2010年7月31日土曜日

宮内庁 皇室伝来の文書・出土品を公開…9月18日から―経営学の大家ドラッカー氏ですら語ることのない日本の真の強みとは?

宮内庁 皇室伝来の文書・出土品を公開…9月18日から(この内容すでにご存じの方は、この項は読み飛ばしてください)

宮内庁が公開する坂本龍馬自筆の薩長同盟裏書=宮内庁提供

宮内庁は30日、これまで研究者らに限定的にしか開示してこなかった皇室伝来の文書や天皇陵などからの出土品を、9月18日から皇居内の三の丸尚蔵館で一般公開すると発表した。初めての試みで、反響をみて今後も継続するか検討する。同庁は貴重な歴史的資料40万点以上を所蔵しており、歴史ブームの中、話題になりそうだ。

◇龍馬直筆「薩長同盟裏書」も出品
「皇室の文庫(ふみくら) 書陵部の名品」展と銘打った展示会では、宮内庁書陵部が保管する文書類や出土品計41件を公開する。いずれも、手続きを経た研究者に同部内で閲覧させていたほかは、一部が博物館などに貸し出されたことがあるだけだった。

展示品の中には、平安時代から鎌倉時代にかけての「日本書紀」の写本(北畠本)や、百舌鳥陵墓参考地(堺市)から出土した5世紀の「囲形(かこいがた)・家形埴輪(はにわ)」など、門外不出だった27件の資料も含まれている。

このほか、尾形光琳作の「後水尾天皇御画像」や、坂本龍馬が薩長同盟6カ条の文書の裏に赤字で同盟を保証する旨を書いた「薩長同盟裏書」(1866年)も出品。仁徳天皇陵の馬や犬の形をした埴輪なども展示される。

10月17日までで入場無料。休館日など問い合わせは宮内庁図書課(03・3213・1111内線3447)。

経営学の大家ドラッカー氏ですら語ることのない日本の真の強みとは?
この公開、参院選を終わった時期に実施すると、最初から予定が組まれていたのだと思います。まさに、絶妙のタイミングだと思います。

この公開は始めての試みだといいますが、まさに、民主党が惨敗した後の現在絶妙のタイミングです。もし、民主党が大勝していたとしても、本当に良いタイミングであったと思います。

なぜかといえば、現在民主党が政権をになっていること、自民党も保守政党というには、あまりにも力量不足である現在、やはり、多くの国民に対して、日本の歴史や、天皇について、再度考えたり、振り返ったりする機会が必要であるとの判断があったからだと思います。これは、大反響になると思います。

民主党の両院総会関連の記事、昨日、一昨日と結果として二回も掲載してしまいましたが、この中で、選挙敗因のすべてをあげてはいません。

その中で、大きなものとして、日本国解体三法案があります。これは以下のものです。


永住外国人への地方参政権(選挙権)付与法案、


選択的夫婦別姓を可能にする民法改正案、


人権侵害救済機関設置法案(旧人権擁護法案)


3法案は「日本解体を目指している」(自民党の義家弘介参院議員)と保守勢力の反発が根強いものです。いずれも家族、地域社会、伝統、文化など日本社会を根底から変容させてしまうからです。これに関してはあの読売新聞ですら「日本解体法案」と記載しています。

このブログでも過去の記事で何回もこの危険性について掲載してきました。そうして、私はこれには絶対に反対であることを掲載してきました。

日本は、天皇制を要として、すでに2670年の歴史があります。天皇がこれほど昔から、日本の要となられていることを私たちは、もう一度真摯に見直すべきです。多くの人が、この大切さや、重要性について忘れています。

天皇は、日本が国民国家として一つの国なる以前から、日本の国の要であられました。私たちは、戦国時代のずっと以前から、国はわかれていても、日本国の民としての統一意識をもつことができました。歴史上これだけの間、ひとつの国の仕組みが長続きしたことは、空前絶後であり、他国ではどの国でもありません。それは、先進国はいうにおよばず、小さな国や古い伝統のある国でも、そのようなことはありません。

今の日本人は、このあたりがはっきりしていないから、優柔不断であり、何事にも及び腰で、勇気を持って事を進めたり、自信を持つことが出来ません。もうすでに、ソビエト連邦崩壊や、その後に続いた東西ドイツ統一、その後の東ヨーロッパの政変、共産中国の実質的に国家資本主義への変質などによって、とっくに、マルクス・レーニン主義、共産主義など時代遅れであり、それを蒸し返すことは噴飯ものであるにもかかわらず、左翼政権民主党は、この蒸し返しをしようとしています。

民主党は、巧妙にこれを隠蔽しています。そうして、なにやら、あの自民党ともあまり変わらないかの如く装っています。しかし、現実には、上記三法案を通すことにより、マルクス・レーニン主義による、世界市民国家日本(多くの民族からなる、連邦国家)を樹立しようともくろんでいます。

しかし、実際には、こんなことは、世界のどこの国でも失敗して、今は、国民国家が主流になっていることは歴史が証明しています。これも、このブログに掲載しました。他民族の複合国家は、現在は国民国家ごとに分裂したり、分裂しようとしています。コソボなどその良い例です。それに、最近ではあのヨシフ・スターリンの生まれ故郷である、小国のグルジアが、独立して、強国ロシアに戦争を挑むというようなことまで起きている時代です。今の時代に、世界市民による複合国家を信奉するなどは、時代遅れであり、愚かとしかいいようがありません。

民主党の実施しようとしてる、日本国解体は、単なる妄想にすぎないです。妄想を実現しても、時を経れば、結局はもとの日本国国民国家に戻るだけです。ただし、一度世界市民国家になった国をもとの国民国家に戻そうとする場合、旧ユーゴスラビアでも明らかになったように、とてつもない流血の、内乱、内戦、民族浄化運動などが起こることでしょう。日本人はもとより、外国人にも大きな犠牲がでることになります。それこそ、コソボや、アフガンや、イラクなど他人事ではなくなります。

私は、これを断固として、阻止したいのです。だからこそ、日本国解体三法案に大反対しているのです。上で述べたように最悪シミレーションが現実のものとなったとき、今の民主党の面々ただではすまないでしょう。多数のものが死刑になったり、あるいは長期間監獄入りになることでしょう。彼らは、歴史を学ばないから、過去、特に現代史で何が起こったかなど、頓着がないのだと思います。自分たちがやろうとしていることが、将来どのようなことを招くのか、シミレーションもできないのだと思います。

これを推進し、上記で述べたような最悪の事態がおこれば、彼らは永遠に売国奴の汚名を着せられることになります。太平洋戦争終結時の戦犯に対するよりも、はるかに厳しいことになるでしょう。なぜなら、現代のように、経済発展して、平和な日本をそのままにしておけば良いのに、わざわざ、頭の軽い妄想で破壊したことになるからです。

ほとんどの国民が望んでもいないのに、積極的に努力して、破壊したことになるからです。それは、日本国民に対するだけではなく、人類に対する犯罪という位置づけになるでしょう。国際裁判所で死刑の判決を受ける、民主党幹部の顔が頭に浮かぶくらいです。民主党の連中はそんなことまで、頭が回らないのでしょう。何も、わざわざ、無用な摩擦どころか、無用な内乱・動乱を招く必要はありません。

民主党、あまりにも多くのことがちぐはぐです。もし、私など民主党の立場にたつなら、日本の伝統文化に直結する歌舞伎など大相撲と同じであり、潰しにかかるのが本筋だと思います。にもかかわらず、前原大臣が、会議をすっぽかしてまで、たかが、歌舞伎役者の結婚披露宴に嬉々としてでかけるとか、自分たちが何をしようとしてのか全く自覚がないようです。

民主党の閣僚は、すべてがこの調子です。いつも、直近のことしか考えておらず、自分が今日行った行動が結局何を招くのかのシミレーションが全くできないようです。そうして、これが、民主党政治の本質です。普天間基地がそうでした。東アジア共同体がそうでした。消費税増税論議がそうでした。小さなことをあげれば、まだまだあります。あげればきりがないくらいです。

日本国の国民国家を破壊して、個人主義をさらに助長するようなことになれば、何が起こるのかもシミレーションができていません。そうなれば、離婚は増えるし、先日このブログで掲載した、アメリカのリベラリストらが推進したライフスタイルによる夫婦別姓の大失敗のようなことがおこることは目に見えています。アメリカでの、離婚率は現在50%以上です、今日結婚したカップルの実に半数以上が確実に離婚します。これにより、おびただしい数の子供たちが犠牲になっています。虐待、ネグレクトはもとより、かなり深刻な事態に陥っています。こうしたことの反省に立ち、ある調査によれば今のアメリカの女性は、85%以上が仕事よりも家庭のほうが大事だと考えるにいたっています。

日本国内でも最近では幼児虐待が頻繁におこっていますが、最近では、母親が二人の幼子の育児を放棄し、二人の幼子が犠牲になったということがありましたが、このようなことも助長すことになります。私は、このようなことが最近頻繁におこるのは、戦後の誤った民主主義教育による個人主義的な風潮がこうしたことを助長していることは否めないと思います。日本国解体を推進すれば、さらに誤った個人主義というより、本質的には、利己主義が助長され、こうしたことをさらに推進することになります。こうしたことによる、損害・実害はとても、数字に表すこともできないことも含めて、甚大なものになることでしょう。

誰も信じて疑わなかった天皇制があったからこそ、あの偉大な無血革命であり、それまでの東洋史、西洋史を世界史にまで変える原動力となった明治維新のきっかけでもある薩長同盟を坂本龍馬が成就させることができたということを、多くの日本国民に再認識してもらうためにも、本当に、時宜を得た公開だと思います。

