2011年11月21日月曜日

ホームドラマ!? ホラー!?サスペンス!? 「家政婦のミタ」がブレイク中―【私の論評】予測がつかない展開が素晴らしい!!そうして、友達関係の親子に対する警鐘でもある!!

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ホームドラマ!?ホラー!?サスペンス!?「家政婦のミタ」がブレイク中

今期一番の連ドラを上げろと言われたなら、まず間違いなく最大得票数を得るであろう松嶋菜々子さん主演の「家政婦のミタ」。父親の浮気に母親は自殺、その父親も4人の子供達を育てる気がなく、一家は崩壊寸前。そこに現れたスーパー家政婦が家庭を救う……というあらすじをかいつまむと、一見あたたかいホームドラマにも思えなくはない。しかしその実は、松嶋さん演じるスーパー家政婦・三田 灯(みた あかり)... 続きを読む

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【私の論評】予測がつかない展開が素晴らしい!!そうして、友達関係の親子に対する警鐘でもある!!
松島奈々子
とにかく、この手のドラマというと、偶然に偶然が重なる韓流ドラマ風か、毒にも薬にもならないストーリー展開で面白くもなんともなかったのですが、このドラマは違います。全く予測がつなかないということでは、今までなかったものです。久々に新機軸といもいえるドラマが誕生したと思います。

これとはまた違いますが、NHKの朝ドラの「カーネーション」も掟破りといわれています。たとえば、ドラマの常道では、主人公がいつも一人で頑張るところが、頑張るのは良いのですが、同じ職場の先輩に来なくても良いといわれたり、常道では主人公が土下座のシーンがあるのが普通なのに、父親が土下座してみたり、父親は、厳しいなり甘いなりに、常道では、首尾一貫しているのに、父親があるときは厳しかったり、ちゃらんぽらんであったり、理不尽であったりと、妙にリアリティーがあります。
『カーネーション』ヒロインの尾野真千子
しかし、「家政婦のミタ」は、それどころではありません。全く予測がつかないのです。それにしても、家族崩壊を描いているわけですから、このまま崩壊しっぱなしということはないはずで、何かが変わるのでしょうが、その変わり方が、予測が全くつかないのです。

それと、ミタ自身が全くの無表情で、ロボットか何かを想起させます。このロボットのような受け答え「かしこまりました」などが、現在小学校で流行っているそうです。確かに、あの場面は、衝撃的で小学生などいかにも真似しそうです。

ロボットのように無表情な家政婦のミタでの松嶋奈々子
とにかく今までのストーリー展開が予測のつかなったものなので、このドラマの最終はどうなっていくのか、予測もつかないですが、ドラマを作っているほうも大変だと思います。ここまで、話題となってしまっては、ありきたりの終わらせ方では、視聴者も、納得はいかないでしょう。

しかし、このドラマを見ていて、つくづく思うのは、やはり、家族関係が友達関係のようになってしまっていることの悲劇です。父親たるものは、自信があろうがなかろうが、社会一般通念や世の中の決まりごとや、常識を教えるべき立場にあります。これは、役割だと割り切ってやらなけばなりません。これは、会社などの組織で高い地位についたときでも同じことです。

ところが、このような役割を演じきる人が少なくなっています。では、霊長類はどうなのかといえば、たとえば、ゴリラでも、チンパンジーでも、母親は、人間のように子供をかわいがり最初は、父親のでる幕はないのですが、子供が少し大きくなると、他の子供たちと遊ばせて、群れのルールなどの社会性を教え込むという役割を果たします。厳しく、しかるときもあるようです。こうしたことから、動物行動学上から、いわゆる類人猿の父性は、先天的なものと考えられています。

子供に社会性を教えるゴリラのオス
猿たちは、自然と父親の役をするのに、最近は人間だけが、そうではないということです。これは、非常に異常で特異なことかもしれません。どうして、最近の男たちから、父性が消えつつあるのか、これこそ、重大な社会問題だと思います。

