2016年10月8日土曜日

新聞テレビが絶対に報道しない「自分たちのスーパー既得権」―【私の論評】次世代のメディアの主役は新聞・テレビでないことだけは確か(゚д゚)!

新聞テレビが絶対に報道しない「自分たちのスーパー既得権」

だから日本の報道は「左巻き」になる
髙橋 洋一
 

東陶の新聞紙風トイレットペーパー。最近は便所紙にしかならないような新聞が増えてきた?

本サイトで連載中の高橋洋一・嘉悦大学教授が、このたび『これが世界と日本経済の真実だ』を上梓した。アメリカ大統領選挙やアベノミクス、さらには安全保障、格差社会、原発問題といった世界と日本の政治経済のニュースについて、お馴染みの高橋節が炸裂している。

本書の最大のテーマのひとつが、日本の報道はなぜ「左巻き(左派)」になってしまうのか、ということだ。今回、刊行を記念して、日本のメデイアの問題点を指摘したパートを特別公開!

 「日刊新聞紙法」をご存じか?

「左巻き」の人々は、どうしてウソのニュースを報道したり、間違った知識で議論をしてしまうのだろうか。

メディア関係者や、公務員、教員、大学教授などはそれぞれマスコミ、役所、学校、大学という既得権にまみれた環境に安住している。日々厳しいビジネスの世界で緊張感ある働き方をしていれば、どうやって儲けて、いかに生きていこうか必死になるはずだが、そういった切迫した危機感がない状況だから、左巻きの考え方をしていても平気でいられるのだ。

マスコミの中でも、新聞はとくに左巻きがのさばっているメディアだ。そうして的はずれな記事を平然と報道している。

新聞の報道が嘘八百になる原因が4つある。まずは、日刊新聞紙法という法律だ。もう1つは再販規制。そして3番目は最近新たに生まれた軽減税率だ。この3つで新聞はすべて守られている。

それにプラスして、これは実体の話だが、新聞社屋のための国有地の売却という問題が絡んでくる。日本の新聞社の多くが、総務省から国有地を安く払い下げてもらって、社屋をそこに建設している。ある種の優遇措置を受けてきたと言っていい。大手町や築地、竹橋などの一等地に新聞社が立ち並んでいるのには、そのような理由があるのだ。

ここから、新聞を既得権まみれとしている法律について見ていこう。

まず日刊新聞紙法というのはどういう法律か。すごく変わっている法律で、実は世界にこんな法律は日本にしかない。ポイントは、新聞社は全国紙のすべてが株式会社で、地方紙も株式会社が多いのだが、その「株主が誰か」ということだ。

商法の大原則だが、株式というのは譲渡制限がない。これは株式会社の株式会社たるゆえんと言える。譲渡制限がないからどんな時にもオーナーが代わり得る。この「オーナーが代わり得る」ということが重要だ。

要するにオーナーはのうのうと安住できないということだ。そうすることで会社の緊張感が保たれ、きちんとした経営をするということになる。

しかし新聞社の株式は、日刊新聞紙法によってなんと譲渡制限が設けられているのだ。

制限があるとどうなるか。

たとえば朝日新聞を例にとってみよう。朝日新聞は、村山家と上野家が代々ずっとオーナーとして存在する企業だ。株式の譲渡が制限されているのだからオーナーが代わることがない。このように完全に経営者が代わらないと、オーナーがどんな意見を言うか言わないかで、経営方針をはじめとする会社のすべてのことが決まってしまう。

ただし、新聞社のオーナーは現場に意見を言わないケースがほとんどだ。するとどうなるかというと、現場の社長が経営のすべてを握ってしまう。そうして、絶対にクビにならない社長になるというわけだ。

もう1つの例として、読売新聞を見てみよう。渡邉恒雄代表取締役兼主筆がなぜ、あれだけの権力を持ち続けられるか考えてみて欲しい。読売は従業員持ち株会もあるのだが、結局会社はオーナーのものだ。