これほど、良い、プロモーションはないのではないかと思います。特に、経済が振るわないときには、歴史が見直されるといいます。事実現在は、歴史ブームの最中にあります。こうしたことが、日本国民に刺激を与え、次のステップになればと期待しています。ドラッカー氏は、語っています。日本人は、改革などなかなか進まないようにみえるが、一度国内でコンセンサスがとれると、信じられないほどの速さで、一夜にして大改革を成し遂げるとしています。その良い例が、明治維新であるということも語っています。そうして、ドラッカー氏ですら語らないことがあります。

ドラッカー氏が語らないこととは、日本にはもともとというか、キリスト生誕前から、理念としては天皇制を要とした国民国家意識が醸成されていたということです。だからこそ、明治維新など短期間に行うことができたのです。これに関しては、ドラッカー氏自身が、旧オーストラリア・ハンガリー帝国の出身(現在は存在しないが、ドラッカー氏が生まれたのは、ここである)であり、この古い国でさえ、そのようなもまはなく、その後、米国にわたりましたが、この米国にもみられない日本にだけ固有のものです。ドラッカー氏は、日本の美術などに関しても、造詣があり、日本のことは良く知っています。なのに、特に天皇制に一切触れないということは、やはり、西欧出身の経営学者としての限界なのだと思います。

最近、アメリカなどでは、経営学の大きな動きとして、ドラッカー財団を含めて、特に、コミュニケーションや文化・伝統の重要性が認識されています。さらに、MBAでは、いわゆる過去にやったような、いわゆる経分析・技能のようなものはあまり教えずに、そんことは当たり前の前提として、経営という切り口からコミュニケーションや、世界各国の文化や伝統に関して教えるといいます。私たちが日本という国をありのままにみれば、古から、天皇制があり、天皇制を要とした国民国家意識が醸成され続けているという強みがあります。(何と、2670年です)。

さらに、文化・伝統といった場合、日本のように古くから継承され続けている国は他にありません。こうしたことから、ドラッカー氏の潜在意識の中には、この強い日本というものへの西欧人としての脅威や、警戒心があったのではないかと思います。いずれ、日本を頂点として、アジアを中心とした世界がやってくることを予感していたに違いありません。だからこそ、天皇制についてあまり著書・論文で述べなかったに違いありません。やはり、自らは自覚しつつも、米国の日本弱体化政策については、直接組しなくても、西欧人の立場からすれば、敢えて反論はしなかったということがあったのではないかと思います。

だからといって、ドラッカー氏の素晴らしさは、少しも損なわれることはありませんし、私自身もドラッカー氏は敬愛しています。彼の立場にたてば、日本の真の強みの源泉をはっきりいわないということは理解できます。しかし、日本人としての私は、ドラッカー氏の限界も知った上で、彼の著書を読み、良いところを受け入れているというところです。明治の言葉でいえば、「和魂洋才」というところです。

このような、世界最強の伝統文化を誇る日本をもう一度思い起こす機会を提供する、皇室伝来の文書や天皇陵などからの出土品の公開は、まさに時宜を得ているし、素晴らしいことだと思います。日本国解体なんてことにならないように、皆さん今一度、日本の歴史の中における天皇制について、真摯に考えるべきときと思います。宮内庁頑張れ!!

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「批判は受ける」両院議員総会欠席し、海老蔵披露宴出席の前原国交相― かぶくものの披露宴に嬉々としてでかける、現職の大臣とは、世も末か?

「批判は受ける」両院議員総会欠席し、海老蔵披露宴出席の前原国交相 (この内容すでにご存じの方は、この内容は読み飛ばしてください)

 市川海老蔵・小林麻央の結婚披露宴に出席した
前原誠司・国土交通大臣=29日午後、東京都港区
のザ・プリンス パークタワー東京

前原誠司国土交通相は30日午前の記者会見で、29日に行われた歌舞伎俳優の市川海老蔵さんとフリーキャスターの小林麻央さんの結婚披露宴に出席するため、参院選を総括する民主党の両院議員総会を欠席したことについて、「両院議員総会が決まる前に結婚式の招待状をいただいた。鏡開きをさせていただくという話もあり、当初から決まっていた予定を優先させた」と説明した。

さらに「冠婚葬祭は人生で極めて大事なセレモニーだ。社会通念として、どちらを優先させるのかということを、政治家は判断をする」と述べた。ただ、政務に優先させたことへの批判に対しては「批判は甘んじて受ける」とした。

披露宴には、政界から前原氏のほか、森喜朗、小泉純一郎両元首相も出席していた。

かぶくものの披露宴に嬉々としてでかける、現職の大臣とは、世も末か?
さて、前原大臣の今回の奇行、皆さんはどう思われますか?私は、奇行と思います。それには、いくつかの意味があって、奇行だと思います。

まずは、両院議員総会よりも、一私人の結婚披露宴を優先させたことです。歌舞伎俳優の市川海老蔵氏がいくら有名だからとはいっても国政レベルなどからみれば、一私人に過ぎません。両院議員総会に関しては、会社でいえば、重要な会議のようなものです。取締役会などにも匹敵するようなものと思います。取締役会などに、結婚式を理由に欠席する人は滅多にいないと思います。どうしても、でたければ、ご夫人や、秘書など代理でだせばすむ事だと思います。

それから、やはり、芸能界や歌舞伎界の位置づけです。この点から考えると、そもそも、歌舞伎の俳優風情が、どのような付き合いをしていたかは、知りませんが、現職の大臣に対して、招待するということ自体がおかしなことです。まあ、民主党の場合は、大臣などといっても、そもそも、左翼政党ですから、そうでもないのかもしれませんが・・・・。いわゆる、お客様との付き合いと、政治家などとの付き合いとは、別物であることをわきまえるべきです。

これに関して、以前私のこのブログに「沢尻エリカ」が例の「べつに」騒動を起こしたときに、触れたことがあります。それを、以下に引用します。
今の日本、日本以外の国のように、職業の貴賎感がないこと、さらには、平等主義が行き届いていることは結構なのですが、やはり芸能人というものは、普通の人の生き方とは違い、芸能人の間での常識は、それ以外の生き方をしてる人の常識とは異なること、さらには、いわゆる芸能人とは、芸能人以外の人を楽しませるために存在しているのであり、それが芸能人の存在価値であるということを忘れてはならないと思います。これは、まともな商売人がお客さまを大事にするのと同じことだと思います。
こうした感覚が薄れてきて、非常識な芸能人が一般の人に向かって人生訓を垂れてみたり、オピニオンリーダー的なことを言ってみたり、政治の問題に口を挟んでみたり、あるいは芸能人を一般の人が甘やかすような風潮があったり、芸能人ばかりの問題ではなく、芸能人のような学者、弁護士、医師、政治家などがでてきています。このように、芸能人の世界と一般社会の常識の違いが不鮮明になったため、沢尻エリカさんのような芸能人が出てくるようになったのかもしれません。
芸能界の批判ばかり書いてしまいましたが、良識的な芸能人もいます。特に伝統と格式に培われた歌舞伎の世界の人々を思い出していただきたいと思います。私は歌舞伎界のことをすべて知っているわけではないので、ひょっとして例外はあるかもしれませんが、この世界の人々で、一般の人の向かって人生訓を垂れてみたり、オピニオンリーダー的なことを言ってみたり、政治の問題に口を挟んで見たりするような人、私の知る限り存在しません。いつも節度を保って一般の人と接していると思います。このように一部の例外を除いて日本の芸能界に関する常識は世界に通用しません。日本以外の国では、考えられないことです。
はっきりいって、芸能人や音楽家、伝統芸能に従事している人など、社会一般の人より(遠い昔から、士農工商などといわれましたが、歌舞伎役者を含む芸人は、これにも属さないということです)ごく一般に、社会的な序列は、下というのが普通です。日本でも、一昔前は、このへんははっきりしていました。最近は少し乱れてきています。外国でも、サルコジのような例がありますから・・・・・・・。しかし、イギリスなどでは今でも厳格で、たとえば、このような話をすると、「ビートルズ」はどうなんだと、言う人もいますが、例をだせば、イギリスでも、比較的階層の高い人々が、出入する金融街「City」には、今でも、ビートルズの面々は受け入れられることはないでしょう。住む世界が違うからです。

しかし、だからといって、私は何も、イギリスの労働者の師弟が偉くなる道は、聖職者と大学教授しかないという、階層社会を良いといっているわけではありません。これは、なんとかすべきでしょう。しかし、厳然として存在していることには違いありません。日本人は、これを忘れがちだということをいいいたいのです。日本では、こうした身分制度などはとうの昔になくなり、良いことなのだとは思いますが、今度はそれが行き過ぎて、最近の芸能人の傍若無人振りには困ったところがあると思います。何の知識もない芸人風情が、テレビにでで、政治な経済などに口をはさむような場面が至るところでみられます。はては、オピニオンリーダー的な発言をすることもあり、あれなどみていると、一体この人はどういう資格があって、こういう発言をするのかと思い、それを許容していどころか、助長している。マスコミに疑問を感じます。

政治家と芸人が入り交じって、政治・経済の話をしているなどという諸外国では見られない、不思議なことが繰り返されています。まあ、階層などがなくなったことは良いのですが、このあたりはいかがなものかと思います。日本特有の事象だと思います。

