしいことですが、なかなかそうはいかないようです。斬新な戦略を立案して遂行する力は十二分だが、叩くと少々ほこりが出る経営者と、身綺麗で家庭円満だが何も決められない経営者がいたとしたら、上半身を比較し、前者に軍配を上げ、後者に無能の烙印を押すことになります。

結局、「一貫した正直さと誠実さ」とを持って組織に貢献することが「真摯さ」なのだと思います。

この"真摯さ"の欠けている人間は確かに問題です。民進党という組織の中で、そうして、政治家として、この観点から、山尾志桜里氏はどうだったのでしょうか。

私自身は、確かに不倫は良いことではありませんが、それは家庭人や社会人として良くないことであると思います。

はっきりいえば、組織の中の組織人として、あるいは政治家として、不倫をするしないということは、"真摯さ"に欠る欠けないかということとは直接関係はないと思います。

しかし、ブログ冒頭の記事にもあるように、たとえ組織に直接関係はなく個人のことであったにしても一度言ったこと、それも記者会見などの公の場で言ったことは簡単には撤回できません。結局山尾氏は記者会見で嘘を言ったと思われても仕方ありません。これは、明らかに"真摯さ"に欠ける行為だといえると思います。

むしろ記者会見では、男女の関係を認めた上で、謝罪するべきところは謝罪すべきでした。そのほうかよほど政治家として"真摯さ"を多くの人々に訴求できたと思います。

ドラッカーの主張するように、"部下たちは、無能、無知、頼りなさ、無作法など、 ほとんどのことは許す。しかし、真摯さの欠如だけは許さない。 そして、そのような者を選ぶマネジメントを許さない"のです。だからこそ、この事件をきっかけに、民進党を離党す人たちがでてきたのです。

そうして、山尾氏は7日の記者会見以降、現在まで公の場に姿を見せず、ブログやツイッターも更新していません。明らかに嘘と思われる発言に対して未だ「説明責任」を果たしていいませんしこれから果たすという様子もありません。

山尾氏はいわゆる「保育園落ちた、日本死ね」と書かれた主婦のブログを国会でとりあげ、一躍有名になりました。そうして、山尾氏はこのことで、安倍政権を舌鋒鋭く批判しました。山尾氏の政治家としての仕事といえば、いままでのところは、目立ったものはこれだけだと思います。

しかし、この行動は"真摯"なものといえるでしょうか。私はにとても、そうとは思えません。

これについては、以前このブログにも掲載したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
【流行語大賞トップ10】俵万智さん「『死ね』が世の中動かした」「こんな言葉を使わなくて良い社会に」―【私の論評】「日本死ね」を正当化する人々には「日本から出て行け」と言いたい(゚д゚)!
俵万智
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、この記事の結論部分のみ以下に掲載します。
国会での審議など、多くの国民の規範にもなるべきものと思います。そんなところで、平気で「死ね」などという言葉を審議過程で用いられ、あまつさえ流行語大賞になってしまえば、小学校などでも、「死ね」「殺す」が当たり前になってしまうのではないでしょうか。 
そうして、「死ね」「殺す」よりはまだましであると思われるような、「菌」などという言葉、何のてらいもなく大声で話される言葉になってしまいかねません。

国会議員、マスコミなどが、どんな文脈であれ、このような言葉を平気で使う日本社会は狂っているとしか思えません。
「死ね」などという言葉横行する組織は、学校であれ企業であれ、「いじめ」が横行しかねない 
国会議員や、マスコミなどが駄目なら、少なくとも私たちの日々過ごす組織の中では、こういうことは禁忌とすべきと思います。というより、国会議員やマスコミが狂っていても、日本の多くの組織の中では、このようなことは元々禁忌となっていると思います。だから、国会議員やマスコミが狂っていても、日本の社会は安定しているのです。 
組織の中では、禁忌とされることをしでかしてしまったものは、たとえ一見それが正しいことのために行われたようにみえても、いずれ懲罰を受けます。いつまでたっても、出世しないとか、給料が上がらないとか、禁忌を破った直後か、そうではなくとも、何年かたったあと左遷されたり、減給されたり、降格されたりします。そのとき、はじめて禁忌を破ったことの重大性に気づく愚か者も存在します。最近では、気づかいない人もいるです。しかし、これは組織の秩序を保つため当然のことです。 
国会議員やマスコミなども、今のままでは、さらに増長しとんでもないことになってしまいかねません。山尾志桜里のような議員には、選挙では票を入れないことです。マスコミは新聞・テレビなどの購読や視聴をやめることです。
とにかく、この狂った社会風潮は何十年かけてでも、是正すべきです。
「日本死ね」などというブログの内容を国会で平気で審議の過程で用いる議員など、とても"真摯"であるとは私には思えません。これは、まさに真摯さに欠ける行為であり"人の強みではなく、弱みに焦点を合わせる者"、"「何が正しいか」よりも、「だれが正しいか」に関心をもつ者"の所業といわれても仕方ないと思います。

そうして、民進党そのものが、政策論争(何が正しいか)ではなく、安倍政権や安倍総理個人を貶めること(誰が正しいか)を重視しているという点で、まさに「真摯さ」に欠けます。

今回の山尾氏の騒動に関しては、山尾氏の不倫問題ばかりがクローズアップされていますが、私はそれ自体はさして重要なことではないと思います。

それより重要なことは、もともと「真摯さ」に欠けた山尾氏を幹事長にしようとする人事が、さすがに民進党内部でも不興を招いたことだと思います。

まさに、「 部下たちは、無能、無知、頼りなさ、無作法など、 ほとんどのことは許す。しかし、真摯さの欠如だけは許さない。 そして、そのような者を選ぶマネジメントを許さない」のです。

それと、他人を不倫を厳しく批判しながら、自分もひそかに同じことをやる「ダブルスタンダードの偽善」も"真摯さの欠如"であることは言うまでもありません。

国民は、政治家の「真摯さの欠如」だけは許さないのです。

これは、政治の世界だけではなく、あらゆる組織にあてはまる原理であることを肝に銘じるべきです。

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