 そして新聞社が「既得権益集団」になる

株式が譲渡されない安泰な経営のなかで、オーナーが口出しをすることがないので経営陣にはなんのプレッシャーもかからない。そうして経営トップが大きな顔し続けることになる。

日経新聞などは企業の不祥事を追求する記事で「コーポレートガバナンスが重要」とよく書いているが、自分の会社が一番コーポレートガバナンスが利かないのだ。なぜなら、株式の譲渡制限があるからだ。それではガバナンスなど効きようがない。

新聞社の株式が譲渡されないということは、つまり絶対に買収されない仕組みになっているということだ。さらに、その新聞社がテレビ局の株を持つ。朝日新聞ならテレビ朝日、読売新聞は日本テレビといった具合だ。そうすると、テレビも新聞社と同じようにまったくガバナンスが利かなくなる。

そうして新聞社を頂点として構成されたメディアは、既得権の塊になってしまう。

以上のような仕組みになっているため、一度新聞社の経営陣に加わってしまえば絶対安泰だ。クビになることはまずない。これは、他の業界では絶対にあり得ない既得権を守る規制なのだ。

新聞紙風デザインのビキ二

 一番ガバナンスがないのは、新聞社だった

世界基準で見てもこの日本のメディア構造は異常である。普通の国ではメディアも普通に買収される。経営者が代わることもあるので、これが会社としてメディアとしての緊張感につながるのだ。

たとえば2015年の11月に、日経新聞が米フィナンシャル・タイムズを買収したことは記憶に新しい。日経新聞が、米フィナンシャル・タイムズの親会社だった英ピアソンから株式を買収して自らのグループに組み込んだのだが、これはごく普通の企業買収と言える。しかし、日経新聞のほうは株式が譲渡できないから、決して買収されない仕組みになっている。

そんなものは商法違反でないか、と憤る人もいるかもしれない。この状態を商法の適用除外にしているのが「日刊新聞紙法」なのだ。

日刊新聞紙法はすごく短い法律で、正式には「日刊新聞紙の発行を目的とする株式会社の株式の譲渡の制限等に関する法律」という。名前に書いてあることがこの法律のすべてで、「株式は譲渡されない」ということしか書いていない。新聞の既得権の最大のものと言っていい。

普通に働いている人たちには馴染みがないが、新聞社に務める人間ならみんな知っている法律だ。

しかし、新聞社の人間でこのことを堂々と記事で書く人間はいない。新聞は企業の不祥事があった時に「コーポレートガバナンスができていない」「社内制度が悪い」などと書き連ねるが、一番ガバナンスができていないはその新聞社なのだ。記者も、それが分かっているから日刊新聞紙法について恥ずかしくて書けないのだろう。

この法律が、新聞社を堕落させていることに、記者も早く気がつくべきだ。自分だけ安泰な身分では、他者に厳しいことがいえるはずない。自分には甘く他者に厳しいのはありえない。言論で勝負する人は、やせ我慢が必要なのだ。

 テレビ局も既得権の塊

ここでテレビ局に話題を移したい。新聞社が子会社のテレビ局を支配しているという構造的な問題は、前段で触れたとおり。さらに、そのテレビ局が既得権化している理由は、地上波放送事業への新規参入が実質的に不可能になっていることにある。

総務省の認可を受けた場合にしかテレビ放送事業はできない。「放送法」によって免許制度になっているわけだが、このことがテレビ局を既得権まみれにしている最大の原因だ。

はっきり言おう。「電波オークション」をやらないことが、テレビの問題なのだ。電波オークションとは、電波の周波数帯の利用権を競争入札にかけることだ。

日本では電波オークションが行われないために、電波の権利のほとんどを、既存のメディアが取ってしまっている。たとえば、地上波のテレビ局が、CS放送でもBS放送でも3つも4つチャンネルを持ってしまっているのもそのためだ。