それから、コミック雑誌の「モーニング」に「かぶくもの」というタイトルで、「歌舞伎」の語源にもなっコミックがはやった時に、歌舞伎に関しては、以下のような記事を掲載したことがあります。
歌舞伎の世界などでは、このあたりがはっきりしているようで、あまり奇怪な振る舞いをする人(注:最近の芸能人の行動などについて書きました)は少ないように思います。最近、アニメの「かぶく者」(モーニング)が大流行です。
この「かぶく者」の最初の語源は、まだ歌舞伎の様式がはっきり定まる前のこと、若い男のチンピラのような者が、女性の着物をかぶり、往来で女性や子供をからかったことが語源だといわれています。ここから、「歌舞伎」という言葉が生まれています。こういう、チンピラのような人で、身分の低い人たちによって歌舞伎が上演されるようになったのです。歌舞伎の口上などは、もともと、身分の低いものが、一般の人たちの前で演技をするために行ったということのようです。
江戸時代までの身分とは、現在考えられるように圧倒的な従属支配関係というわけではありません。身分が違うとは住む世界が違うことにすぎず、そこに上下があると感じるのは統治の関係や金銭的多寡、移動の自由など、一側面でしかないわけです。現在の日本は、華族制など固定的な制度が崩壊してしまったがために、身分制度は悪いもの、と単純に考える人が多いみたいですが、ヨーロッパを始めほとんどの国にはいまだに身分制度があり、必ずしも身分が高い=幸せと思われているわけではありません。
たしかに、江戸時代の歌舞伎俳優は厳しい身分制度の下層に置かれ、裁きの場では「一人」ではなく「一匹」と数えられたといいますが、それと千両役者が両立していたわけです。60歳を「還暦」として子どもに還る、というように、聖と俗は一回転してつながる世界でもありましたから、卑しい役者こそが超然たる神力をもち、「団十郎がにらめば瘧(おこり)がとれる」と信じられたわけです。歌舞伎役者は現代でいえばアイドルというところだったと思います。しかし、一般庶民(現在でいうと普通の勤め人)がなれるものではありませんでした。なれないがゆえに(タブーを犯す悪の匂いもあって)、なおさら惹かれるようになり、歌舞伎は一般庶民から大きな支持を得たのだと思います。
このあたりの、伝統や文化を引き継いでいるということで、歌舞伎界の人はあまり一般人と摩擦を起こすようなことは無いのだと思います。多少の不始末などあっても、それは、多くは、歌舞伎界の中のことであり、あまり、外の一般人まで巻き込んだ過度の不祥事はなかったと思います。それに、歌舞伎役者で一般の人たちに向かって人生訓を垂れてみたり、政治などに過度に口を挟む人もほとんどいないように思います。現代の芸能人は、こうした日本の伝統的な一般人との関係を今一度見直すべきと思います。一般人の方も、そうだと思います。両者とも、いわゆる自らの分をわきまえるという姿勢を、今一度思い起こすべきと思います。
最近では、このあたりのことは日本では、曖昧になってきています。歌舞伎の伝統と歌舞伎界の中の格式ということに疎い人が増えてきたと思います。しかし、伝統を重んじる歌舞伎界においては、つい最近まで、節度を守って一般人との付き合いをしてきたと思います。それが、乱れつつあるということです。私あたりの感覚であれば、歌舞伎役者の結婚披露宴に現職の大臣を招待するということ自体いかがなものかと思います。もともと、住む世界が全く異なるのですから。

まあ、民主党は左翼政党ですから、仕方ないのかもしれません。でも、普通なら、披露宴になど、現職の大臣を招待すべきではないし、また、招待されて、自ら赴く、それも、大事な会議をすっぽかして、でかける大臣もいかがなものかと思います。前原さん、奢りたかぶりが酷すぎますよ!!大事な政治に比較すれば、歌舞伎役者風情の結婚式など遊びに過ぎません。

前原さん、考えてみると、八ッ場ダムの不始末もありますし、それに、最近の大雨による被害にも、地元を訪問するなどことをしていませんね。でも、歌舞伎役者風情の結婚披露宴には出ている余裕があるんですね。まあ、小泉さんは、現職ではないですし、今は国会議員でもないですから、それに、ご子息は、芸人になっているからいいんでしょうが、それにしても、森喜朗さんも出ていたというのは、少し首をかしげますが、ただし、現職の大臣でもないし、国会議員ではありますが与党でもないので、まあ、ギリギリ許容される線だと思います。会議もすっぽかしていないし・・・・・・・。

歌舞伎界も、歌舞伎界だと思います。少し前までならこんなことはなかったでしょう。歌舞伎界の方々、いくらお客様とはいって、内輪の結婚式にわざわざ、現役の大臣を招くななど、少し奢りたかぶりが過ぎるのではあませんか?公と私、ハレ(晴れ)とケ(褻)の概念が薄れてしまった日本では、こんなことを言っても、理解する人は少ないのかもしれませんが・・・・・・・。市川團十郎さん、名前負けしていますよ。先代であれば、こんなことはなかったでしょう。もう、すんでしまったことは仕方ありませんが、歴代の團十郎名をけがさぬように、しっかりしてください!!

それから、歌舞伎界にもう一言、民主党は、日本国の国民国家を解体しようとする政党です。歌舞伎などの日本古来からの伝統芸能など、どちらかといえば、破壊したいとさえ考えている政党です。前原さんは、ただの常識なしですから、そのへんがわかっていないと思います。政界との付き合いなど慎むべきです。千利休がなぜ、切腹しなくてはならなかったか思い起こすべきと思います。そんな、こといっても、歴史を知らない人には無駄だと思いますか、歌舞伎界は、伝統芸能を司るところなのですから、日本の歴史などは、わきまえておくべきと思います。

それにしても、いずれ、歌舞伎役者などからも、テレビ番組などで、政治や経済に口をはさんだり、オピニオンリーダー的な者がでてくるかもしれません。もし、そうなれば、民主党が日本国解体をしなくても、日本解体といことになってしまうと思います。もちろん、私は、直接的にそんなことをするのではなく、芸の中でそれをするなどということに関しては反対はしません。

たとえば、忠臣蔵など、当時の幕府のやり方に対する間接的な、批判の意味もあったと思います。だからこそ、民衆の心の琴線に触れたのだと思います。でも、芸人がテレビなどで、直接言ってしまってはおしまいです。そうなれば、日本は、国民国家意識もなく、安全保障も何も考えない、愚民の集まりになってしまうのかもしれません。そうなれば、伝統文化を継承する日本の国民国家の崩壊ということになります。そのような、社会では、いくいくは歌舞伎も存在しえません。実際、地方歌舞伎などほとんど消滅してしまいました。そんなことにならないためも、歌舞伎界は格式と伝統を守ってください。それが、あなたがたの、存在価値そのものです。

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2010年7月29日木曜日

民主党両院議員総会  執行部責任問う声相次ぐ―民主党は早晩分裂解体する?!

民主党両院議員総会  執行部責任問う声相次ぐ(この内容すでにご存じの方は、この項はよみとばしてください)

民主党が両院議員総会、参院選を総括



民主党は、さきの参議院選挙の敗北を総括するため、両院議員総会を開き、菅総理大臣が、みずからの消費税をめぐる発言が影響したとして陳謝したのに対し、出席者からは、執行部の責任を明確にするよう求める意見が相次いだ。

民主党は、参議院選挙後初めての両院議員総会を開き、菅総理大臣は、さきの参議院選挙について、「わたしの消費税をめぐる不用意な発言で、たいへん重い厳しい選挙を強いることになったことについて、心からおわび申し上げる。多くの仲間の議席を失った責任を痛感し、反省している」と述べ、陳謝した。

このあと、枝野幹事長は、菅総理大臣をはじめ執行部の発言が勝敗に影響したことや、定員が1人の選挙区への対策が不十分だったことなど、参議院選挙の敗因についてまとめた総括の案を報告しました。これに対して、出席者から、「菅総理大臣の不用意な消費税をめぐる発言や、枝野幹事長の他党と連携するという発言が足を引っ張った。枝野幹事長、安住選挙対策委員長は当然だが、菅総理大臣みずから責任をとるべきだ」とか、「戦争で敗北したら最高司令官が責任をとるのはあたりまえだ。

あまり総理大臣を替えたくはないが、このまま続けると、力強い政治ができない」など、執行部の責任を明確にするよう求める意見が相次ぎました。一方で、「サッカー日本代表の岡田ジャパンにならって、チームワークを考えるべきだ。求められているのは結果であり、全体をまとめ、勝ち点をあげられるチームにまとめてもらいたい」として、党の結束を訴える発言も出された。

民主党は早晩分裂解体する?!
参院選大敗のショックに揺れ動く民主党。9月の代表選に向け党内の綱引きは激化し、党分裂の危機さえささやかれ始めた。「内憂外患」の菅直人首相に次の一手はあるのか。

昨年9月の衆院選による政権交代直後、茫然自失のある自民党幹部はこううめいた。「自民党はこれで終わった。後は、大所帯になった民主党が党内抗争で分裂するのを期待するしかない」。

あれから10カ月。参院選での民主党大敗を機に、菅直人政権を支えるはずの現職閣僚の間でも9月に迫る党代表選に出馬見込みの候補者の実名が語られ始めた。自民党幹部が漏らした言葉がにわかに現実味を帯びてきた。

「脱・小沢路線は変えない」
「小沢一郎外し」を鮮明にすることで民主党の支持率をV字回復させたまでは良かったが、唐突な「消費税率10%発言」などで失速した菅首相。敗戦処理策として選んだのは、枝野幸男幹事長ら執行部を留任させ、内閣改造も行わずに嵐が過ぎ去るのを待つ「穴熊戦術」でした。

「鳩山由紀夫前首相、小沢前幹事長の体制のままで選挙を行うより盛り返したのだから、誰も責任を取る必要はない」。首相に近い民主党議員は首相を擁護したうえで、こうつけ加えました。

「幹事長に小沢さんの意中の人物を充てるなど『挙党一致体制』を演出する選択を首相は取らなかった。選挙戦中の(消費増税に反対する)小沢さんの発言にムッとしていたし『脱小沢』路線を変える気はないということだ」