「カーネーション」の父親像は、本当は、商売っ気もなく、弱気で、あまり自信もないのですが、当時の世の中では、ある程度男尊女卑がはっきりしたので、それに衣を借りながらも、はちゃめちゃですが、何とか父親役に徹している男の姿が描かれています。しかし、無論ドラマですから脚色はあるものの、私はこういう父親がいたからこそ、現在のコシノブランドがあるのだと思います。


一方、家政婦のミタでは、自信のない、弱気な父親が父親の役割に徹し切れなくもがいている姿を描いています。
家政婦のミタで父親役の長谷川博己
どんな人だって、いざ自分がやれば、父親とか、会社の上司役などなかなか完璧にはつとまりませんが、それでも、やらなければならないのです。そうでないと、家族という小さな共同体や職場は継続できないです。これは、もっと大きな共同体でも、国などの大きな社会でも同じことです。

自分ができるできない、自信があるない、肉食系だとか、植物系であるに関わらず、役割に徹しなければならないときがあるのです。子供と親とは、本来永遠に友達関係になれない関係なのです。親の価値観だとか、もっと大きな社会では、一定の大儀などが、強固でなければなりません。それらが強固であれば、それを越すことに意義がでてきて、はじめて革新ということができるのです。それが、最初からなかったり、はっきりしなければ、それを乗り越えようとしても、乗り越えられません。それが、親、特に父親の権威というものです。

あまり権威主義的というのは、いけませんが、かといって、全く権威がないというのもどうしようもありません。それは、家族や社会の崩壊につながるだけです。


これは、音楽の世界で考えると良くわかります。ピアノなどの楽器を最初に学んで、絶対音感など鍛えておけば、後から、サックスや弦楽器などやれば、音が外れていることが良く理解できますが、最初から絶対音感のない人は、音が外れていてもわかりません。わざと外すして、革新性を追及することもできないわけです。絶対音感があって、はじめて、音を外しているとか、あるいは、意図的に音を外すこともできます。長さでいえば、メートル原器のようなものであり、これがしっかりしていなければ、正確な長さを計測することもできません。このメートル原器を心に持っていない、人間は不幸といわざるを得ません。

人は、このような権威というものがあって、初めて革新的にもなりえるものです。たとえ、父親がその役割を果たせなかったとしても、最初から、権威も何もない家庭に育った子供には、革新的な考えが芽生えることはないでしょう。いつも、他人の後塵をはいするような人間しか育たないと思います。だからこそ、親子関係とは重要なのです。そういった意味では、「カーネーション」の父親は、立派に父親の役を果たしていたと思います。だからこそ、いずれコシノブランドなるものが生まれる土壌にもなっていると思います。一方、「家政婦のミタ」の家庭の場合は、父性不在で、このままでは、あの子供たちは、まともには育たず、いつも不安定な心理状態で生活していくことになるでしょう。

最近では、そのことがさっぱり理解できない、未熟な大人になりきれていない大人が増えています。この二つのドラマは、アプローチは違いますが、こうしたことに対する警鐘でもあると思います。特に、「家政婦のミタ」のほうは、松嶋奈々子のようなキャラクターを登場させることにより、友達関係である親子がいかに危険で異様でグロテスクなものかを、説教じみた演出で提示するのではなく、誰にでも直感的に理解できる独自の手法で、明確に提示できたということで、秀逸だと思います。

今後の展開が楽しみです。そうして、松嶋さん、キャラクターとしても、新境地をひらくことができたと思います。今後「家政婦のミタ」のキャラクターがどのように変貌していくのか楽しみです。今までのストーリーから「ミタ」は、配偶者と子供も悲惨な出来事で亡くしてしまい、かなりのトラウマを背負っているようです。おそらく、何かがきっかけで、全く感情のないロボットのようなキャラクターから、人間性を回復していくのではないかと思います。今後、「看護婦のミタ」とか、「家庭教師のミタ」、「法律事務所のミタ」とか、まさか、このタイトルではないにしても、次の展開など考えられそうです。これからどのように展開していくのか楽しみです。

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