電波オークションをしないために利権がそのままになり、テレビ局はその恩典に与っている。テレビ局は「電波利用料を取られている」と主張するのだが、その額は数十億円程度といったところだ。もしオークションにかければ、現在のテレビ局が支払うべき電波利用料は2000億円から3000億円は下らないだろう。現在のテレビ局は、100分の1、数十分の1の費用で特権を手にしているのだ。

つまり、テレビ局からすると、絶対に電波オークションは避けたいわけだ。そのために、放送法・放送政策を管轄する総務省に働きかけることになる。

その総務省も、実際は電波オークションを実施したら、その分収入があるのは分かっているはずだ。それをしないのは、テレビ局は新規参入を防いで既得権を守るため、総務省は「ある目的」のために、互いに協力関係を結んでいるからだ。

 放送法の大問題

そこで出てくるのが「放送法」だ。昨今、政治によるメディアへの介入を問題視するニュースがよく流れているので、ご存じの方も多いだろう。話題の中心になるのが、放送法の4条。放送法4条とは以下の様な条文だ。

放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。

一  公安及び善良な風俗を害しないこと。
二  政治的に公平であること。
三  報道は事実をまげないですること。
四  意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

これを根拠に、政府側は「放送法を守り、政治的に公平な報道を心がけよ」と言い、さらに電波法76条に基づく「停波」もあり得るというわけだ。

一方で左巻きの人々は、放送法4条は「倫理規範だ」とする。つまり、単なる道徳上の努力義務しかない、と反論をしている。

しかし、筆者から見ればなんともつまらない議論だ。

そもそも、世界ではそんな議論をしている国はない。「放送法を守れ」「これは倫理規範だ」なんてつまらない議論をするのではなく、「市場原理に任せ、自由競争をすればいい」だけの話なのだ。

電波オークションによって放送局が自由に参入して競争が起これば、質の高い報道や番組が生まれるはずなのだ。おかしなことを言っていたら人気がなくなるし、人気があれば視聴者を獲得しスポンサーも付く。そうやって放送局が淘汰されれば、放送法など必要ないはずだ。

繰り返すが、電波オークションをやると一番困るのは既存の放送局だ。だから、必死になって電波オークションが行われないように世論を誘導している。

総務省はその事情を知っているから、「放送法」をチラつかせる。「テレビの利権を守ってやっているのだから、放送法を守れよ」というわけだ。それはテレビ局も重々承知。言ってしまえば、マスコミは役所と持ちつ持たれつの関係になっている。

 マスコミをダメにする「悪魔の一手」

最近では右派の人たちが、左巻きのメディアに対して「放送法を守れ」と息巻いている。筆者からするとそれはつまらないやり方だ。言葉は悪いが、もしマスコミを「潰したい」のなら、電波オークションで新規参入させるよう促せばいい。

「放送法は守らなくてもいいから、電波オークションにして誰でも意見を発信できるようにしろ」と言えばいいのだ。そうなるのが、テレビ局にとっては一番痛い。

この電波オークションの問題は、当然ながらテレビ界ではタブーとされている。電波オークションについて必要性を語る論者は、テレビ局にとっては要注意人物。筆者もそのひとりだ。

もし地上波で「実は電波利用料は数十億しか払ってないけど、本当は3000億円払わなければいけないですよね」などと言おうものなら、テレビ局の人間はみんな真っ青になって、番組はその場で終わってしまうだろう。テレビでコメンテーターをしているジャーナリストも、その利権の恩恵に与っているので大きな声で指摘しない。

電波オークションをすれば、もちろん巨大な資本が参入してくるだろう。ソフトバンクなどの国内企業をはじめ、外国資本にも新規参入したいという企業はたくさんある。

既存のテレビ局は巨大な社屋やスタジオを所有しているが、これだけ映像技術が進歩している現在では、放送のための費用はそこまでかからない。今では、インターネット上で自由に放送しているメディアがたくさんあるのだからそれは明らかだ。

既存の放送局の権利を電波オークションで競り落とすと考えれば費用は膨大に思えるが、電波だけではなくインターネットを含めて考えれば、放送局そのものは何百局あってもかまわないのだから、新規参入するのに費用は数百億円もかかるものではない。