小沢氏は例えば6月25日に「地方経済は都会以上に深刻。消費税が10%になると非常に心配だ」と語り、眉間にしわを寄せてみせた。「民主党内はバラバラ」とのマイナスイメージを有権者に与えるのに十分でした。

民主党内では、小沢氏の「党内不一致工作」は計算ずくとの見方が広がるりました。参院選で民主党が大勝すれば、9月の代表選で首相の再選は確実。小沢氏の資金管理団体の土地取引を巡る政治資金規正法違反事件に絡み、今秋にも検察審査会で起訴相当との議決が出れば、小沢氏は強制起訴となります。首相は小沢氏に離党勧告をし、小沢氏は政治生命を絶たれる――。 

小沢氏にとっては「参院敗戦」で菅首相の影響力をそぐことが自らの基盤維持に必要だったとも言えます。菅首相も頭を下げる気にはならないでしょう。

「壊し屋」再び?
民主党内の主導権争い、参院でのねじれ国会運営という「内憂外患」に直面する首相は、まず9月の代表選をクリアする必要があります。小沢氏との関係修復が図られない中、最大のポイントは小沢氏自らが出馬するかどうか。だが、「強制起訴の可能性がくすぶる中、被告人になるかもしれない人物を次期衆院選の顔に選ぶわけにはいかない」(菅グループの議員)といった指摘は根強い。

そこで小沢氏は首相の主張に対抗し、「消費増税論議の凍結」などを掲げる対立候補を立てる可能性がある。対立候補の名前が、菅政権を支えるはずの現職閣僚からも聞かれ始めました。

「小沢さんに近い筋からは、原口一博総務相が出る可能性がありますね」

確かに原口氏はここにきて、菅首相への批判とも取れる発言を始めています。消費税率の引き上げに関しテレビ番組で、「増税をして景気が良くなるなんてあり得ない」と語ったのです。「鳩山前首相サイドから小沢鋭仁環境相が出る可能性もあります。菅さんも含め、3人以上の争いになるのではないか」というのが、この閣僚の見立てです。

鳩山前首相の突然の辞任に伴い6月4日に行った代表選は、菅首相が樽床伸二・現衆院国会対策委員長を291票対129票で退けました。8年ぶりに党員・サポーターが参加する今回の代表選。全体の約4分の1の重みを持つ党員・サポーター票の取り込みを巡り、党内の各グループ間の綱引きが激化しそうです。

仮に菅氏が代表選を乗り切っても、「小沢氏にとって本当の勝負は代表選後に訪れる」との声が民主党内外から上がっています。代表選で小沢氏が一敗地にまみれたとしても、菅政権が国会運営で行き詰まるタイミングを見計らい手勢を連れて離党し、政界再編を仕掛けるのでは、との読みです。

“壊し屋小沢”再び。決して空論と言えない状況だ。永田町でささやかれ出したシナリオは2つ。民主党政権の「11月危機説」と「3月危機説」です。

迫り来る、11月危機と3月危機
まずは「11月危機説」。仮に首相が代表選で勝利し、内閣改造を経て9月中にも召集する臨時国会に臨んだとしても、自民党など野党との「部分連合」協議でつまずけば国会は空転します。野党が一致すれば参院に提出した首相問責決議案が可決されます。「法的拘束力がないから」と首相が退陣や衆院解散を拒んでも、今度は衆院で野党が内閣不信任案を提出し、小沢氏らがそれに同調。内閣総辞職か総選挙に追い込まれる、というものです。

「3月危機説」は、来年1月召集の次期通常国会で立ち往生するシナリオです。来年度予算案を巡る与野党の審議が折り合わない場合、税制改正などの予算関連法案の扱いが焦点になります。

予算案は憲法の規定で、衆院で可決し、参院送付後30日が経過すれば自然成立します。予算関連法案は一般の法案と同じ扱いとなり、衆院可決後に参院で否決されると、衆院の3分の2以上の多数での再可決が必要です。

ところが、与党は現状では衆院で3分の2の議席がない。追い込まれた政権は、予算案成立と引き換えの「話し合い解散」に応じるしかない、というストーリーです。

自民党は未定の衆院小選挙区の支部長について公募の準備を開始しました。国会運営次第で、永田町に一気に解散風が吹く可能性は否定できません。

風圧に押された菅政権は永田町における自らの立ち位置すら見失いつつあります。予算編成など政治主導の目玉組織として打ち上げた「国家戦略局」構想をこの段階で断念しました。

来年度予算の編成作業は財務省、内閣官房、民主党の政策調査会が調整しながら進めます。菅首相は予算編成や税財政の調整を担う新組織を立ち上げる意向ですが、法的権限を持たない組織となり、どこまで機能するのか未知数です。

財務省のある課長は「自民党政権時代のやり方に戻るだけ」と言い切っています。来年度予算の概算要求基準を巡り、メリハリを利かすわけでもなく、財務省が各省庁に政策経費の一律10%
カットを求める構図も「いつか見た光景」です。9月以降、「政権交代可能な2大政党制は幻想」と国民は実感することになります。

さて、その後自民党がすんなり返り咲くかといえば、そうではないです。仮に、解散衆院選挙などがあって、自民党が過半数以上の議席を占めたとして、政権をとったとします。しかし、これでも、現在の民主党よりは、ひどくはないでしょうが、同じようなことの繰り返しになります。特に、自民党の場合は、明らかな不始末があっても、上記のように辞任しないのが恒例のようになってしまいまたが、自民党はそうでもないので、次々と辞任ということなれば、骨抜きとなり、同じようなことが起こってしまうでしょう。

では、なぜこんなことが起こるのか、それは簡単なことです。自民党にせよ、民主党にせよ、政治信条とは全く関係なく、選挙のための互助会のような政党になっているからです。だから、自民党も、民主党も、右翼のような人から、左翼のようなひとまで、一つの政党の傘下に属しています。

もともと、政治信条が異なり、選挙のためだけに集まっている、「選挙互助会政党」では、同じことの繰り返しになってしまいます。

しかし、このような紆余曲折があって、日本の政治もまともになっていくでしょう。政治家が、まず、国民に約束しなければならないことは、現在では、恒常的になってしまった、なにやら、政府が社会的問題を直接解決てきるような幻想を国民に与えて、それを無理に実行しようとして、失敗を繰返すようなことはもうやめるということです。現政権は、社会問題は政府が解決できると未だに信奉しています。もうそんな考えは、ソビエト崩壊と、その後の先進国の福祉国家政策をとりやめたことでも、幻想にすぎないことははっりしています。現政権は、このような幻想を信じているばかりか、国民国家解体法案などによって、日本国の国民国家を解体することが、多くの人の幸せにつながるという妄想すら抱いています。

だからといって、私は、政府が社会問題を無視せよなどといっているわけではありません。もともと、政府というものは、そんな組織ではありません。政府がすべきことは、国が取り組むべき安全保障や、法律をつくったり施行したり、マクロ経済の対策を行ったりのことは別にして、それ以外のことは、インフラを整備することです。たとえば、子供手当てなど直接与えて、あとはお構いなしというのではなく、子供が健やかに育つようにインフラを整備するのが政府のやるべきことです。

そのインフラの上では、政府が直接手を下すというのではなく、民間営利企業や、民間非営利企業が実際に活動すべきなのです。小泉政権の大失敗のうち、構造改革などと称して、民間営利企業が大学を運営するようにしたことがあります。これは、ごく少数の例外を除いてほぼすべて失敗しました。これに関しては、全くわかりきったことです。民間営利企業には限界があります。どうしても、経済的なしばりがあるので、それを優先せざるをえないからです。民間営利企業は、経済的な目標を優先します。だから、社会問題などの解決にはどうしても限りがあります。

しかし、民間非営利企業(NPO)に関しては、経済的な目標などありません。そんなことより、NPOの社会的使命を遂行することが最大の関心事になります。だからこそ、社会事業などは、NPOが取り組むべきです。第一、このことにほとんど誰も気づいていないということが大問題だと思います。これは、日本のドラッカリアン(ドラッカーを信奉する人々)も同じこどてす。ドラッカー氏は、生前ここのことを徹底的に訴えていました。しかし、日本では、ドラッカー氏というと、経営学のことしか話題になりません。

しかし、欧米と異なり、NPOが大きな社会事業など、実施しにくい、環境にあります。これは、以前にも、このブログで掲載しましたが、日本には寄付金文化がないということがあります。しかし、寄付金区文化などすぐにも、根付きます。欧米に寄付金文化が根づいているからといって、何も、欧米の人が社会的問題に日本人よりはるかに熱心に取り組んでいるとか、関心があるというわけではありません。

それは、もっと簡単なことです。要するに、社会事業に取り組んでいるNPOに寄付をした場合、税制上の優遇措置が受けられるということにつきます。しかし、日本では、その優遇措置がありませんか。だから、NPOに資金が集まりにくい状況になっています。

だからこそ、日本では有力なNPOが育たないし、大きな仕事もできず、社会問題はおきざりにされているというのが実情です。アメリカの場合など、年金も、NPOが運営しています。それに、NPOの年間の全歳入は、アメリリカの国家予算に匹敵するほどです。

しかし、これを拒んでいるのが、財務省の財務官僚のうち、私が財務ゾンビと呼んでいる、いわゆる似非財政民主主義を信奉する守旧派官僚です。似非財政民視主義とは、要するに、財務ゾンビによる、NPOなどに多額の資金などが集まるなどということは、財政民主主義の立場からよろしくないとする考え方です。日本が、まだ貧乏国だったときには、良かったかもしれませんが、日本語世界的な金持ち国になった現在ではこの問題は最早捨ておけません。

しかし、欧米では、こんな考え方はしません。特に、アメリカなどでは、NPOへの寄付の動機の第一は、「自分の金が何に使われるのかはっきりさせたい」ということだそうです。だれでも、自分のお金が、税金などで徴収されて、何に使われているのかわからないというのは、嫌なものだと思いす。確かに、ある程度徴収されるのは仕方ないとおもいますが、特に、かなりの金額を収める人については、自分の金が何に使われているのかを知りたいという欲求が強くなるのは当たり前だと思います。この欲求はある程度正当性はあると思います。誰も、自分の収めた税金が役人の無駄遣いに使われて、死に金になっているなどと思いたくはないと思います。

しかし、日本でもNPOが大きく仕事ができるようになる前に、やるべきことがあります。それは、まずは、政治家も国民も政治的に成熟すべきであるということです。まず、政治家は、選挙互助会政党はやめることです。そうして、政治的信条が一致している人同士で、政党をつくるようにすべきです。

それに、国民は、政府による社会救済などという幻想を捨て去るべきです。これは、欧米では、もうすでにとっくに捨て去られていることであり、先進国では日本国民だけが未だに抱えている、幼児性だと思います。そうして、勉強不足のマスコミが未だに妄信しています。さらに悪いことに、マスコミも現政権のように、日本国解体は良いことだと妄信しています。

政府による社会的救済という幻想を捨てることなしに、本当の政治改革はできません。これができない、するつもりもない民主党は、早晩分裂解体するしかありません。皆さんは、どうお思いになりますか?

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2010年7月28日水曜日

桑田佳祐、初期の食道がんを公表 手術・治療専念で新作発売延期、全国ツアー中止―次の飛躍の機会になってくれれば・・・・・・!?

桑田佳祐、初期の食道がんを公表 手術・治療専念で新作発売延期、全国ツアー中止(この内容すでにご存じの方は、この項は読み飛ばしてください)


 人気バンド・サザンオールスターズ(活動休止中)の桑田佳祐(54)に初期の食道がんが見つかり、10月20日に予定していたニューアルバムの発売を一旦延期、10月28日から12月31日まで予定していた全国ツアーを全て中止し、手術と治療のためにしばらくの間療養すると28日、所属するアミューズが発表した。「幸いにも早期発見により初期段階での治療で済む状態」で、桑田は「どうかご心配なさらず(そんなのムリか!?)待っていてくださいね。お楽しみは、あ・と・で●(ハートマーク)」とコメントを寄せた。


 日本音楽界の至宝から衝撃の事実が告げられた。同社によると、このほど受けた検診の結果、初期の食道がんが判明。早期発見により初期段階の治療で済む状態といい、今後はスケジュールを全て白紙に戻して治療に専念するが、8月25日に予定していたニューシングル「本当は怖い愛とロマンス」は予定どおり発売。また31日午後11時からのレギュラーラジオ番組『桑田佳祐のやさしい夜遊び』(TOKYO FMほか全国38局ネット)で、自らの口で直接ファンへ報告する。


 桑田は6月23日に『四六時中、音楽主義宣言』を発表したばかり。10月20日に8年ぶりのオリジナルソロアルバムを発売し、同28日から5大ドーム会場を含む全国ツアー開催、それに先駆けて9月22日に「全国同時多発アルバム試聴会」を開催予定だったが、こちらも一旦延期となった。今後の活動は詳細が決まり次第、公式サイトなどで発表される。全国ツアーのチケットの払い戻しは30日午後3時より公式サイトで発表されるほか、ファンクラブ会員向けには8月上旬発行予定の会報111号で伝えられる。


 以下は、桑田からのコメント全文。

 この度は、ご心配をおかけして本当に申し訳ない気持ちです。
 そして、今年の活動を楽しみにしてくれていた皆さんには心からお詫び申し上げます。
 まずは自分自身の体調を回復させ、制作中のアルバムをなるべく早く皆様にお届けするようにいたします。
 ツアーは一旦キャンセルになってしまいますが、しばし治療と静養に充てるお時間をいただいて、また改めて皆様にお会い出来る機 会を、心より楽しみにしたいと思っております。
 それまでしばらくの間、どうかご心配なさらず(そんなのムリか!?)待っていてくださいね。
 お楽しみは、あ・と・で●(ハートマーク)

 桑田佳祐







次の成長の機会になってくれれば・・・・・・!?
サザンオールスターズのリーダーであり、ボーカル・ギターと作詞・作曲を担当。所属事務所はアミューズ、所属レコード会社はビクターエンタテインメントタイシタレーベル。嘉門 雄三(かもん ゆうぞう)、桑竹 居助(くわたけ いすけ)、夷撫 悶汰(いヴ もんた)、古賀 紅太(こが こうた)などの変名を用いたこともありました。
鎌倉学園高等学校卒業、青山学院大学経営学部除籍。身長170.3cm、体重67kg。A型の右利き。愛称は「すけちゃん」「ケイちゃん」「桑っちょ」など。 1982年に、サザンのキーボーディスト・原由子と結婚し、これまでに2男を授かる。芸能界きってのおしどり夫婦として知られています。
私は、このサザンオールスターズ、最初にNHKに登場したときのことをはっきり覚えています。確か、NHKのテレビに午後6時半ころに、出たと思います。今となっては、なんの番組だったかも覚えていません。とにかく、そのときがテレビの初公開ということだけ、アナウンスがあったと思います。当時はまだ、ほとんど無名だつたと思います。しかし、あれを見て、間違いなくヒットすると思いました。曲は、もちろん「勝手にシンドバッド」でした。私自身、最初の一曲がやはり、強烈に印象が強いので、サザンの曲の中では何といってもこれが一番です。
さて、下に桑田佳祐さんの、生い立ちと年譜をあげておきます。興味のある方は、見てください。興味のないかたも、年譜の下に続きの記事を書きますのて、是非読んでください。

生い立ち〜1980年代
1956年
2月26日、神奈川県茅ヶ崎市に生まれる。
1977年
サザンオールスターズとして、アマチュアバンドのコンテスト「ヤマハEastWest'77」に出場。ベストボーカル賞を受賞。この時に決勝で対戦したのは、シャネルズの鈴木雅之だった。









1978年
6月25日、ビクター音楽産業よりサザンオールスターズとして『勝手にシンドバッド』でメジャーデビュー。
1979年
「オールナイトニッポン」(ニッポン放送などNRN全国ネット)木曜1部を担当。
1980年
10月24日、フジテレビ『ゴールデン洋画劇場』で放送された映画『アメリカン・グラフィティ』で、桑田の敬愛するラジオDJ、ウルフマン・ジャックの吹き替えを担当。
スペクトラムのギタリスト・西慎嗣のソロアルバム『NISHI』をプロデュース。
1981年
生理用品アンネナプキンのCMに出演。
タモリのシングル曲『狂い咲きフライデイ・ナイト』を楽曲提供。
Egg-man(現・Shibuya eggman)のオープニングアクトとして、3月21日・22日の2日間に渡り「桑田バンド」としてライブを行う。メンバーは桑田・関口和之・斎藤誠・国本佳宏・宮田茂男。
12月11日・12日、Egg-manで桑田の別名・「嘉門雄三」によるユニット『嘉門雄三&Victor Wheels』として、洋楽のカバーライブを開催。メンバーは3月のライブに今野多久郎が加わったもので、原由子もゲストとして数曲参加した。
自身がプロデュースした原由子初のソロシングル『I LOVE YOUはひとりごと』が卑猥な歌詞のため、放送禁止曲に。ビクタービル屋上にて抗議のゲリラライブを行うが、警察が出動するなどの騒ぎとなる。
1982年
2月26日、原由子と入籍。28日には東京プリンスホテルで結婚披露宴を行う。会場にはファン3000人を招待し、タモリ、ラッツ&スターなどの芸能人も出席した。
小林克也率いる「ザ・ナンバーワン・バンド」の1stアルバム『もも』にて曲を提供。また『六本木のベンちゃん』ではボーカルも担当。
中村雅俊に『恋人も濡れる街角』を提供。
12月31日、NHK紅白歌合戦での三波春夫パフォーマンスが物議を醸す。『チャコの海岸物語』でサザンとして2度目の紅白出場を果たした際のものであり、当時の「紅白=厳粛な雰囲気」という等式を打ち破るきっかけとなった。この時の間奏での桑田の発言は以下のとおり。
「国民の皆様、ありがとうございます。私たち放送禁止もたくさんございますが、こうしていけしゃあしゃあとNHKに出演させて頂いております。とにかく、受信料は払いましょう!裏番組はビデオで見ましょう!!」
研ナオコが歌った「夏をあきらめて」で第24回日本レコード大賞作曲賞受賞。
1983年
親交ある明石家さんまが「オレたちひょうきん族」(フジテレビ系)で演ずるアミダばばあのために、『アミダばばあの唄』を提供する。レコーディングでは桑田と原がコーラスを担当した。レコード会社が異なったため、長年この事実は伏せられていたが、2008年さんまが「もういいやろ」と言って話してしまった。
高田みづえがカバーした『そんなヒロシに騙されて』が第25回日本レコード大賞・金賞を受賞。
1984年
「オールナイトニッポン」に復帰。火曜1部を担当する。
1985年
ラッツ&スターのメンバー全員の合同結婚式において媒酌人を務める。このときリーダー・鈴木雅之の父との会話が、後1996年のアルバム(サザン名義)『Young Love』に収録される『心を込めて花束を』を生むきっかけとなる。
6月15日、佐野元春なども参加したイベントライブ『ALL TOGETHER NOW』に飛び入り出演。段取り無視のパフォーマンスに佐野元春はあっけに取られたが、怒ってはいなかったという。
10月、サザンのツアー『KAMAKURA TO SENEGAL』で共演したトゥレ・クンダへのお礼の為、アフリカ・セネガルへ渡りトゥレ一家の元を訪れる。この模様はドキュメンタリー番組としてテレビでも放映された。
1986年
原の産休に伴い、サザンは最初の休業期間に入り、各メンバーのソロ活動がはじまる。
4月、1年限定のソロプロジェクト「KUWATA BAND」結成、『BAN BAN BAN』でデビュー。桑田は音楽番組やライブで度々「新人です!」と強調していた。
12月24日、クリスマス・イヴの夜の生放送番組「メリー・クリスマス・ショー」 (日本テレビ系)をプロデュース。同番組で松任谷由実との共作『Kissin' Christmas (クリスマスだからじゃない)』を出演者一同で唄う。
1987年
10月6日、ソロデビューシングル『悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE)』発売。以降、ソロでの活動が続く。
ダリル・ホール&ジョン・オーツと「SHE'S A BIG TEASER」(シングル『いつか何処かで (I FEEL THE ECHO)』収録)・『REALOVE』(ホール&オーツのアルバム『Oh Yeah!』収録)を共同レコーディング。
12月24日、前年に続き「メリー・クリスマス・ショー」プロデュース・出演。
1988年
3月16日、2ndシングル『いつか何処かで (I FEEL THE ECHO)』発売。
4月21日、河内淳一のアルバム『One Heart』に収録されている『Day After』と『恋に落ちた日 〜ANYDAY YOU LOVE ME〜』にコーラスで参加。
6月25日、『みんなのうた』で、サザンでの活動を再開させる。
7月9日、1stソロアルバム『Keisuke Kuwata』発売。
8月、RCサクセションの問題作アルバム『COVERS』に参加。この時には桑竹居助なる変名でクレジットされている。この名義は1984年にサザンのファンクラブ会報『代官山通信』の署名でも使用されていた。
10月、山下達郎のアルバム『僕の中の少年』収録の『蒼氓』に原由子と共にコーラスで参加。
10月14日、ダリル・ホール&ジョン・オーツの東京ドームでのライブに飛び入り出演。
12月31日、『Keisuke Kuwata』で第30回日本レコード大賞・優秀アルバム賞を受賞。