資本力がある企業が有利ではあるかもしれないが、技術が進歩しているために放送をする費用そのものはたいしたものでなないのだから、誰にでも門は開かれている。

多様な放送が可能になれば、どんな局が入ってきても関係がない。今は地上波キー局の数局だけが支配しているから、それぞれのテレビ局が異常なまでに影響力を強めている。影響力が強いから放送法を守れという議論にもなる。しかし放送局が何百もの数になれば影響力も分散され、全体で公平になる。そのほうが、健全な報道が期待できるだろう。

しかし、筆者などが「既得権をぶち壊そう」と提言すると、いつも激しい反発を食らう。マスコミや、教員、公務員の既得権を批判すると、すぐに左派の学者が出てきて共闘を始める。

経済問題への無知さ加減はもちろんだが、それにも増して、こういった既得権にまみれながら厚顔でいるところも、筆者が「左巻きはバカばかり」と言いたくなる理由だ。

【私の論評】次世代のメディアの主役は新聞・テレビでないことだけは確か(゚д゚)!

新聞は購読しない、テレビは視聴しないというのが、メディアにとっては一番こたえるでしょう。実際、私もそのようにしています。ニュースはネット(産経新聞・夕刊フジはiPad)で、テレビはHuluやアマゾンで見るという具合で、ほとんど新聞は購読せず、テレビを視聴しなくてもすみます。

2012年の朝日新聞に記載された記事によると、国民の75%が「最近のテレビ番組はつまらない」と回答しています。当時は、平日でも平均3時間半もテレビを見て、「世界に冠たるテレビ好き」と言われる日本人だったのですが、当時からテレビ番組に対する不満は年々高まっていました。

それにしても、新聞やテレビのようなメディアには、上の記事でも明らかなように、イノベーションなど起ることはないでしょうし、起すつもりもないでしょう。道理で、最近は新聞記事を読んでももテレビを見てもつまらないし、偏向していて馬鹿丸出しだし、まるでやる気というものが感じられません。
イノベーションを行なう組織こそが、これからの時代において主役になると
すれば、新聞・テレビなどのメディアは最早これからの時代の主役ではない
マネジメントの大家ドラッカー氏は、イノベーションについて、『マネジメント・フロンティア』で以下のように語っていました。
イノベーションに優れた企業は、イノベーションのための活動を厳しく管理する。創造性などという言葉を口にすることはない。創造性とは、イノベーションを行なわない企業が使う中身のない言葉である。(『マネジメント・フロンティア』)
ドラッカーは、イノベーションを職能の一つと見ることは間違いだといいます。イノベーションは、企業のあらゆる部門、職能、活動に及ぶものです。製造業だけのものでもないです。流通業におけるイノベーションは、製造業におけるのと同じように重要な役割を果たします。新聞や、テレビなどのメディアの世界でも同じことです。

イノベーションに優れた企業は、仕事と自己規律について語っています。それらの企業は、このプロジェクトを次に見直すべき段階はどこか、そのときまでにいかなる成果を期待すべきか、そしてそれはいつなのかを自ら問いかけています。

また、優れた企業は、ほぼ三年ごとに、すべての製品、工程、技術、サービス、市場を“裁判”にかけます。今あらためて始めるつもりのものばかりか、今後その製品やサービスを手がけるかも問いかけています。

それらの企業は、もはや生産的でないものを組織的に廃棄する仕組みを持っています。品質さえよければ、馬車用の鞭の市場がいつまでもあるなどとは考えません。イノベーションを仕事としてこなしています。
イノベーションに優れた企業は、人のつくったものは遅かれ早かれ、通常は早く陳腐化することを知っている。競争相手によって陳腐化させられるのを待たずに、自ら陳腐化させ、廃棄することを選ぶ。(『マネジメント・フロンティア』)
イノベーションは、ひらめきや思いつきではなく、体系的・組織的に過去を捨て去ることです。そうして、上には掲載されていませんが、ドラッカー氏はイノベーションの究極の目的は、社会を変えることだとしています。社会が何らかの形で変わらなければイノベーションとは呼べないのです。そういうことを考えると、新聞やテレビなどのメディアにはイノベーションは最初から無理だということです。