1989年
映画監督に初挑戦。『稲村ジェーン』クランク・イン。
1990年代
1990年
4月、NHK-FMにてラジオ番組『ミュージック・スクエア』スタート。火曜日のDJを担当。民放での番組とは違い、下ネタなどの過激な発言は無かったものの、リスナーからのの投稿ハガキを読む『日本四方山話のコーナー』『句会のコーナー』、洋楽を1曲ピックアップし和訳を読み上げる『訳詞のコーナー』、テーマに添ってベスト3の楽曲を紹介する『My Count Down』などのコーナーが人気であった。また、1週おきにゲストミュージシャンを迎えてのトークも繰り広げた。この番組には、同じサザンの野沢秀行や渡辺美里・奥居香・高橋幸宏・杉真理・嘉門達夫・アン・ルイス・松尾和子、河内淳一といったミュージシャンのほか、プロレスラーの前田日明も出演した。毎年年始には原由子も出演。1993年4月で担当を終了。
7月、『稲村ジェーン』クランク・アップ。映画公開までに、宣伝を兼ねて歌番組のほか、ワイドショー・ニュース・トーク番組などに積極的に出演。また、試写会を藤沢市の海岸で行い、桑田も会場に登場して『恋はお熱く』を唄う。
9月7日、『稲村ジェーン』公開。
第32回日本レコード大賞のポップス・ロック部門において、ロック・ゴールド・ディスク賞、最優秀ロック・ボーカル賞、作曲賞を受賞。大賞にノミネートした「真夏の果実」は、最終選考で「おどるポンポコリン」との一騎打ちに敗れる。
1991年
3月24日 - 26日、新宿のライブハウス「日清パワーステーション」で、洋楽ロックのスタンダードナンバーをアンプラグドで演奏する『アコースティック・レボリューション』を行う。メンバーは小倉博和、小林武史、キース、など多彩な顔ぶれ。
6月、小林武史・小倉博和・今野多久郎と共にゲリラライブを兼ねて中国・北京へと渡り、天安門広場にてボブ・ディランの「風に吹かれて」、SUPER CHIMPANZEEのオリジナル曲「クリといつまでも」、北京の某ライブハウスにてビートルズの「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」などを演奏した。この模様は後に桑田が出演した筑紫哲也 NEWS23などで放送された。この旅行は翌年のサザンの北京ライブへと繋がる。
9月26日、SUPER CHIMPANZEE名義で『クリといつまでも』発売。
10月2日、3月の『アコースティック・レボリューション』を収録したライブビデオ『Acoustic Revolution Live at Nissin Power Station 1991.3.26』発売。
1992年
6月27日、企画アルバム『フロム イエスタデイ』発売。KUWATA BAND時代のシングル4作が初CD化での収録となる。
1993年
10月6日、3rdシングル『真夜中のダンディー』を発売。サザン活動中のソロ名義でのリリース。
12月1日、世界エイズデーであるこの日、多数のアーティストを集めた「AAA〜アクト・アゲインスト・エイズ」武道館公演を選曲・プロデュースし自らも出演。出演は泉谷しげる・大友康平・アン・ルイス・渡辺美里・福山雅治・原由子など、メリー・クリスマス・ショーにも匹敵する豪華な顔ぶれだった。バックバンドとして小林武史・小倉博和・根岸孝旨・小田原豊・今野多久郎が集い、昭和歌謡曲を中心に多彩なアレンジで参加者がリレー形式で唄った。また、桑田・奥田民生・宮田和弥(当時JUN SKY WALKER(S))・奥居香(当時プリンセス・プリンセス)をメインボーカルに、このライブのために作られたチャリティーソング『光の世界』が唄われた。この後、様々なアーティストが集う形式はAAAで恒例化していくが、桑田がプロデュースしたのはこの1度きりである。昭和歌謡を多彩なアレンジで唄う形は、後々の活動の原形となった。特にこのライブで初めて唄われた「ヨイトマケの唄」は、その後のソロライブや自身のテレビ番組などでも度々唄われることとなる。
1994年
サザン2度目の休業期間に入る。
8月24日、4thシングル『月』発売。CD店などの告知ポスターには「桑田佳祐、今年は一人で歌います」とのコピーの煽りがあった。後年香港で張学友によるカバー曲が発売され、大ヒット。
9月23日、2ndアルバム『孤独の太陽』発売。収録曲『すべての歌に懺悔しな!!』が、矢沢永吉と長渕剛を揶揄しているとされ問題となり、桑田が「あれは自分を含めた芸能ロックミュージシャンを歌ったもの」と釈明し、2人に対して謝罪。矢沢は「まったく気にしてない。それより桑田君の方は大丈夫か?」と大人の対応をするが、長渕は『views』誌上にて「俺は桑田佳祐を許さない!」などとコメント。ファン、マスコミを巻き込んでの一大論争に発展。翌年に、長渕が大麻の不法所持で逮捕されたことで、なし崩し的に沈静化する。詳しくはすべての歌に懺悔しな!!による論争を参照のこと。
9月 - 12月、初のソロ名義全国ツアー『さのさのさ』開催。全国29都市35公演を敢行。サザンでは長らく行われていなかった、ホール・市民会館などの小規模の会場でのライブを行う。ツアー期間中の10月28日には母校である青山学院大学において「帰って来た青山のダンディー」と題し、学園祭ライブも行う。この日は通常のセットリストに加え、原・関口とともに、母校の思い出を綴った『Ya Ya (あの時代を忘れない)』を唄う。
10月31日、5thシングル『祭りのあと』発売。
12月1日、AAA武道館公演に出演者の1グループとしてサザンが登場し、オリジナル曲5曲を演奏。ソロ活動中の同年において、久々にバンドとして、更に休養中の関口和之も復帰し、6人揃って登場した。また、桑田佳祐&Mr.Childrenとしても『奇跡の地球』を初披露。
12月21日、『さのさのさ』ツアーを収録したライブビデオ『すべての歌に懺悔しな!! -桑田佳祐 LIVE TOUR'94-』発売。ツアーが終了する前の発売であった。
12月31日、「月」で第36回日本レコード大賞・優秀賞を受賞、『孤独の太陽』でアルバム大賞受賞。ソロツアー「さのさのさ」最終日、横浜アリーナにおいて年越しカウントダウンライブ。
1995年
1月23日、共に編曲などで交流のあった小林武史との縁により、Mr.Childrenと桑田佳祐&Mr.Children名義で『奇跡の地球(ほし)』をチャリティーシングルとしてリリース。
4月、「桑田佳祐のキヤノンFMワンダーランド 〜やさしい夜遊び〜」(現・桑田佳祐のやさしい夜遊び、TOKYO FMなどJFN全国ネット)スタート。自身がパーソナリティを務め、現在も続く長寿番組になっている。
4月 - 5月、Mr.Childrenと共演のライブツアー『LIVE UFO '95桑田佳祐&Mr.Children“Acoustic Revolution with Orchestra”奇跡の地球(ほし)』開催。『奇跡の地球』のほかにビートルズなどの洋楽も披露した。
12月1日、Act Against AIDS'95をタイのバンコクにて開催。小林武史や小倉博和らとともに「真夏の果実」「悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE)」のほか、ビートルズやジョン・レノンのナンバーなど、計7曲を歌う。
12月31日、横浜アリーナで行われた岸谷五朗主催のアミューズのイベント『THE VARIETY III 異業種共演 大晦日の宴 〜FOR AAA』に出演。サザンとしての年越しライブに替わる出演で、桑田はカウントダウンの直前に登場。爆風スランプの演奏で「勝手にシンドバッド」を唄い、1996年を迎えた。また、出演者の石橋貴明・唐沢寿明・岸谷五朗とともに「ゴロー&センズリッターズ」として、桑田の書き下ろしの曲『長嶋は教祖なんかと違います』を唄い、唐沢は本業とは違うコミカルな一面を見せた。カウントダウンの瞬間は、年が明けるよりも数十秒も早く曲が終わってしまい、年が明けるまで出演者がMCのみで会場を煽ったが、かなり間の悪いものになってしまった。
1996年
4月、斎藤誠のシングル『今 僕を泣かせて』にコーラスとスライドギターのソロでゲスト参加。
12月1日 - 12月3日、桑田にとって初のAAA単独ライブ『Act Against AIDS '96 夷撫悶汰レイト・ショー 〜長距離歌手の孤独 in Jazz Cafe〜』開催。このライブのみ夷撫悶汰(いヴもんた)の変名を用いて1940 - 60年代のスタンダード・ジャズを全27曲、ミュージカル的な演出を交えて演奏。
1997年
3月5日、昨年のAAAライブを収録したライブビデオ『夷撫悶汰レイト・ショー〜長距離歌手の孤独 in Jazz Cafe〜』発売。
9月、サザンが影響を受けたバンドであるリトル・フィートのギタリスト、ローウェル・ジョージのトリビュート・アルバム『ROCK AND ROLL DOCTOR』のレコーディングのため渡米。「日本人でリトル・フィートのカバーを任せられるのはこの人だけ」と、唯一の日本人ボーカリストとして抜擢され「LONG DISTANCE LOVE」を歌った。10月には、同アルバムが日本でもリリース。
10月、桑田がAAAで『サルビアの花』などをカバーしたこともある早川義夫に、書き下ろしの新曲『アメンボの唄』を提供。作詞曲のほか、ギター・コーラスでレコーディングに参加。テレビ朝日系バラエティ番組『人気者で行こう!』エンディングテーマに起用され、早川とともに桑田も番組のエンディングに出演していた。
11月28日 - 12月1日、『Act Against AIDS '97 桑田佳祐 歌謡サスペンス劇場』開催。昭和の歌謡曲を全30曲披露し、長らく放送禁止曲とされてきた岡林信康の『チューリップのアップリケ』も熱唱。その模様は深夜とはいえ,テレビで放映された。
1998年
11月30日 - 12月2日、『Act Against AIDS '98 桑田佳祐 オールリクエストショー』開催。桑田に歌ってほしい曲のリクエストをファンから募り、全30曲のリクエスト曲を披露。このライブでの桑田はパジャマにスリッパという衣装だった。
1999年
11月30日 - 12月2日、『Act Against AIDS '99 桑田佳祐 エリック・クラプトソ 横浜公演』開催。クリーム、ブラインド・フェイスの曲やエリック・クラプトンソロの曲など全26曲を披露。途中原由子もアコースティックギター・コーラスで参加し、12月1日公演のアンコールには関口和之も飛び入り参加した。
2000年代
2000年
1月29日 - 2月5日、FC会員限定ライブ『伊豆だらけのローラ』開催。
5月、山下久美子のデビュー20周年記念セルフカバーアルバム「THE HEARTS」に収録される『バスルームから愛を込めて』にコーラスで参加。アルバムは6月25日に発売。歌詞カードには山下と桑田が一緒に写ったポラロイド写真も載っている。
8月、自身の故郷・神奈川県茅ヶ崎市でサザンとして凱旋コンサート『茅ヶ崎ライブ』を行い話題を呼ぶ。
10月、「桑田佳祐の音楽寅さん 〜MUSIC TIGER〜」(フジテレビ系、第1期)放送開始。
11月30日 - 12月2日、『Act Against AIDS 2000 桑田佳祐が選ぶ20世紀ベストソング』開催。「21世紀に残したい曲」をテーマに、桑田が選曲した全28曲を熱唱した。
12月31日、サザンの大ヒット曲『TSUNAMI』で第42回日本レコード大賞を受賞。「やっと、ひばりさんの背中が見えました」とコメント。
2001年
サザン3度目の休業期間に入り、各メンバーソロ活動を開始。
7月4日、6thソロシングル『波乗りジョニー』発売。発売に合わせ、地方都市でFMラジオ公開生放送と、ライブ『古賀紅太 No Reason! ライブハウスツアー』とを同時進行の形で行う。ラジオ放送は各地で数千人もの観客を集め、好評を得た。ライブはサザンとしての全国ツアーに替わる企画で、佐賀・青森・奈良など、それまでツアーで行くことが少なかった土地でも行われた。
8月7日、ラジオ番組内で、大森隆志のサザン脱退を発表。「プロになる気は無かったメンバーをまとめ、プロの世界に導いたのは大森。彼がいなければ自分達は世に出ることはなかった」と語る。
10月24日、7thシングル『白い恋人達』発売。桑田ソロ名義のシングル最高売上を記録。
11月30日 - 12月2日、『Act Against AIDS 2001 桑田佳祐 plays "The Beatles" クワガタムシ対カブトムシ』開催。ビートルズの曲を全38曲熱唱。ライブ初日にはビートルズのギタリスト・ジョージ・ハリスン逝去の訃報が報じられ、ステージで黙祷を捧げた。
12月6日、やまだひさしのラジアンリミテッドの企画でGLAYと競演。この模様は「桑田佳祐 meets GLAY スーパーFM」としてOAされた。最後はジョン・レノンの『Happy Xmas (War Is Over)』をGLAY、番組スタッフを交えて全員でセッション。
12月22日 - 12月24日、札幌市の月寒グリーンドームで『桑田佳祐 Xmas LIVE in 札幌』開催。当初は札幌ドームを借りるつもりでいたが、計画したときにはすでに埋まっており、ライブのMCで月寒ドームになってしまったことをぼやいていた。ライブではサザン・ソロ・KUWATA BANDの楽曲のほか、『サンタが街にやってくる』『赤鼻のトナカイ』などのクリスマスソングも唄われた。また、24日のライブ終了後にはフジテレビ系『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』のクリスマス特番の生中継も入り、会場の外で一面の雪とライブを見ていたファンに囲まれて『白い恋人達』をピアノ弾き語りで唄った。
12月31日、「白い恋人達」が第43回日本レコード大賞金賞受賞。最有力候補だったが、授賞式を欠席。大賞は浜崎あゆみに。
2002年
『波乗りジョニー』『白い恋人達』の2作で、第16回日本ゴールドディスク大賞 ソング・オブ・ザ・イヤー受賞。
6月26日、8thシングル『東京』発売。ファンクラブ誌上にて「石原慎太郎に物申すみたいな気持ちで作った」とコメント。
8月10日、茨城県ひたちなか市で行なわれた邦楽ロックの音楽祭・ROCK IN JAPAN FESTIVALに参戦。2日目のトリを務める。未発表の新曲『BLUE MONDAY』『東京ジプシー・ローズ』(翌月発売のアルバムに収録)他、全14曲を熱唱。
HOUND DOGのSHIBUYA-AXでのライブに飛び入り出演。大友康平とサザン初期の楽曲、『熱い胸さわぎ』収録の『恋はお熱く』を歌う。
9月22日、スペースシャワーTVの日比谷野外音楽堂でのライブイベント『SWEET LOVE SHOWER』にトップバッターで出演。当日までシークレット扱いで一般には一切知らされておらず、観客を驚かせた。桑田はプロレスの覆面を被って登場し、全5曲を歌唱。
9月26日、3rdアルバム『ROCK AND ROLL HERO』発売。
11月 - 12月、コンサートツアー『けいすけさん、色々と大変ねぇ。』開催。ソロアーティストとして初めて全国5大ドームツアーを開催。
11月27日、初のソロベストアルバム『TOP OF THE POPS』発売。ソロ名義で1980年代、1990年代、2000年代と3世代に渡ってオリコンアルバムチャート1位を達成。3世代以上での1位は男性ソロでは長渕剛(1970年代を含め4世代)、井上陽水(3世代)に次ぐ3人目の快挙。
12月11日、ビデオクリップ集『桑田佳祐ビデオクリップス2001〜2002 D.V.D. WONDER WEAR』発売。











2003年
『東京』で第17回日本ゴールドディスク大賞 ソング・オブ・ザ・イヤー受賞、『ROCK AND ROLL HERO』と『TOP OF THE POPS』の2作がロック & ポップ・アルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞。
2月、『東京』が「SPACE SHOWER Music Video Awards 03」BEST VIDEO OF THE YEARを受賞。
3月26日、『けいすけさん、色々と大変ねぇ。』を収録したライブビデオ『桑田佳祐ライブビデオ「けいすけさん、ビデオも色々と大変ねぇ。」』発売。
7月23日、『涙の海で抱かれたい 〜SEA OF LOVE〜』をリリースし、サザンでの活動を再開。
11月、桑田の息子が通う高校の学園祭でシークレットライブを行い、『勝手にシンドバッド』『涙の海で抱かれたい』などを歌った。この模様は女性週刊誌で報じられた。バンドメンバーは桑田の他に原や小倉博和・三沢またろう。4人とも学校の制服を衣装としていた。
12月2日 - 12月4日、『桑田佳祐 Act Against AIDS 2003 栄光のDISCO & SOUL』開催。ディスコ&ソウルをテーマに1960 - 70年代のディスコナンバー全34曲を披露。原由子・野沢秀行もゲスト出演した。2005年
2004年
11月30日 - 12月2日、『桑田佳祐 Act Against AIDS 2004「THE GOLDEN AGE OF BRITISH ROCK 〜愛と青春の英国ロック〜」』開催。1960 - 70年代を中心とした“英国ロック”をテーマに全31曲を熱唱。
2006年
7月17日、ゆかりのある小林武史、Mr.Childrenの桜井和寿らが主催する「ap bank fes'06」にソロとして出演。最終日となるこの日は、桜井と1995年に発売された『奇跡の地球』を11年ぶりにセッションし、話題となった。ソロでの出演であったが、サザン名義での楽曲『いとしのエリー』『真夏の果実』も披露した。
8月26・27日の2日間、桑田がサザンを中心としてアミューズ所属のアーティストに呼びかけ、初の自身主催となる野外フェスティバル「THE 夢人島 Fes.2006」を開催。アミューズ外からもGLAY、Mr.Children、Dragon Ash、さらには加山雄三など、桑田とゆかりのあるアーティストがスペシャルゲストとして出演。
11月30日 - 12月2日、『桑田佳祐 Act Against AIDS 2006「星条旗よ永遠なれ!? 〜私のアメリカン・ヒーローズ」』開催。桑田が影響を受けた1960 - 70年代のアメリカンミュージック37曲を熱唱した。
2007年
サザン4度目の休業期間に入り、約5年ぶりにソロ活動を再開。
4月6日、妻・原由子と銀婚式を迎える。山下達郎・竹内まりや夫妻と合同で行われた
5月16日、9thシングル『明日晴れるかな』発売。
8月22日、10thシングル『風の詩を聴かせて』発売。
12月5日、11thシングル『ダーリン』発売。
11月 - 12月、2002年の『けいすけさん、色々と大変ねぇ。』以来、5年ぶりとなるソロコンサートツアー『呼び捨てでも構いません!!「よっ、桑田佳祐」SHOW』開催。6都市14公演を敢行。
2008年
3月12日、ツアー『呼び捨てでも構いません!!「よっ、桑田佳祐」SHOW』の12月31日のファイナル公演の模様を収めたライブDVDと、2007年発表のソロ楽曲9曲に、新曲1曲と原由子のソロ曲「大好き!ハッピーエンド」を加えたCDのセット『桑田さんのお仕事 07/08 〜魅惑のAVマリアージュ〜』を発売。
3月23日、『全国民放 FM53局 & KDDI presents 桑田佳祐 アコースティックライブ in 石垣島』が開催され、全国の民放FM局53社に同時ネットで生中継された。
5月19日、同日付でサザンオールスターズとしてのバンド活動再開を発表。同時に、翌2009年以降バンド活動の無期限休止を発表(すなわち5度目の休業。ただし期限を設けない休業はKUWATA BAND等の活動を行った1985〜88年以来2度目)。第4期ソロ活動はこの年の3月まででいったん終了した。
10月19日、かねてから療養中の病気により姉・えり子逝去。享年56。
11月30日 - 12月2日、『桑田佳祐 Act Against AIDS 2008「昭和八十三年度!ひとり紅白歌合戦」』を開催。往年の歌謡曲から近年のJ-POP楽曲まで全61曲を熱唱。原由子・松田弘もゲスト出演した。
2009年
3月25日、前年に行われた「昭和八十三年度!ひとり紅白歌合戦」のライブDVD発売。同時に、桑田のソロ作品では初のBlu-ray Discでも発売。
4月20日、『桑田佳祐の音楽寅さん〜MUSIC TIGER〜』(フジテレビ系列、第2期)開始。
5月30日、大阪城ホールにて行われたFM802の開局20周年イベント『FM802 STILL20 SPECIAL LIVE RADIO MAGIC』にユースケとともに飛び入り出演。桑田はトラの気ぐるみを着て登場し、上田正樹の「悲しい色やね」のカバーを含め全4曲を歌唱した。
8月30日、山梨県山中湖村でスペースシャワーTV開局20周年を記念して開催された野外フェスティバル『SPACESHOWER SWEET LOVE SHOWER 2009』に最終日に大トリをつとめる形で登場。この日のために1夜限りのスペシャルバンド「桑田佳祐 & SUPER MUSIC TIGERS」を結成し、サザンオールスターズと自身のソロ曲合わせ、全10曲を披露した。同イベントへの参加は2002年以来2回目となる。
1月30日 - 12月2日、『桑田佳祐 Act Against AIDS 2009 映画音楽寅さん チャラン・ポランスキー 監督・脚本・主演 「男はしたいよ」』開催。映画音楽をテーマに全42曲を歌唱。途中では自身初めてとなるフライングも披露した。原由子・渡辺直美もゲスト出演。12月9日、12thシングル『君にサヨナラを』発売。
さて、なぜこんなに年譜を掲載したかといえば、やはり、桑田のすごさを知ってもらいたいからです。まず、桑田は、年代的にも、まずは学生運動は完全に下火になっていたのと、除籍になっていますから、全く影響をうけていないと思います。そうして、メジャーデビューしてから、よく見てください、1978年のメジャーデビューから現在にいたるまで、年譜に掲載するべき活動を行っています。何と、あいているのは、2005年だけです。たしか、このときは、休養宣言などあって、意図的に休養したと思います。