そもそも、日刊新聞紙法や、電波法などにより電波オークションもなく、手厚く守られているため、体系的・組織的に過去を捨て去る必要性がないのですから。

電波オークションについては、このブログでも以前掲載しました。その記事のリンクを以下に掲載します。
【突破する日本】「偏った」放送を繰り返すテレビ局に電波を独占させる必要はない―【私の論評】遅れた電波行政を正し、無線事業者の競争を促し新産業を興せ(゚д゚)!
テレビ朝日本社
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、以下にこの記事の結論部分のみ掲載します。
現状のままの電波行政では、政権与党にとっても、国民とって一つも良いことはありません。日本でも、一日はやく「電波オークション」を導入すべきです。

そうして、せっかく導入するのでしたから、国民にとって良いサービスがどんどん生まれるような形で導入すべきと思います。これによって、今までには考えられなかったような、新産業の興隆を促すことも可能だと思います。

そうすれば、旧態依然として、偏向報道を繰り返すような、面白みも何もないようなテレビ曲など競争に負けて自然と淘汰されていくと思います。
新聞・テレビなどのメデイアは過去はいざしらず、イノベーションができない組織なのですから、これからの時代の主役ではないということです。これから、どんどん衰退していくことでしょう。

これからのメディアの主役になるのは、やはりネットであるということです。

いつの時代でも、メディアの持つ力は非常に大きく、技術が社会の中に取り込まれたとき、イノベーションが発生します。例えば、ー昔前まで、電話はプライベート空間に存在するものでした。しかし携帯電話の普及で、個人的な行為を外に持ち出すことになり、プライベートとパブリックの境目が変わったのです。

この変化に付随して、電車の中で化粧をする女性が出現しました。化粧というきわめて個人的な行為が外に持ち出されたのではないかと推測されます。このように、社会のあり方さえも変化させる力を持つのがメディアなのです。

電車で化粧す女性
メディアの変遷を振り返ると、1950年代までは活字や映画の時代でした。1964年の東京オリンピックに向け、一般家庭にもテレビが爆発的に普及し、テレビの時代がスタートしました。そして、1995年にはWindows95が発売され、同時期に高速インターネット回線の整備も国策として進められ、少しずつインターネットが姿を現します。そして現代は、一人に一台以上の携帯電話の普及が進み、FacebookやTwitter、LINEといったソーシャル・ネットワーキング・サービスが利用され、時代はインターネット全盛期を迎えています。


テレビというメディアは随分前から衰退しつつありましたが、それを強烈に意識させられたのは、東日本大震災のときでした。それまでテレビというメディアは、信頼できる存在として圧倒的な力を誇っていたのですが、「テレビは何かを隠しているのではないか」といった疑心暗鬼が人々の間に広がりました。

同時にインターネット上では、本質的な情報がやりとりされ、人々は「真実を知ることのできるツール」として、ネットに向かったのです。この同じ年(2011年)には地上デジタル放送がスタートし、テレビを見ない人を多数生み出しました。3・11と地上デジタル放送開始という2つの要素が、テレビの衰退を決定的にしたのです。


このような状況からすると、やはりネットが次世代のメデイア主役であることは間違いないです。

ネットの世界では、誰がどのようなニュースを発信しようが、誰がどのような動画を掲載しようが自由です。今までは、既存の新聞やテレビがネットでニュースや動画を配信したり、個人が出したりしていましたが、今後は多くの企業が参入してくることでしょう。

そうして、多くの企業が自由に競争し、イノベーションを巻き起こしていくことでしょう。その時に、既存のメディアは衰退していくでしょう。ただし、ある程度残ることは残るでしょう。おそらく、現在のラジオ局のような存在になることでしょう。そうして、メディアの主役の座はネットに譲ることになります。

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