いずれにせよ、デビューより今にいたるまで、でずっぱりで、活動しています。こんなことは、稀です。たいていの人は、最初デビューして大当たりしても、すぐに、流行らなくなって、ほとんど忘れされてしまうか、運がよければ、しばらくしてからまた、大当たりして、本当にメジャーになっていくというのが普通です。
だから、大抵の人は、屈折しています。中には、かなり屈折している人なんかいますね。でも、桑田の場合その屈折がほとんどありません。それは、曲や、歌詞にもあらわれいます。情感溢れる曲はあっても、本格的に寂しい、悲しい歌は、ほとんどありません。それは、上のように、毎年必ず活動していたというか、できていたということが大きいです。屈折しようが無かったのだと思います。

これには、彼の曲作りにも秘密があるのではないかと思います。彼の、曲作りはほとんどが曲先(作曲された曲に詞を当てはめる)です。デタラメ英語などの仮歌段階のまま、編曲までほぼすべてを終わらせたのち、仮歌の語感を崩さない言葉を選んで、そこから歌詞全体のテーマ・世界観を決めます。そのため、日本語・英語ともに文法的には間違っている歌詞も多々あり、間違いを指摘されたり「意味が分からない」等と批判される事がしばしばあります。これは文章の正確さよりも、語呂の良さ・符割などを優先させるが故の結果であり、そのためには古文・方言・都々逸も用い、メロディに合う言葉がないのなら造語を自分で作ってしまうこともあります。

こういう作り方では、本格的に寂しいとか、悲しい歌、屈折した歌はつくりようもないのだと思います。 作詞の際には、作品中やタイトルに人名を登場させることも多いです。特定の人物を讃えた曲もありますが、、名前のみを身近な人物または縁の人物の中などから、歌詞全体とメロディに合う語感として引用し、特定の人物は指していない場合が多いです。前者は『吉田拓郎の唄』『星空のビリー・ホリデイ』『Dear John』『唐人物語』など。後者は『いとしのエリー』『チャコの海岸物語』『そんなヒロシに騙されて』『MARIKO』『シュラバ★ラ★バンバ』『可愛いミーナ』ほか多数の曲で使われています。

また、英語と日本語とのダブル・ミーニングを取り入れ、日本語の中でも縁語、掛詞など和歌の伝統的な修辞技法がよく見られます。楽曲は歌詞カードも含めての作品なので、歌詞カードもじっくり読んで欲しいとの思いも込められているものも多いです。

こうしたやり方が、結局は多くの人から支持を受けたのだと思います。まさに、桑田流としかいいようのない、曲作りです。本当にオリジナリティーが溢れています。

さて、オリジナリティー溢れるということは、創造性が溢れているということです。この創造性は、どうしたら育まれるのかということがありますが、やはり、普段からいろいろと頭に入れておくことが大事です。創造性というと、ゼロから生まれてくるものと勘違いしているひともいますが、そんなことはありません。
以前のテレビでみたことがありますが、創造的な人は、いろいろ頭の中にいっぱい生煮えのアイディアを詰め込んだ状態で、寝るそうです。そうすると、起きたときにアイディアが整理されて、新たな発想が生まれるそうです。
だから、桑田氏も、歌ひとつつくるにしても、頭の中にいろいろいな人の歌が入っているとか、さらに、いろいろなアイディアをいれておいて、ぐっすり寝るなどのことをしていたに違いないと思います。 私も、企画をするときに、これに近いことをすることがあります。ただし、一晩寝てそれで済む企画というと、小さな企画です。大きな企画になるとそんなわけには、いかないときがあります。そんな時には、一度いろいろ調べて、調べた結果をいろいろ徹底的に組み合わせたり、発展させたりして、頭に蓄えます。そうして、これを一旦そのままにします。そうです、1週間くらい、ものによっては1ヶ月程そのことに関しては、何もしないようにして、他の仕事をします。

そうして、1週間、1ヶ月後くらいに、そのことについて考え直すのです。そうすると、スムーズにアイディアがまとまります。これをせずに、ぶつ続けで実施すると、かえって、考えがまとまらず、良い結果がえられないことのほうが良いです。これは、確か、脳科学的にも証明さていたと思います。

さて、話が横道にそれたようにみえますが、私のいいたいこともう、おわかりでしょう。病気で入院するというのも、一つのチャンスなのです。やはり、病院に入院すると普段とは違うし、強制的に仕事は中断させられます。しかし、これが、再起したときに役にたつのでないでしょうか?

そうです、ずっと仕事を続けて、創造的であった桑田氏ですが、病院に入院して、戻つてきたときは、さらに創造性に磨きがかかるかもしれないということです。

桑田さん、ゆっくり、静養もかねて入院して、さらに強力になってもどってきていただきたいものです。



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